第1話

「お兄さんさあ、よく来てくれるけど……」

 ベッドに寝転がった情事後の嬢が言う。

 その時、私はメガネをかけなおしていた。情事の最中はメガネを外す。視線が絡むのは好きではない。

「なんですか? もしかして――辞めちゃうとか?」

 それは困る。金と金との関係とはいえ、この嬢のことは気に入っている。自分がどんな無茶な欲望をぶつけてもそれに答えてくれる。

 相当無茶な要求と自分では思っているが、それを素直に受け入れてくれる嬢は、それほど多くはないだろう――そんなに多くの嬢を買った経験はないが。

「いやね、」

 ちょっと言いづらそうに身をよじる様が、衣擦れから分かる。仕方がないので眼鏡を外し、ベッドの脇に腰を下ろす。

「なんでも言ってもらっていいですよ」

 なんだろう。もうちょっと歯を磨けとか? いやあ、それはないだろう。歯肉炎にもなってないし、歯槽膿漏にはほど遠い。割合健康的な生活を送っているので、胃が腐っているということもないはず。

 もしかすると、もうちょっとマイルドな情事にしてくれということかもしれない。確かに、個人的には随分なことをしているつもりだ。この嬢が離れると、少し寂しいのは事実だ。そういうのが気に障ったのかもしれない。

 よし、じゃあ今後はもっとマイルドにしよう。そう心に誓い、下半身丸出しで嬢に向きなおす。

 目が合う。不快感を覚えるが、裸眼なのでなんとか耐えられる。

「あのさ、私のこと結構な回数、指名してくれていると思うんだけど――」

「うん」

 もしかすると、退職だろうか。そうなると無理に引き留めることはできないな。

 そして、嬢の口からは、

「お兄さん――普通よね。なんというか、冒険しないってカンジ」

 全く思ってもいなかった言葉。

 ニコっと嬢が笑う。八重歯が可愛い。

「いや、全然いいんだけれどもね。むしろありがたいと思ってるよ。無茶苦茶なことをやるお客さんもいっぱいいるし、それと比べたら、すごい良い方だと思うのよ。でも、こんなに指名してくれて、毎回同じようなことをしてっていうのは珍しいなと思って――いや、全然いいんですよ。ホントに」

 少し慌てて、フォローしてくる。でも、私にとってはフォローになっていないわけで。


 ――結構、あの手この手を試していたつもりなんだけどなあ。


   ☆


 言っちゃあなんだが、面白くない人間である。

 人生は一度しかできないし、やり直しがきかない。そんなことは重々承知している。だからこそリスクを気合一閃で回避してここまで蟻のような人生を歩んできた。

 大崎誠、二十六歳。職業、企業研究員。

 メタルフレームから覗く眼光は、これも自分で言っちゃあなんだが結構鋭い。鏡で毎朝「目つきの悪い奴がいるぞっ」と騒ぎたい程度には悪い。


 だからこそ、フィクションでは人生を謳歌したい。そういう訳で、横浜市の一角にあるVR試写室に、遠路はるばる赴いている。

 手軽な人生の追体験だ。我々の世代は既にゲーム漬け。物心ついたときから自分の脇にはゲームがあった。ゲームの中では勇者になり世界を救い、レーサーになりあらゆるレースを総なめにして、ダンジョンに潜っては武器をかき集め売りさばいていた。時には魔王になったこともある。

 これはこれで悪くはないと思っている。人生は手堅く、妄想は高く――というのは恰好つけすぎか。でも、一度きりの人生で冒険しようというのは、いささか人生設計が出来ていなさ過ぎるのではないか、と考えている。

 以前そういう話を友人としていると、

「マコトは相変わらず物事の本質が分かっていないね」

 とコメントを貰った。

「どういうことだ?」

「冒険っていうのは、リスクを払わなくちゃ冒険している気にならないんだよ」

「実際私は冒険したことが無いからなんとも言えないし、それに関しては何も言えないね」

 私は実際に冒険している友人にそう言った。

 友人は、見るからにもやしっ子な私とは異なり、筋骨隆々。職業は冒険家――という訳ではもちろんない。でも、私からすると似たような危うさに映る、独立リーグの野球選手。

 職業、プロ野球選手。一昔前なら聞こえは良かっただろう。

 ただ独立リーグとなるとそうでもないらしい。

「実際の給料は手取り十二万円。しかもシーズン中だけだ。そしてシーズンは四月から十一月までしかない」

「とすると、実質的な年収が百万円もないじゃないか」

「そういうことになる。もっとも、田舎暮らしだから家賃やら食費やらは安く浮くがね」

「それでも、一流と呼ばれる大学を出て独立リーガーというのは、相当な冒険と言わざるを得ないな」

 ちなみに私の手取りは現在二十万円と少し。社員寮に住んでいるので家賃負担ないことを考慮すると、都会暮らしの物価水準を差し引いても、彼とは相当な経済格差がある計算になる。

 そして、その計算は現在だけでなく将来にも――むしろ将来の方に影響が大きい。まさに人生を賭した冒険と言えるだろう。

 どうせなら、ヒット一本二百円、二塁打で三百円。ホームランで千円――という給与計算なら、冒険者に近いかもしれないな、と軽口を叩く。

「スライム一匹2ゴールド、ゴーレム一頭30ゴールド、ドラゴン一羽500ゴールド――みたいにね」

「ドラゴンの数詞は「羽」じゃないだろう。そして付け加えるなら、エラーはマイナス二百円だ」

 全く、とんだ冒険者だよ――と安い酒を楽しむ彼は、さながら人生の醍醐味を味わっています、というように見えた。「冒険ってのは、やってみなくちゃその良さが分からないんだよ」とも言っていた。ゲームではとてもね、と付け加えて。

 ――肌がピリつくような興奮があるんだよ。ゲームじゃあそれは味わえないだろう?

 最後にそう言って、会計は割り勘で帰っていった。

「面白い話を聞かせてもらったお礼だ、奢るよ」と私は言ったが、「冒険者には冒険者のプライドがあるのさ」と言って断り、そして彼はまた冒険の日々に帰っていった。

 私も、堅実な日々に向かい、雑踏を後にした。


 そんなことを思い出しながら、雑居ビルを見上げる。

 清潔な状態に保っているのに、何故か汚く見える。塵一つ落ちていないのに、建物の雰囲気がくすんでいるように感じる。そういう類の雑居ビル。

 動きがひどく緩慢なエレベータに乗り込み、三階のボタンを押す。お目当ては最近できた「試写室」。

 まるでドラゴンな球を集めている主人公のようなヘアー・スタイルの青年が法被を靡かせて腕組みをしている看板でおなじみの、要はそういうお店だ。

 何も恥ずべきことは無い、と自分に言い聞かせる。

 自分の、いやもっと言えば生物としての本能に忠実な行動をとっているのだし、白昼堂々イヤらしいことをしているわけでもない。統計的には、日本はそういうものが充実しているから性犯罪の件数が少ないのだ、という話も聞いたことがある。

 しかし――こんな理論武装をしなければ冒険が出来ないのが情けない。もっと堂々としろ、と狭いエレベータ内で自分に言い聞かせる。今から行くのは冒険だぞ、と。

 そう、冒険なのだ。人間界に蔓延る魔物を剣で叩き切るのと同じく、プロ野球チームの監督になってペナントを制覇するのと同じく、私のエクスカリバーを振り回して……ナニをする。そう。それもまた一つのく冒険なのだ。冒険に貴賤はない。

 空調の利きが悪いのか、唸りを立てる割には湿気が籠っていたが、今エレベータの扉が開き、冷たい人口の風が頬を撫でる。

 さあ、冒険の始まりだ――。


「いらっしゃいませーェ」

 頭のテッペンから声を出しているような店員が、視線も向けずに挨拶を繰り出してくる。明らかに痴女だ。茶髪の女は9割方痴女であると私は信じて疑わない。

「あ、すみません、はじめてなんですけどォ、グフフ」

 私も対抗して、「明らかに童貞ではあるがそれを隠そうとする結果挙動の不審が拭えない青年」を演じる。

 もちろん、店員は意に介さない。そんな客は山のようにいるのだろう。指示の声が頭のテッペンから響く。

「それでは会員カードを後ろのカウンターでお作りいただいてもよろしいですかーァ」

「分かりましたァ」

 そう。冒険には初期設定が必要なのだ。しこしこと必要事項を埋め、痴女に提出する。もちろん「勇者ああああ」とかではなく、ちゃんとした情報で。

 ギャル店員に紙を渡す。内容をチラっと確認して問題なかったのか、利用案内を始める。

「はいありがとうございます。本日は――」

「二時間パックのVRゲーミングコースでお願いします」

 案ずるな、リサーチ済みだ。こんなところでもたつく私ではない。

「ありがとうございますーゥ。ブランケットなどが必要になったらこちらまでお越しくださいね。それではごゆっくりどうぞーォ」

 そうして痴女は私への興味を失った。チュートリアルが終わったというところだろう。でもギャルなりに結構可愛かった。ぐふふ。

 そそくさと自室へと急ぐ。わき目も振らず――というワケにはいかない。やはり桃色のパッケージは私の冒険心を駆り立てる。が、今日の冒険の舞台はそこにはない。なくなくあられもないパッケージ達を見送る。

 そう、今回の冒険の舞台は筐体の中にある。

 与えられた席に移動する。初めての店なので移動に少々戸惑ったが、努めて冷静にふるまう。こんな店では、みんな大体そんなような顔をする。余裕ですよ、私は本来こんな場所にいる人間ではなく、君たちとは違うんですよ――という顔。誰に対して何のアピールなのか。同じ穴の狢という言葉が、これほど当てはまる場所も珍しい。

 手早くパソコンの電源を付ける。何と言っても、三時間しかないのだ。

 ひとまずソフトの一覧を見る。


「夢の亜空間! 密着パイオツおもてなし感激連発エステ!(加賀瑞樹)」

「忘年会で出会った別部署の事務員さんはロリ巨乳! タガが外れた営業部員を膝で尻で胸で開放!(大原ミサト)」

「深層の令嬢でハコ入り娘。ハコはハコでもマジックミラー! 乗馬が得意なお嬢様は、騎乗位も上手!(眞下和)」

「大嫌いな女上司のミスに付けこみ、一人娘と親子丼! やってみると意外とすきもので(汗)(真田ミク)」

「【お中元セット】有名女子大12人の本性丸出しナマ交尾テレパシー」


 お下劣ねッ! なんて思ってはいけない。ここのどこかが今日の冒険の場になるのだ。

 真剣にフィールドを選ぶ。ニューハーフモノに手を出してもいいが、初のVR系アダルトゲーム。奇襲は二度続けてこその奇襲とはよく言ったものだが、自分を驚かせても始まらない。そういうゲテモノは次の機会まで遠慮しておくことにする。

 そうして選び抜いたフィールドはこれだ。


「放課後☆女子〇生 バットを振るか〇〇〇を振るか!(マコト)」


 うむ。我ながら良い選択だ。選ぶのに悶々と10分程度かけてしまったが、短いくらいである。私の感覚では、どうみても女子高生ではない女子高生というのは、ゲテものには入らない。バナナはアナルに入るけどね。

 ソフトも選び、ティッシュも手が届く範囲。秘密基地に万全の状態を整え、ヘッドセットを装備する。気分はもちろん勇者だ。エクスカリバーをぶん回せ。

 友人に言いたい。

 どうだ、これが科学の進歩だ。リスクを冒さずにここまで冒険できるものなのだ。しかも、おそらく相当に楽しい冒険が待っているはずだ。そしてその結果は約束されている。これほどうれしいことはないのだ――と。

 動画の再生ボタンをクリックする。少し手が震えているが、勇者だって生まれた村を後にする際は身震いするだろう。この私の心持と一体何の違いがあろうか。いや、ない。なんら遜色はない。

 カチっとクリックした瞬間に、視界全体が渦巻いた。紫色を基調とした渦巻きが視界全体を覆う。なんだかさながら別の世界にトリップするようで、リアリティがあって大変よろしい――という呑気な気分は一瞬で消し飛んだ。

 飛行機の発進Gを二十倍にしたようなGが、下半身丸出しの私を襲った。「ちぎれるゥ」という痛みが脳を刺したところで、視界が暗転。

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