砂漠渡りと長月

押田桧凪

 ちえちゃんとは同じ小学校だったが、父の仕事の関係で小学五年生の時、隣町に転校することになり、それ以降会うことはないだろうと思っていた。

 中学一年生になった今年。

 いかなるにかあらむ、とでも言うのか、運命の巡り合わせのように──といっても世間は狭いわけで、私は一重ひとしげ 千重ちえに再会したのだった。



 ✤ ✤ ✤



「さとりー、つぎ移動だよね?」


 まだ休み時間と言うこともあって、体育終わりの身体を休め、大半の生徒は教室に残ってだらだらと喋っている。


「ほんとだ、急がんと。あっ、でも先行ってて」


 教科書と資料集、筆箱をカバンから引っ張り出してそう言うと、どうしたのと千重は訊いてきた。私は用意していた口実をさらりと口にする。


「水やりがあるから」

「水やり?」

「来週、ハーブティー作るためにさ。中庭の花壇にローズマリー植えてるから」


 オッケーと言って、千重はくるりと身体を反転させ、踵を返した。

 別に嘘ではなかった。ただこの休み時間に、水やりに行かないというだけで、育ててはいる。昨日雨が降ったし、今日は行かなくていいかな。


 私は、同じクラスの夏帆と一緒に茶道部に所属している。いや。近隣の節制を重んじるミッション系の学校とは一線を画し、自由な校風を掲げるこの学校では、「茶道部」というより「お茶愛好会」と言ったほうがいいのかもしれない。

 抹茶に限らず、世界の様々なお茶について嗜むことをテーマと活動しており、例えば、先週はインド発祥のマサラチャイという紅茶を作った。お茶にお湯に紅茶とスパイスを入れて煮出し、それにミルクを加えて、また煮詰める。スパイシーな風味が刺激的で、おいしかった。そんなことが許可されているのだから、お茶好きの私からすれば楽園のような場所だった。


 教室を出た千重の姿を確認してから、私は一人の男子のもとへ近付いた。



 ✤ ✤ ✤


 

「ハンカチ、落としましたよ」


 え、とこちらを振り返り、一瞬にして顔を曇らせた。どこか怯えたような、不審げな色を浮かべた目。同じクラスだけど一回も話したことがない男子だ。


 ……わかってる。そういうシチュエーションじゃないんだよね。だって、さ。相手が、私に拾ってもらおうとして “引っ掛け” るための演出でないことを私は知っているし、このハンカチを届けることができるとは、持ち主からして完全に想定外なのだ。なぜなら。


「これ一週間前に落としたやつ。しかも、校外で」


 なんで? と言わんばかりの表情で、得体の知れない虫けらでも見るかのように、頬を強ばらせた。


 あーもう誤解だよっ。ハンカチの刺繍のイニシャルが I だったから、伊町くんかなって思っただけ──なんて、おちゃらけたセリフでこの場を乗り切れる筈もないだろう──だからといって、を話しても信じてもらえるわけもないだろうから、私は理路整然と後出しジャンケン的状況証拠を並べなければならない。


 ハンカチに残った想い出がんだ、なんて言えるはずないのだから。


 あー、めんどくさい。めんどくさいなら拾うなよってきっと私の中の悪魔は囁くんだろうけど、落し物を見捨てる事はできない。偽善的正義感。これでも私、公務員の娘なんで。


「たしかに、ここに縫ってある刺繍のイニシャル I から、苗字もしくは名前を特定することは困難だよね。でもね、私これを有沢駅で拾ったんだけど。気になることがあってさ」


「一つ目。値札に価格を隠すためのシールが貼られてあること。二つ目。女性用ブランドとして有名なロゴが入っていること。そして、それが売られているのは駅近くのデパートであり、人にプレゼントするための物として購入されたが、ラッピングは別途料金がかかるので自分で済ませようとしていたことが伺える。だから、包装されてない状態で見つかった。最後に三つ目。伊町くんが、岩崎さんのことが好きなのはもうクラスの皆が知ってるし、先週は岩崎さんの誕生日だったってこと! だから、これは伊町の I じゃなくて、岩崎の I だよね?」


 私は言い終えた後で、強引すぎる推理かなと心配になりながら、伊町くんの方を見つめる。伊町くんは一瞬ぽかんとした感じで、おおきく口を開けた状態になり、それからうっすらと影の薄い微笑を口元に浮かべた。


「すげえな、石神いしがみ。さっすが、学年1位!」


「あっ、ありがと……」

 私は照れ隠しに、そそくさと礼を言う。


 ──ああ、そうだった。伊町くんっておちゃらけキャラだったわ。だったら、なんで分かったんだよって不審がられても、こんな回りくどい言い方せずに、お高くとまったお嬢様然として「なんとなく?」とか言っとけば済ませられたな、と少しがっかりした。


「まあ、でもまた別のやつ買って渡したんだけどさぁ」


 苦渋の色を帯びた声で、伊町くんはそう言った。ぎこちなく口角を持ち上げ、気まずそうな表情をつくる。その後どうだったの、なんて図々しいことをさすがに聞く訳にもいかないし、その顔から察するに、フラれたのだろう。


「そうなんだ、じゃ、また」


 そう言って、私はその場を去った。きっとすぐ良い相手見つかるよ、とか頑張れ、なんて柄でもない言葉を心の中で降り積もらせながら、生物実験室へと足早に向かう。

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