第17話 カントリーロード-17
いつもより急いで教室に入ると、もう鉄子は来ていて、古木と話をしていた。
「テッちゃん」という絹代の呼び掛けに顔を上げて絹代を認めると、鉄子は笑顔で大きく手を振った。そんな仕種に絹代の罪悪感は幾分和らいだ。それでも恐る恐るしか近づくことはできなかった。絹代は鉄子の傍に立つと、
「昨日はごめんね」と言った。鉄子は驚いたように応えた。
「何しただ?おら、別に謝ってもらわなきゃならんこと、何もされてないだ」
「でも、昨日、あんなこと言って」
「あぁ、ん、仕方ないだ。キヌちゃんたちは、あのビッキのうまさ知んねえもん。やっぱ、気持ち悪いって思っちまうさ。おらが悪いんだ」
「…でも…昨日、帰ってこなかったのは…怒ってる…からじゃないの?」
「なして、おらが怒るんだ?おらの方が悪いんだ。怒られることはあっても、怒る理由なんかどこにもありゃぁせん」
「…でも、昨日、先生のとこに泊まったんでしょ?」
「あぁ、あれは、そういうことにしてもらっただ。ほんとは違うだ」
「え?じゃあ、どこに泊まったの?」
「知りたい?」
「…うん」
「じゃあ、ちょっと来て!」
鉄子に促されるままに絹代はついて行った。古木は要領を得ず、ぼんやりと二人を見送った。
鉄子が向かったのは家庭科教室だった。鉄子はポケットから鍵を取り出すと、がちゃがちゃと錠を開けて中に入り絹代を招いた。部屋の奥に置かれた箱の前に鉄子は立って手招きしていた。絹代が近づくと、鉄子は箱を指さした。その中には鉄子の荷物が一式入っていた。驚いて見上げた鉄子の顔は、ニコニコと微笑んでいた。
「おら、ここで寝てただ」
「ここで?床の上で?」
「んにゃ、緑川先生に寝袋借りただ。それで寝てただ」
「こんなとこで?寒くないの?」
「全然。ここで料理もしてただ、ほら」
指さす場所には、実習で使う鍋が転がっていた。
「おら、ちょっと前から考えてただ。ひとりで暮らせないかって。んで、昨日、ビッキ捨てに行った後で先生に会って、そんな話したら、じゃあってことで、ここに寝かせてもらっただ」
「うちじゃあ嫌なの?」
「んん、そんなことねえ。んでも、おら、やっぱりお客さんだ。お客さんじゃあ、居心地は良くねえ」
「そんなことないよ、パパもママもテッちゃんのことあたし以上に可愛がってくれてて…」
「それが、お客さんだ」
「……ん」
「おら、もっと生活したい」
「生活?」
「ん。おらたちは確かにガッコ行くのが仕事だ。んだども、家に帰ったら家の仕事するのが当たり前だ。おら、料理は下手だったから、掃除と風呂焚きとやってただ。裏の畑の手入れもしてただ。んだども、ここじゃあ、何にもすることがない。することがないから、クラブすんのか、勉強すんのか、なんて考えたら、おら嫌になってきただ。おら、生きてる以上、生活がしたい。できたら、ひとりでも、生活がしたいんだって、昨日、緑川先生に言ったら、あの先生はわかってくれただ。おら、ここで、生活する」
「でも、…怖くないの、夜、独りで、怖くない?夜だけでも、うちに帰ってきたら?」
「んー、ありがたいんだども、キヌちゃんの部屋は、おら、合わねえ」
「…くさい?」
「んにゃ、違う。おらには合わねえんだ。きれいで、いい匂いするんだども、なんてのかな、こう、風が動かねえんだ」
「風?」
「空気って言ってもいい。外の空気が中に入って来ねえ」
「だって、窓閉めてるし、当然じゃない」
「んだども、人は自然の中の生き物のひとつだ。季節の移り変わりと一緒に、一日の変化も、自然と一緒に暮らすのが本当だ。おら、ここが気に入ったんだ。風で窓が揺れる、隙間から風が入ってくる。夜が明けて朝が来るのも、感じられる。おら、ここでいい。ここで寝てると、家を思い出すんだ」
「……帰りたいの?」
「ん…、そっかもしんねえ。ホームシックってやつかな。んでも、ここは、このガッコはおら好きだ。けっこう楽しいし、同級生がたくさんいるのはやっぱりいいなって、ここに来て初めてわかっただ。だから、いいんだ」
「でも、今はいいけど、冬になったらどうするの?」
「そんとき考えたらいいだ。しばらくは暑くなるし、大丈夫だろ」
「……ん、でも、一度パパと相談してよ、ネ」
「ん。んだども、おらはここに住まわせてもらうだ。それが、一番いい」
鉄子の顔は凛としていて絹代はもう何も言えなかった。そしてただ納得していた。
―――そうなんだ、テッちゃんは。こうなんだ。
ただ、納得していた。
始業を知らせるベルが鳴った。二人は慌てて部屋を出て教室に向かった。
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