第3話 カントリーロード-3

 あれはもう一週間も前のことだったのかと絹代は驚いた。しかし、美津江はぼんやりとしている絹代を見て叱責するように言った。

「あなた、部屋はちゃんと片づけてあるの?」と問い掛けた。絹代はその言葉にびくりと反応して、美津江を見ると首を振った。

「片づけておかないと、テッちゃんが困るでしょ。さっさと片づけてきなさい」

絹代は言われるままに部屋に戻った。扉を開けて立ち尽くしたまま部屋を見回した。一応は片づいている。でも、二人が生活するとすれば、狭い。絹代はとりあえず脱ぎ散らかしてあった制服をハンガーに掛け、並んでいるぬいぐるみを本棚やタンスの上に載せた。床は広く見えるようになったが、天井に近いところからぬいぐるみに見つめられると、いやに圧迫感がある。それに、はっと絹代は思った、いとこの子の荷物はどうすればいいんだろう。賃貸マンションの一室には、充分な収納スペースが確保できず、納まりきらないものをカラーボックスや収納ボックスに入れてあるので、部屋が小さく感じる。そこに勉強机とベッドを入れてあるため、いとこの子の荷物を入れる猶予がこの部屋にはないように思える。父は一体何を考えていたのだろう。そう思いながらも、リビングやキッチンに住まわせる訳にもいかず、両親の部屋で寝起きさせることもできないと思うと、仕方がないと納得はできた。それでも、どう考えても二人が生活するには狭い。絹代には次第に自分の居場所がなくなっていくように思えた。


―――嫌だな。


 絹代はそれ以上片づけることをやめて部屋を出た。

 リビングで絹代がテレビを見ていると、ほどなく父が帰ってきた。ぱたぱたと母が迎えに出るのを見ないふりをして、絹代はブラウン管から目を離さなかった。

「まぁまぁ、ようこそ、いらっしゃい」という母の大きな声が聞こえてきて、すぐに、

「よろしくぅ、お願ぃします」という訛りの混じった声が聞こえてきた。それを聞いて絹代は、思わず振り返り玄関に続く廊下に目を遣り、母の呼ぶ声に応じて玄関に向かった。

 玄関に出てみると、Tシャツに短パンという軽装に風呂敷包みを一つ携えた少女が立っていた。背は絹代とさほど変わらず、絹代より骨太な感じではあったが、ほとんど威圧感を感じなかった。浅黒い顔に大きな瞳がくるくるとまわりを見回し、にこにこと微笑みながら絹代を見ると驚いたような顔で絹代を見つめた。

「あ、あの…こんばんわ…」

美津江に促されるままに挨拶をすると、

「あたしぃ、鉄子といいます。よろしくぅ」と大きな声で、やはり訛りを湛えながら、挨拶を返してくれた。大きな声には圧倒されたが、そのアクセントと笑顔に愛嬌を感じて絹代はたやすく鉄子を受け入れることができた。


 リビングに通された鉄子は物珍しそうに部屋を見回し、促されて座ったソファの感触を楽しむかのようにニコニコしながら体を揺すっていた。そんな鉄子を見ていると絹代は不思議な生き物を見ているような気分になった。

 線が太くはっきりとした浅黒い顔は、張りがあって悪戯少年のような光沢を放っている。足も腕もうす黒く日焼けしていて、あちこちに傷やかさぶたが見える。絹代の両親の言葉にニコニコとしながら答える様子は、小学生にも見える。

「テッちゃん、自分の家だと思っていいからね」

「はぁい、ありがとうございます」

 やはり訛りがある。それが絹代に興味を惹き起こした。鉄子はニコニコと絹代に目を遣った。絹代は興味本位で見つめていた自分に気づかれたのかと思い、一瞬、ドキリとしたが笑顔を見せる鉄子に抵抗なく微笑みを返した。

「絹代、ちゃんと自己紹介しなさい」

促されて絹代はまだ名乗っていないことに気づいた。

「あ、あたし、絹代です。よろしく」

「こっちこそぉ、迷惑かもしんねぇけど、よろしくぅ」

絹代は思わずぷっと笑いを漏らした。鉄子は全く気に掛けず話し出した。

「んだども、やっぱり、都会は人が多いんな。途中の駅から、段々人が多くなってきてぇ、まんだ、電車の中は、そんれでもよかったんだぁ。駅に降りて、おら…あたしぃ、びっくらしたんだ。なして、こんなに人がおるんやらぁ。って、まぁ、こっちはこんななんだなぁ」

「テッちゃんとこは、そんなに人がいないの?」

「んだ。ガッコなんか、小中学校一緒で、十…三人っかなぁ。ン、そんなもんだ。村ン中だって、そんなに人はいんねえ。端から端まで駆けてったって、だンれにも会わねえことなんて、あたりまえだぁ」

「この辺もだいぶ人口は増えてるからな、田舎から出てくると、多く見えるだろう」

「んだんだ。うじゃうじゃと人ン中歩くのは、かなんねぇわ」

ハキハキと話す鉄子は、絹代が物珍しそうに見ていることに気づかなかった。絹代は、ただただ鉄子の話す方言が面白くて黙って見ていた。

「さぁさぁ、テッちゃんも疲れたでしょう。ご飯食べて、お風呂入って、おやすみなさい。布団は、絹代、用意しておいて」

絹代が頷いて応える一方で、鉄子は驚いたような顔で美津江に言った。

「おら、昨日風呂さ入ったから、今日はいいっさ。ずっと電車で、あんまり動かなねかったから、汗もかいてねえ」

「何言ってるのよ、女の子が。着替えは、あるんでしょ?じゃあ、お入りなさい。その間にご飯の用意するから」

「ホントにいいんだぁ。それより、ハラさ減ったから、申し訳ねえけど、ご飯もらえねえか?」

「いいの、本当に?」

「ん、ハラ減った」

「じゃあ、ご飯の用意するわ」


 いそいそと美津江は食卓に鉄子を連れていき、歓迎の晩餐が始まった。鉄子は手を合わせて、いただきます、と大きく言うと用意された料理を遠慮なく食べ始めた。その食べっぷりを見て、まわりの三人は呆気に取られた。鉄子はそんな三人を意に介さず、次々と料理に手を出した。

「元気でいいわ。絹代ったら、食も細いし、ダイエットだなんて言って、あんまり食べないから、なんか嬉しいわ」

「男の子がひとり増えたみたいだな」

「あなた、失礼よ。ちゃんとした、女の子なんだから」

「うんにゃ、おら、村でも大食いで通ってるんだ。今年も紀元節の祭りで、汁粉の大食いで、子供の部だけど、優勝したんだぁ。そこらの男なんかにゃ負けねぇ」

「でも、今日は、あんまり動いてなかったんでしょ。お腹すいたの?」

「腹ん虫は元気だぁ。明日からは、おらも、元気に動くから、もっと食うかもしんねえけど…いい?」

 照れくさそうにそう言う鉄子を見つめたまま、直之も美津江も半信半疑なまま頷いた。鉄子はニカッと微笑むと、次々にご飯をかき込んだ。絹代はますます鉄子に興味が沸いてきて、黙って見ていた。

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