第31話 虚構と擬態

 魔法研究所を全く知らない訳では無い。医療局以上に厄介な場所だと記憶している。だから私は不安を感じていた。ここでは何が起きても、おかしくないから。


 爆発が起きて職員が死亡するなんて事は珍しく無い。片腕どころか四肢を失った職員も多く存在する。研究所から異臭が漏れた後に、付近を歩いていた人達がバタバタと倒れ、医療局に運ばれた事も有る。


 実験から人が被害に遭うまでが、アレの描いたあらすじ。だから、それを止めるのは不自然になる。


 パナケラの様子から、医療局は昔と変わっていると判断した。あんな純粋な子が医療局にいて、心の平穏を保っていられる筈が無い。ではイゴーリは?

 最も親しい者なら、どんな変化も見逃すまい。故に私は、パナケラの反応を確かめた。


 パナケラの様子に妙な所を感じない。それに、ソウマは何も言わなかった。

 私の不安は期待に変わる。そしてパナケラに続いて研究所に足を踏み入れる。そこで見たのは、私の予想を超えた事態だった。


 研究所の造りは、かなり変わっていた。部屋が無くなり広々とした空間には仕切りが並んでいる。一つの仕切り内では、議論が繰り返されている。別の仕切り内では職員が黙々と実験をしている。


 最初は、建物を直させるのが面倒になったのかと思った。それなら、もっと騒然としているはず。建物が壊れない規模の爆発が、絶え間なく起こっているはず。


 そうじゃない。整然としている。それがおかしい。


 私は少し唖然としていた。我に返ったのは、パナケラに呼び掛けられてからだった。


「あの、イゴーリは自室にいるみたい」


 私は、その意味を直ぐに理解出来なかった。誰も応対に来てない、何か連絡が来たとも思えない。


「えっと。これ」


 そう言ってパナケラが見せてくれたのは、指先に止まった極小の虫だった。集中して虫を見ると、イゴーリの魔法を感じる。


 流石はイゴーリ、面白い連絡方法を考えた。怠け者どころか物凄く働き者だ。私は感心しながら改めて周囲を見渡した。


 もし、これがイゴーリの意識による変化なら、既に研究所は手中に収めたと思っても良いだろう。

 私の期待は膨らんでいく。弾む様な気持ちで、パナケラと共に所長室への道を急いだ。


 私達が所長室へ入ると、机に向かっていたイゴーリがゆっくりと顔を上げる。その視線は私ではなく、隣に向けられていた。


「なに抜け駆けしてんだよ、パナケラ!」


 簡易結界が張られているから、声が外に漏れる事は無いだろう。だけど、声の大きさには流石に驚いた。

 イゴーリは立ち上がると、パナケラの前までツカツカと歩く。そして姉妹喧嘩の火蓋が切られた。


「偶然だよ! ソウマの部屋に行く途中で会ったんだよ!」

「何が? 連絡は虫でって言っただろ?」

「そうだけど。呼び出されたし、特別な用事なのかなって」

「ずるいよ!」

「ずるくないもん!」

「いっつもだよ!」

「そんな事ないもん!」

 

 こんなやり取りも久しぶりに見た。そういえばイゴーリは、いつも姉に怒っていた。

 ややおっとりとしているから、他人に見下されやすい。妹としては、それが悔しかったんだろう。


 知ってるよイゴーリ。お姉ちゃんが大好きなんだよね、本当は誰より賢く優しいのを知っているんだよね。だから喧嘩しないで、ちゃんと顔を見せて。


「はいはい、そこまでにして」

「だって、エレクラ様」

「違うよ、今はシルビア。様も要らない」

「でも」

「イゴーリは、再会を喜んでくれないの?」

「そ、そんな事を言わないで下さい! どれだけお会いしたかったか! この想いは貴女にもわからない!」

「私だって!」

「そっか。おいでイゴーリ、パナケラも」


 私は二人を強く抱き締めた。二人は声を上げて泣き始めた。美しく、賢く、逞しく成長して、誰にも出来ない偉業を成し遂げても、どこか小さな時のまま。それが何故か嬉しい。


「いいよ、いっぱい泣きなさい。大変だったよね、辛かったよね。よく頑張ったね、偉いね」


 ソウマにも話せなかっただろう。心配させたくないから。一番親しい間なら特にだろう。言わなくても伝わってしまうから。


 優しくされたら、戦えないと思っていたのかもしれない。乗り越えられないと考えて、感情を押さえ込んだのかもしれない。彼女等は頑張り屋だから。

 私は、溜め込んだ想いを全て吐き出すまで、二人を抱き締め続けた。


 ☆ ☆ ☆

 

「所でさ、虚構と擬態の仕組みを教えてよ」

「ちょっとイゴーリ! 言葉遣い!」

「良いのよ。ここでの二人は、私より偉いんだから」

「そうだ。だから教えてよ」

「でも何で? それを使って、職員達を支配してるんじゃないの?」

「ソウマと俺は、単に使えるだけだよ。理解は出来てない」

「それなら、みんなが使ってる簡易結界は何を応用したの?」

「前の所長が完成させた、守る効果が無い薄い膜だよ。それに虚構と擬態を乗せたんだ」


 私はイゴーリの言葉を、直ぐには信じられずにいた。カーマでも術式を理解しないと、新たな魔法を作れない。感覚的に魔法を行使するのは、カナの様な異端だけ。そう思い込んでいた。


 それを可能にしたのなら、イゴーリが大きな戦力足り得る事を意味している。私の心は更に昂っていく。


「あの、私も教えて欲しいです。何で支配下に有る人達と、普通に会話出来るんですか?」

「簡単に言うと、事象の変更と虚偽の報告よ」

「事象の変更?」

「それが鍵ね」

「ふむふむ、流石はシルビアさん」

「うるさい!」

「何よ!」

「ほら、ちゃんと話を聞いて」


 人は産まれてから死ぬまで、考える事、話す事等、全ては決められている。状況に応じて変更は加えられるけど、それ自体も私達を対応させる為では無い。

 その事実を知っていると、人と会話出来るのが不思議に感じるだろう。


 因みに『虚構と擬態』の原理はそう難しくない。命令を意図的に書き換え、アレには『元の情報』を見せる。欺く事が全てだ。     


 例えば人の会話は、『誰と何を話すか』が決められている。それを『私と天気の話をする』と書き換える。

 但し、書き換えた事は直ぐアレへ伝わる。それを避ける為に、『変更をしていない事実』を作り上げて、アレには虚偽を見せる。

 

 アレが視認しない限り『虚構と擬態』は有効な手段になる。自分がアレに従順な存在であると誤認させる事も出来るし、意図的に人を操作する事も出来る。

 おまけに、幾重にも『偽り』を組み込んだ上に『隠蔽』を加えて、魔法自体を隠して有る。

 魔法の痕跡を見つけるのは困難だし、とても複雑な術式だから読み解くのにも時間がかかる。アレに虚偽がバレたとしても、私達が目的を達成した後だ。


「ようやく理解した」

「でも、効果は理解してたでしょ?」

「そうだけど、術式をちゃんと理解しないと、効果的な魔法は作れない」

「何か考えが有るの?」

「あぁ、簡易結界を作った時に思ったんだ。首都を守る結界に細工が出来れば、住民を一斉に支配から解き放てるってさ」

「隠しておければ、なお良しって所かな?」

「そう。ソウマにも相談してたんだけど、上手い方法が見つからなくてさ」

「私に相談はなかったよね?」

「茶々いれんなよ、パナケラ!」

「何よ!」

「何だよ!」

「ほら、また。喧嘩しないの」


 本当に頼もしくなった。イゴーリの様子を見に来て良かった。パナケラとも会えたし。後は軍の様子を確認すれば、方向性を固められる。


「それじゃあ、私はヨルンとヘレイの様子を見に行くね」

「もう行っちゃうの?」

「いつでも会えるわよ」

「私もついてく」

「パナケラは仕事に戻ってね」


 そう言って私は魔法研究所を後にした。会いに行くから待ってなよ、問題児共め。

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