第五章 静藍の秘密

 物腰は丁寧で

 私を時々ドジの巻き添えにし

 病弱でどこか頼りない 

 黒髪碧眼の静藍。

 

 ぶっきらぼうで

 私を殺そうとした奴を豪腕で瞬殺し

 空を飛んでいた

 銀髪紅眼のルフス。

 

 (あの時は頭が混乱していてはっきりと見えてなかったけど、言われてみれば確かに容姿は色違いの双子のようにそっくりだった……)

 

 トクン トクン トクン。

 

 黒縁眼鏡の奥にある青紫色の宝石が自分を見ていると思うと、妙な緊張感が茉莉の身体を支配する。妙に汗ばんだ手を握りしめた。

 

 ルフスとしての彼を初めて見た時、人間離れした力と口元から覗く二本の犬歯と、人を寄せ付けないような冷たい雰囲気に正直背筋が凍る感覚があった。

 絢爛さや爛漫さを秘めた鮮赤の宝石のような瞳は、彼の氷のような美貌に良く似合っている。しかし、その瞳はどこか悲しい色をしていた。静藍の話しと何か関係があるのだろうか?

 

 紅茶のカップを持ったまま固まっている茉莉を、親友が心配そうな顔で見つめてきた。

 

「ねぇ茉莉、大丈夫? 無理そうならやっぱり日を改めて時間を作るようにするけど」

 

 茉莉は首を横に振った。ごくんと喉の奥で唾液を嚥下する音が身体中に響き渡る。

  

「大丈夫。続けて、神宮寺君」

 

 ※※※ 

 

「僕は一度、いじめが元で入院沙汰になったことがあります」

 

「入院!?」

 

 優美の声がつい大きくなる。

 

「僕は見ての通り外見からして軟弱者ですからね。格好のいじめの的だったのだと思います。両親から聞いた話しだと、偶然巡回していた警察に発見されたのだそうです。僕は何者かに暴行された後のようなぼろぼろの状態で倒れていたとか。気が付いたら病院のベッドの上でした」

 

「いじめの犯人は分かったの?」

 

「はい。いじめの首謀者は当時通っていた中学校では割と有名でしたから。彼等は何らかの処分は受けたと聞いていますが、詳細までは聞いてない為、良く分かりません。僕は早々転校する羽目になりましたので」

 

 静藍の話しによると、散々殴る蹴るなどの暴行を受け地面に投げ出された後で“異変”が起きたそうだ。

 自分を痛めつけた生徒達の恐れ慄く声が聞こえ、逃げ出す足音が響いてきた為、最初は誰かが自分を助けてくれたのかと思った。しかし実際はそうではなく、もっと悪い状況に置かれていたのだ。

 

 彼は何者かによって急に目隠しをされ、地面に身体を縫い付けられたまま耳元から謎の呪文を吹き込まれ、左の首筋を牙のようなもの尖った物で刺された。満身創痍の身体であった静藍は抵抗すら出来ず、その者によってされるがままになっていたらしい。その際首元に薔薇の花のような痣が出来たのだそうだ。

 

 ――我が眷属となれ。さすれば我等は最強になれる。共に“屍者の王”となろうぞ――

 

 その者が静藍の耳元で囁いていたそうだ。視覚を封じられている彼は恐ろしいのと身体中に走る痛みで頭の中がどうにかなってしまいそうになった。

 

「……」

 

 二人の少女は言葉が出なかった。

 目の前の少年が人生でそんな過酷な経験をしているとは思わなかったのだ。平穏な日々を送ってきた二人にとっては想像が出来ない。思いを馳せるので精一杯だ。

 ずきりと胸が傷んだ茉莉はクマのぬいぐるみを抱き締めつつそっと盗み見ると、静藍の瞳はどこか虚ろな輝きをしている。彼は続けて何かを言おうとして言葉を引っ込め、そして少し間をおいてから話し始めた。話題を変えたようだ。

 

「因みに両親は僕が吸血鬼化していることを知りません。あまり心配をかけたくないので本当のことは伏せています」

 

 淡々と話す静藍は、普段と変わらないように装っているが、空気が若干張り詰めていた。彼は紅茶のカップに手を出していない。

 

「ただ幸か不幸か、かけられた呪いか術かが中途半端だったようで、僕は完全に吸血鬼になった訳ではないです。半分人間、半分吸血鬼といった状態です。その日から僕は今の“僕”だけではなく、もう一人の“僕”つまり“ルフス”の存在を身体の中に感じるようになりました」

 

「へぇ。ルフスか。ラテン語で“赤”という意味ね」

 

 きっと、瞳の色そのものを指しているのだろうと茉莉は考えた。優美に負けじともっと状況を聞き出すことにする。

 

「つまり、神宮寺君自身は言うなれば半人半妖状態みたいなものということよね? それってまだ人間に戻れる望みはあるということなの?」

 

 静藍は瞳の色を元に戻した。

 

「僕はそう思っています」

 

「その方法は分かっているの?」

 

「一つだけ、探し出さねばならないものがあります」

 

「それは何?」

 

「芍薬姫の血です」

 

「芍薬姫の血……!?」

 

 優美は目をぱちくりさせた。彼女のテリトリー外の情報だったようだ。

 

「あたし初めて聞いたわ。おとぎ話みたいだけど、それは本当に存在するの?」

 

「存在はしている筈です。でなければ奴等が事件を起こす筈がない」

 

 優美はスマホを弄ろうとして、その手を休めた。調べ物をするより、話しを聞く方が大事と判断したからだ。

 

「それって、今起きている事件と関係あるの?」

 

「大いにあります。彼等は僕を完全に吸血鬼化させ、手元に置こうとしていますから」

 

「“芍薬姫の血”が重要な鍵のようね。神宮寺君はそれがあれば元の人間に戻れる。逆に、それは吸血鬼達にとっては邪魔になるわけか」

 

「そうです。“芍薬姫の血”で術を解き、かけられた呪いを浄化すれば、僕は普通の人間に戻れる筈です」

 

 クマのぬいぐるみをベッドに座らせ、茉莉は尋ねた。

 

「それって本か記録にある情報なの?」

 

「当時まだ十二歳だった僕に彼が言っていました。『十七歳の誕生日を迎えるその日までに浄化出来ねば命はない。死にたくなければ自ら人を吸血し、吸血鬼化を完了せよ。唯一“芍薬姫の血”なるものを摂取すれば術は解け人間に戻ることが出来る。だが早々見つかる筈があるまい。諦めて我等の仲間になった方が賢明だ』と。意識が遠くなる中で、それだけははっきりと覚えています」

 

「貴方誕生日いつ?」

 

「八月二十日です」

 

「……あと三ヶ月しかないじゃない!」

 

 二人の少女はぎょっとして顔を見合わせた。優美は危うくスマホを床に落としそうになる。

 

「はい、僕にはもうあまり時間がありません。誰にも相談出来なくて、今まで時間が空いている時に自力で探していましたが見つからなくて現在に至る、というところです。この話しは誰にも話していません。お二人が初めてです」

 

 静藍は左の首元をさすりながら答えた。その瞳はどこか草臥れた色をしていた。

 

 茉莉は目を皿のように広げる。

 

「そんな……どうして……」

 

「僕の中にいる“彼”が覚醒すると、“彼”に肉体が支配されてしまいます。その間、“僕”は意識が殆どありません。門宮さんは一度見ているから分かると思いますけど、彼に身体を支配されている時の僕は戦闘能力が一気に上がります。跳躍力も上がるし怪力で、サイコキネシスも使えるようです。ただ肉体は吸血鬼として非常に中途半端な状態。つまり、強大な力を使うにはこの肉体があまりにも脆弱過ぎるんです。その為、今の状態が続けば続く程どんどん命が削がれていきます。例え吸血鬼化していなくても、エネルギーの消費が激しいようです。だから吸血鬼化すればする程身体がぼろぼろになっていきます」

 

 見た目普通に見える静藍だが、普段体育の授業に参加出来ないのと激しい運動を控えている本当の理由はそれだったのだ。表向きは持病にしてあるだろうが。あまりにも不釣り合いな状態で生きている為、肉体自身に限界が来ている。生に執着していれば否が応でも吸血衝動に駆られる。吸血鬼達は、そのタイミングを狙っているのだろう。茉莉はそう読んだ。

 

「しかし、よりによって何故あなたが吸血鬼にならないといけないのかしら?」

 

 優美は気になっていた質問を静藍にぶつけた。

 

「分かりません。ひょっとすると、僕の弱い“心”が彼等を呼び寄せてしまったのかもしれません。ずっと“強くなりたい”と思っていましたから。そこをつけこまれたのかも。どんな時でも、心を強くもたねばなりませんね」

 

 静藍はどこか寂しそうに笑った。

 彼の表情を見ていた茉莉は底なしの闇に放り込まれていた身体がゆっくりと浮上して来るのを感じた。

 身体中の細胞がわっと一気に目覚め、活性化するような昂ぶりを覚える。

 一気に開花する直前の桜の花は、こんな気持ちなのだろうか?

 何だろう? この感覚は。

 茉莉の雰囲気と表情が変わったのを見た優美は表情を和らげた。

 

「読めたわよ茉莉。あんた、彼を何とかしてあげたいと思っているでしょ?」

 

「……うん。だって、あんまりじゃない。理不尽過ぎる。神宮寺君可哀想だもの。何とかしてあげたい」

 

 優美は親友の背中をバシバシと叩いた。

 

「よし! あたしが力になってあげる。話しを聞いていたら、あたしも神宮寺君に協力してあげたくなってきた。週明けを楽しみにしていてね二人共!」

  

「ありがとうございます」

 

 紅茶で口を潤した優美はスマホを熱心に弄り始めた。誰かに連絡をとっているようである。

 今まで誰にも話せず孤独だったのだろう。静藍はどこか憑物がとれたような表情をしている。

 

 窓の外では爽やかな風が艷やかな緑の葉を揺らしていた。

 

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