35話 ハメロの薬
私はドレアルに引っ張られ、凄まじい速度で空を飛んでいた。
この速度だとかなり強烈な風が吹いているはずだったが、私は特に何も感じなかった。
決闘を終えたばかりの私の身体を気遣ってくれたのか、彼の魔力は私の身体を包み、強風から守ってくれているようだった。
前方を見るに、我々は研究棟の上層部に向かっているようだ。
振り返ると、少し遅れて他の教授もついてきていた。
空を飛ぶ。
これはスキルではなく、レベル60の守護者が自然に会得できる特殊な能力だ。
肉体が高度に魔法と結合している彼らは、厳密に言えばもはや人ではなく、一種の魔法生物だ。
レベル70の障壁を突破した暁には、文字通り神への第一歩を踏み出すことになる。
一般的には知られていないが、レベルを上げるということは、神へ近づくことと同義なのだ。
我々は瞬く間に研究塔の上層部にある、バルコニーのような開けたスペースにたどり着いた。
彼らはここから私とコールスの決闘を見下ろしていたのだろうか。
高さから見るに、ここは教授エリアなのだろう。
窓の向こう、研究棟の中では白を基調としたローブを着ている学者たちがぶつぶつと何かをつぶやきながら、せわしなく移動していた。
中にいる学者たちは皆戦士としての才能は凡庸だが、魔法学の才能を認められて教授の研究の手伝いをしている天才たちだ。
再び私を囲み、注視する教授たち。
最初に口を開いたのはイカルドだった。
「さっきの力、もう一度使ってみろ」
さっきの力、というのは、私がコールスとの決闘で使用した力のことだろう。
どうやら教授たちは私の予想通り、この力に興味を持ってくれたようだ。
才能を示し、教授の興味を引き、あわよくば弟子になることでフォルダン家の重みを上げる。
それが私が教授たちが決闘に興味を示したと知った時の考えであり、イオの提案を受け入れたもう一つの理由でもあった。
もちろんいかに教授の個人の武力が強大だとしても、大貴族同士の政争に介入するほどの影響力はない。
結局いくら個として強くとも大貴族から見れば平民は平民でしかなく、帝国の真の支配階級である大貴族たちと比肩しうる地位には決してなれないのである。
神域に踏み入れば別だが、そういう存在はまた別の規則に縛られることになる。
しかしそうは言っても弟子の命を守ることくらいは出来るはずで、万が一私が全てに失敗してフォルダン家が原作通り滅ぼされるとなった場合でも、生涯イルシオン学院を出ないと誓いを立て、更に見返りとして力の源である日本剣術を差し出せば、学院の庇護を受けて生き残れる可能性は十分にあるだろう。
そこから原作知識を活用して復讐することも、全てを忘れて研究者になることも出来るはずだ。
これは保険とも言える一手だった。
それに無事に第一章を乗り越えた後も、原作中盤から後半にかけてインフレし、激化していく戦いにおいて教授の庇護は大きな効果を発揮するはずだ。
ついでに彼らの指導も受けられることだし、まさに良いこと尽くしだといえた。
そういう理由もあって、私は教授たちに力を見せることには前向できはあったが、いかんせん精神力がすでに底を尽きていた。
コールスを殺すだけならもう少し早く決着をつけることも出来ただろうが、殺さずに辱めなければいけないという都合上、ギリギリまで力を稼働させ、彼を肉体的にも精神的にも痛めつけていたのだ。
私が苦笑いしてそれを伝える前に、ハメロが瓶を投げてよこした。
「それを1錠飲みなさい。
気付けになる。
後の反動もきついけど、後遺症はないよ。
……多分ね」
瓶の中には白い錠剤が入っていた。
ハメロの多分、という言葉が非常に気になったが、私はためらいなくそれを噛み砕いて飲み込んだ。
ハメロは非常に危険な存在だが、原作を知る私は、彼が学院長との取り決めを破ることは決してないと知っていた。
私が学院生である以上、彼が私に危害を加えることはないだろう。
それに学生である私は教授の要求を断れるような立場にはない。
どういう成分が含まれているのだろうか、私は急激に頭が冴えていくのを感じた。
「おお……」
あまりの心地よさに、私は思わず声を漏らした。
「ああそうだった、それは結構中毒性が強くてね。
でも大丈夫、初回の離脱症状は3時間程度で収まるはずだよ」
ハメロは目を細め、ニヤリと笑った。
「残りはあげるよ。
足りなくなったら、僕の所に来ればいい。
ちょっと実験を手伝ってくれたら、欲しいだけあげるよ」
前言撤回だ。
ハメロは非常に危険な存在であり、私が学院生であっても、彼は約束を破らないギリギリの方法で私を実験台にしようとするだろう。
「やめんか、ハメロ。
せっかくの天才を壊してどうする」
抗議の声を上げたのはドレアルだ。
メリルは僅かに眉をひそめてはいたが、特に何も言わなかった。
イカルドは我関せずな態度をとっていた。
三者三様の態度は、彼らが私に対する好感度の表れでもあった。
ドレアルは熱血漢であり、若い頃には貴族の助けも借りて成り上がったために貴族への嫌悪感もなく、私のことは将来有望な生徒だと好意的に見ているはずだ。
一方でメリルはハメロのやり口に対する不満はあれど、主人公であるロイたちと親交のある彼女からすれば、彼らと揉め事を起こした私の印象は良くないだろう。
そして貴族嫌いのイカルドは私の力にしか興味はなく、ハメロがどういう手段を取ろうとも、最終的に研究結果さえ手に入れば良いと考えてるに違いない。
ドレアルの言葉はありがたかったが、私は彼に向かって首を振った。
「いえ、大丈夫です」
そしてハメロに礼を言った。
「ありがとうございます」
ハメロは気を良くしたようだった。
「どういたしまして」
ハメロの言う中毒性はともかく、この薬はかなり強力だ。
精神力を回復する薬草や魔法薬というのは、種類は少ないが存在するし、学内ポイントで交換することも出来る。
しかしこれほどの即効性と効力を兼ね備えるものは見たことがない。
これがあれば、力の使いすぎで精神力を使い果たして窮地に陥っても、一度なら全回復できる。
使い方によっては戦況をひっくり返せる切り札になるだろう。
私は剣を抜いた。
イカルドは私の正面に立った。
「わしに斬りかかれ。
遠慮はする必要はないぞ」
イカルドの態度から、私の攻撃などでは傷つくことはないという絶対的な自信が垣間見えた。
実際その通りだ。
レベル29の私とレベル60台である彼との間には、天と地ほどの差がある。
それはちょっと特殊な能力がある程度では決して埋まらない、絶対的な差だ。
私はうなずいた。
「わかりました」
私は構えを取り、精神を集中させた。
そして力を発動し、斬撃を繰り出した。
コールスをズタズタにした不可思議な力を帯びた強力な斬撃を、イカルドは指一本で迎え撃った。
伯爵家の跡取りである私の剣は当然ながらそこら辺にある凡鉄ではない。
ドラゴンの素材をふんだんに使用した村正ほどではないにしろ、それなりの名剣だ。
その切れ味と謎の力も加わった斬撃は、レベル30台の防御に優れるドラゴン系の魔物の鱗すらも切り裂くはずだ。
イカルドの指は一瞬黒く光ると、私の剣と、片方が肉体だとは思えないような金属音を立てながら衝突し、そして剣を一方的に弾いた。
たたらを踏んで後退りした私とは対象的に、イカルドは平然としており、感触を確かめるかのように指先を擦り合わせながら言った。
「間違いない。
弱々しいが、真髄の波動だ。
この小僧、覚醒してる」
そしてイカルドは眉をひそめて少し考えた後、訂正した。
「……いや、しかけてる、が正しいか?」
イカルドの言葉は私の腑に落ちるものだった。
真髄。
原作での描写とは随分違うが、確かに私の力と最も性質の近い力だといえるものだった。
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