22話 ロイの剣

「父さん。

 今が絶体絶命のときだよね」


 ロイはついに背中の剣の封を解いた。

 それは一見何の変哲もない、標準的な騎士剣だった。


 ロイは剣を手に駆け出した。


 原作によると、これはロイが初めてあの剣を使う場面だ。

 彼自身もあの剣がどれほどの威力を持っているのかは知らないはずだ。

 みんなを守るという信念と父への信頼が彼を突き動かしていた。


「うぉおおおーー!!」


 全員が彼に注目していた。

 しかし私を除く全員が期待をしていなかっただろう。

 ロイを信じていないわけではない。

 敵はあまりにも強すぎるのだ。


 ――光が溢れた。

 それは闇を切り裂き、邪を払う正義の光だった。


「聖剣……!!」


 近くにいた誰かが思わず、といった感じで言葉を漏らした。


 聖剣。

 神域に至った聖騎士が長年使用した武器に、その正義の意志と魔力が染み付いた結果生まれた特殊な武器だ。

 それは死霊術や魔人の邪悪な魔力に対して強い制圧力を持っており、神話やおとぎ話に出てくる勇者の武器としても広く知られている。

 強い正義感を持つ者でないとその力を発揮できない特性も有名であり、聖剣の担い手は常に周囲の尊敬を集めるものだ。


 ロイを攻撃しようとした怪物は、その聖剣の放つ光に恐れをなしたように防御態勢に切り替えた。


 聖剣の光に希望を見いだした冒険者たちは叫んだ。


「「「いけーーー!!!」」」


 その応援が聖剣に伝わったのか、その光は一層強さを増した。

 怪物はその光に焼かれ、悲鳴を上げながら融け、内部のコアである肉塊を外気に晒した。


 ロイは肉塊に聖剣を突き立てた。

 肉塊は煙を上げながら激しくうごめき、そして――聖剣に吸収された。

 その奇妙な出来事に人々が疑問を抱く間もなく、コアを失った怪物の身体は爆発した。


 屍が融けてできた汚水は強烈な勢いで噴出し、津波を形成し、我々に襲いかかった。

 運悪く近くにいた冒険者数人がもろにそれを被り、悲鳴を上げながら融け、絶命した。

 その汚水は強力な腐食性を持つ劇毒だった。


「母なる世界樹よ、我々に加護を」


 凛とした声を発したのは、この戦いでここまではほとんど空気だったソフィだった。

 彼女は擬態を解き、真の姿を露わにしていた。

 それは神の偏愛としか思えないほど美しい横顔だった。

 彼女は手に一本の枝を持っていた。


 どこにでもありそうな枝。

 何の魔力も纏っていない俗物。

 しかし何故か見るものの目を捉えて離さない不思議な魅力を持つそれは、エルフ族の秘宝である世界樹から手折ったものだ。


 ソフィは世界樹の枝を汚水に向かって放り投げた。

 枝は汚水と接触した瞬間、その接触点を中心に凄まじい速度で浄化を始めた。

 津波のように押し寄せてくるドス黒い汚水がみるみるうちに透明の澄んだ清らかな水に変わるその様は、正に奇跡としか言いようのない光景だった。


 しかしどんなに凄まじい速度だとしても、カバーが間に合わない範囲はあった。

 運悪くその範囲内にいた面々の中にはゼラもいた。

 足を怪我をして走れない彼女は、呆然と自分に迫りくる汚水を見つめていた。


「ゼラ!!」


 叫んだのはゼラのパーティーメンバーだった。

 ギリギリ安全圏にいた彼らはゼラを守ろうと己の命を顧みず飛び出した。


「だめ!

 来ないで!!」


 いつもはゼラの命令に従順なメンバーたちだったが、今回は彼女の制止を聞くものは1人もいなかった。


 ゼラを支えて安全圏に連れて行こうとする者。

 彼女の前に立ち、その身で時間を稼ごうとする者。

 必死に手を伸ばすも間に合わない者。


 感動的で、悲劇的な場面だ。


「ほらな、フラグだったろ?」


 私はと言えば、あの日、焚き火の前で己の過去を語るゼラの姿を思い出していた

 決戦前にああいう感動的な思い出話はしてはだめなんだ。

 こういうことになるんだから。


 絶体絶命の状況。

 迫りくる劇毒の津波を止める手段など誰にもない。


 ――この世界の異物である私を除いては。


 仮病していた私は倒れた状態から、軽業を応用した加速法で一気にトップスピードまで加速し、汚水とゼラたちの間に割り込んだ。

 柄に手をかけ、魔力を流し、脱力状態から一気に全力へ。

 それはただの居合ではなかった。

 今までにも何度か使ってきた、私が独自にアレンジした特殊な抜刀術だ。

 斬撃を放つ際に僅かに手首に振動を加える事によって、放たれる剣気を鋭いものから鈍いものへ変える技法だ。


 放たれた強力な剣気に内包された風の魔力は空中で爆ぜ、強力な衝撃波は正面の汚水を残らず吹き飛ばした。


 斬撃を放った私は膝をついた。

 面具の下側から血が流れ出し、制服を汚した。


 この面具はよく出来たもので、吐いた血が詰まって呼吸を阻害しないような作りになっていた。

 日本刀といい、和風防具といい、フォルダン家お抱えの鍛冶屋は有能だ。

 そんな事を考えながら、私は痛みから意識をそらした。

 痛いのは嫌いなんだ。

 前世の日本人としても、イルク・フォルダンとしても。


 今度は仮病ではない。

 本当にダメージを受けた。

 だが原因は技による反動ではない。

 私は自身の魔力フローを強引にかき乱すことで自分の体を傷つけた。

 つまりは自傷だ。

 こうして多大な犠牲を払う必要のある禁術だと見せかけることで、どうして怪物に対して使わなかったのだという疑問を打ち消す必要があった。


 前世も今世も今までこれほどの傷を負ったことはなかった。

 多少の好意を持っている程度の少女のためにこんな犠牲を払うというのは、貴族の視点から見ると馬鹿らしいことだ。

 だが侍仮面としての私は、どうも前世の日本人としての感性の方が強く出ているようだった。

 それがいいことなのかどうかは分からないが、計画に支障が出ない限りは自制するつもりはなかった。

 前世の私もまた私だ。


 駆け寄ってきたゼラたちに囲われ、私は邪気が払われたことでようやく姿を表した夕日を見上げた。


 少し眩しかった。

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