9話 招待状

 どれだけ深い眠りにつこうとも、戦士の覚醒は一瞬だ。

 これは地道な訓練の賜物であり、時には危険なダンジョン内で睡眠を取ることも多い戦士にとっての必須技能でもある。


 身体を起こした私に合わせるかのように、隣で寝ていたサリアも起きてきた。

 彼女と私は「そういう」関係だ。

 男性貴族の身の回りには大抵彼女のような存在がいるものだ。

 彼女らは思春期に突入した主が修行に集中できるよう導く役割と、万が一寝込みを襲われた時には身を挺して主を守る役割を担っている。

 実にけしからん風習だが、拒む理由が思いつかなかった。


 サリアに服を着せてもらい、彼女が運んで来た朝食を頬張る。


 ゲイルは隣の部屋で瞑想しているだろう。

 レベル50というのは一つの節目だ。

 その域に達した戦士の体内の魔力濃度は一定水準を超え、肉体が変質し、魔法生物に近くなっていく。

 ドーピングという手段で無理やりその域に達したゲイルのような存在は魔力親和性に欠陥を抱えており、時間が立つにつれ身体から魔力が流出してしまう。

 レベルが49に戻ろうとしてしまうのだ。

 なので彼らはレベル60の存在にはなれないし、レベルダウンを避けるために多くの時間を鍛錬に費やす必要がある。

 ゲイルは私の命令がない時は基本、食事と瞑想と武術の鍛錬を淡々と繰り返す生活を送っている。


 今日は私も所属している、このイルシオン学院の入学試験の日だ。

 つまり主人公がメインヒロインと会遇し、原作が大きく動き始める日でもある。


 イルシオン学院。

 それは帝国建国期に皇帝の右腕として活躍した伝説の将軍イルシオンの名を冠した、帝国有数の人材育成施設。

 ここでは帝国全土から厳選された才能ある若者が日々最先端の魔法学や戦闘技術を学び、研究している。


 入学条件の最低ラインは15歳でレベル19に到達していること。

 卒業は年齢ではなく、レベル40に到達したかで決まる。

 また三年ごとに厳しい査定があり、レベル40の希望なしと判断された者はその時点で退学となる。

 順調に卒業できる生徒は5パーセント未満だ。


 これはかなり厳しい条件だ。

 この世界のレベルというのは、前世でいうRPGゲームのシステムとは大きく異なる。

 レベルはモンスター討伐による経験値入手ではなく、食事などの行為で魔素を体内に取り込み、瞑想で魔力に精錬することによって上がるものだ。

 その速度には個人差があり、この差こそが才能と呼ばれるものである。


 また、10レベルごとにレベル障壁と言われる、体感で言えば壁のようなものが存在し、これを突破しなければ次のレベル帯に足を踏み入れられない。

 レベル障壁を突破することは容易なことではない。

 戦士たちはそのレベル帯で魔力を極限まで貯め、貴重なレベル障壁突破用の薬品や補助魔法具を用意し、万全を期して挑む必要がある。

 その成功率はレベルが上がるにつれ低くなり、また、挑戦に失敗する度にも下がっていく。

 そのため、早々にそのレベル帯の限界まで成長したにもかかわらず、レベル障壁に阻まれて落ちぶれていく天才少年も少なくない。


 そんな厳しい条件の数々だが、それらをクリアして学院に在籍するメリットはとても大きい。

 イルシオン学院を始めとする各学院では、内部で受けられるクエストをクリアすることで得られるポイントで、外界では入手困難な様々な薬品や素材を購入できる。

 それは神龍の鱗のような神域級の素材から、レベル障壁突破の確率を大幅に上昇させる秘薬まで、外界ではいくら金を積もうが手に入れることのできない貴重な品々だ。

 この資源こそが我々貴族がわざわざ家を出て学院に通う理由でもある。


 朝食を済ませると、ドアがノックされた。

 サリアはドアを開けて来客を確認した。


「トーマス様たちが来られました」


「通せ」


 入ってきたのは三人の学生だった。

 学院内では基本制服の着用と家紋バッジの禁止が義務付けられているため、彼らは見た目からはわからないが、皆貴族だ。

 これは出来るだけ学生たちに身分階級を意識させないための措置であり、実際効果も悪くはない。

 しかしそれでもフォルダン家のような実際に領地とそこでの自治権を持つ実権貴族の子息と友情を結ぶことで家督争いで優位に立ったり、自らの家に貢献しようとする向上心のある一部の貴族学生も当然おり、また、家同士が敵対していると当人たちも互いに敵意を持つなど、貴族たちを中心とした学生間での派閥争いは絶えない。


 入ってきた3人は私の前に並ぶと、貴族礼をした。

 右から、トーマス・アデラン、ミッシェル・コースキン、アイン・ルーゲル。

 彼らはそれぞれ男爵家の長男、長女、次男だ。

 彼らは私をトップとする派閥の主要メンバーたちだ。

 フォルダン家は伯爵家の中でも有力貴族であり、何より13歳でレベル20になった私の名声は大きく、万が一にも私がレベル60以上の聖域に踏み入れられれば、公爵家になることは必然。

 私に取り入ろうとする弱小貴族たちは後を絶えず、その規模は公爵家の子息のそれに迫る。


 口を開いたのはコースキン家長女のミッシェルだった。

 彼女はきれいなブロンドヘアーを持つ少女だ。

 僅かにあるそばかすは若々しさの象徴であり、それはそれで良いと私は思うのだが、どうやら本人は気にしているらしい。


「クエスト、無事完了しました」


「ご苦労だった」


「今回のポイントです」


「ありがとう」


 彼女が差し出した学生証に、私は自分の学生証を重ね、魔力を流した。

 このカード型の学生証は本人証明とクエスト履歴管理、ポイント管理などの機能を持つ魔法具だ。

 当然、この薄いカード自体にそういった複雑な魔法陣が刻印されているわけではない。

 というよりクエスト履歴管理のような都合の良い魔法陣など存在しない。

 学生証は一種の通信装置であり、これを通して処理要請が事務部に送られ、そこにいる事務員たちが処理するのだ。

 因みに冒険者ギルドのギルドカードも同様の仕組みになっているらしい。


 僅かな白い輝きの後、私の学生証には幾つかのクエスト履歴とその報酬ポイントが追加された。

 もちろん昨日帰ってきた私がそのクエストに参加していたはずもない。

 これは偽装だ。

 私が万が一にも帝国辺境で活動している謎の侍集団と結びつかないためのアリバイ工作だ。


 私はミッシェルに微笑みかけた。


「いつも助かる」


 ミッシェルは頬を赤らめた。


「当然のことをしただけです」


 王道系主人公特有の鈍感さを持っていない私は、ミッシェルが私に向ける淡い恋心に気づいていた。

 もっとも、それは何も彼女だけではない。

 自分で言うのも何だが、私は眉目秀麗で前途有望な伯爵家嫡子だ。

 つまりは、かなりモテる、ということだ。


 恋する少女は盲目。

 ミッシェルのような少女は忠誠心が強く、扱いやすい。

 コースキン家もそこそこ力のある男爵家であるため、彼女は私のお気に入りだ。


 私は彼らに座るよう勧めた。


「私がいない間、何か起こったことは?」


 答えたのはトーマスだ。

 彼はアデラン家の長男だが、正妻ではなく側室が生んだ庶子である。

 長い間アデラン家の男児は彼だけだったため、地位は盤石だったが、一昨年に正妻が二人目の男児を生んでからは風行が怪しくなっていた。


「先週、ダイアンがダンジョンで命を落としました」


「……そうか」


 学院というのは戦士育成機関だ。

 優れた戦士は瞑想学、魔法学、戦闘技能学などの座学や模擬戦闘のような安全性の高い訓練だけでは育てられない。

 学生たちは学院が用意したクエストを受け、ダンジョン攻略や賞金首狩りなどの実戦に出る必要があった。

 その実戦で己の価値を証明し、報酬としてポイントをもらうのだ。

 クエストには事前に学院による調査が入っており、できるだけ詳細な情報の記載と難易度評価がされているため、死亡につながるような事故は少ないものの、それでも完全にないわけではない。


 ダイアン・クトイフ。

 私の取り巻きの一人だった少年だ。

 彼は没落貴族であるクトイフ家の一人息子だったと記憶している。

 イルシオン学院に入学できるほどの才能を持っていた彼は、一家の希望を背負っていたはずだ。

 クトイフ家は今頃彼の訃報で絶望のどん底に叩き落されていることだろう。

 私はクトイフ家の暗い未来を一瞬だけ想像し、次の瞬間には記憶の隅に追いやった。

 親しくもない取り巻きのために悲しむほど、私は暇ではない。


「それとコグルとドイルがまた揉め事を起こしたようです」


 それからは貴族間のつまらない対立の話だ。

 取り巻きたちは私に従い、利益を献上する。

 そのかわり私は彼らの面倒を見てやらなければならない。

 派閥とはそういうものだ。


 一時間ほど経った頃だろうか、再びドアがノックされた。

 来客に対応しに行ったサリアは、少しすると一枚の招待状を持ってきた。


 招待状の差出人はテレオ・クライオス。

 原作第一章のラスボスである帝国に巣食う巨悪であるクライオス大公家の、その一員だ。

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