夏休み②
「・・・・・」
結構な長い時間。
悠木は黙々と、夏期講習のテキストを読み込んでいた。
悠木の頭なら、全問解く事なんて容易い事だろう。
おそらく、出題の傾向に、興味を惹かれているのだと思う。
帰国した翌日。
悠木は土産を手に、俺の家にやって来た。
そして、じいちゃんとばあちゃんに挨拶を済ませるなり、夏期講習のテキストを見せろと宣う。
悠木の手元の玄米茶は、既に3杯目。
しばらくは黙って悠木の側に座っていたものの。
どうにも我慢ならなくなり、俺は悠木に声を掛けた。
「なぁ、悠木」
「・・・・なに」
悠木はテキストから顔も上げない。
そして、恐ろしく機嫌が悪い声だ。
でも、そんな事など、最初から分かっている。
俺には、取っておきの切り札があるのだ。
「海、行かないか?」
「・・・・はぁ?」
「バイクで」
とたん。
悠木がテキストから顔を上げた。
「ちょっと気分転換、付き合ってくれないか?」
「うん」
頷きながら、悠木は既にテキストをテーブルの上に置いている。
先ほどの機嫌の悪さも、どこへやら。
そそくさと、日焼け対策の長袖パーカーに腕を通している。
そんなに楽しみだったのか?
もっと早く乗せてやれば良かったな。
悠木の姿に噴き出しそうになりながらも、俺も支度を整える。
大きな緊張感を、胸に。
1つは、悠木を後ろに乗せて走る事の緊張感。
もう1つは-。
「じゃ、行くか」
「うん」
悠木は赤いヘルメットを手に、嬉しそうに笑って頷いた。
少し迷って、俺は悠木に両肩に捕まるように言った。
特にスピードを出すつもりも無かったし、悠木にとってもその方が乗りやすいんじゃないかと思って。
・・・・藤沢ならともかく、いきなり腰を掴ませるのも、な。
安定を考えるなら、腰の方がいいのかもしれないけど。
・・・・俺的には、しっかり体に捕まって貰う方が、もちろん嬉しいけど・・・・って、いやいや、そんなこと、ない、断じてないぞっ!
『基本、後ろの奴は荷物と同じ』
練習に付き合ってもらった時、藤沢がそんな事を言っていたような気がする。
確かにそうだと、俺は思った。少なくとも、悠木は藤沢より遥かに大人しい『荷物』だった。
わーきゃー声を上げる事もなく、ただ静かに、後ろに乗っていた。
出発したのが遅かったせいか、海にはもう、それほど多くの人は居なかった。
俺達は、砂浜へ続く階段の途中に並んで腰をおろし、海を眺めた。
「なぁ、悠木」
「なに」
海を眺めている悠木の声は穏やかだった。
バイクの後ろに乗れて満足だったのか。
今こうして眺めている景色が気に入ったのか。
理由は俺には分からないけど。
「俺、実は藤沢から聞いてたんだ。俺のじいちゃんとばあちゃんと、悠木の関係」
「そ」
何でもない風に答えながらも、海を眺めていた悠木の睫毛が、ゆっくりと伏せられる。
【じいちゃんとばあちゃんと悠木の関係】とはつまり、悠木が【変質者に連れていかれそうになった】事。
幸いな事に何も無かったとは言え、あまり人には知られたくない話であることに、違いはないだろう。
間違いなく、悠木にとっては、大きな心の傷だ。
でも俺は、俺が知っている事を、悠木に知っておいて貰いたかった。
そのうえで。
伝えておきたかった。
俺の、気持ちを。
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