『おかわり、ネモさん』
やましん(テンパー)
『おかわり、ネモさん』
『これは、フィクションであり、この世の中のあらゆるものとは、まったく、関係がありません。』
首都圏郊外の、小さな港町の居酒屋である。
この店に、欧州人らしきがまとめて現れることは、そう多くはない。
気品のある、背の高い女性が、日本語も堪能なようすで、店とのやりとりを仕切っていた。
ほかの人たちは、さらに大きい。
店員も、店主も、空を見上げるようになる。
座敷の入り口は、彼らの頭には、明らかに、低すぎて、つっかえてしまう。
店主は、この連中が、多少変わってはいても、船乗りであると、見抜いていた。
海の香りがするからである。
『おまたせ、おさしみてんぷらセットの極上です。』
店主の娘さんは、はきはきとした、少しまるっこい感じの、でも、大変に親しみやすい雰囲気であった。
大皿に、大量のおさしみが、盛られていた。
真ん中には、巨大な魚が半分削られて、空を見つめて、鎮座している。
『ども。あらがとう。おさしみ、すてきねえ。』
その女性は、楽しそうに答えて、さらに、こう付け加えた。
『おう~~~~。ビューティフル、さしみ。ワンダフウ~~~~!』
『てんぷらは、もすこし待ってください、いま、揚げてるから。』
『おっけ~~~~。さあさあ、みんな、おさしみですよおお~~~~。』
ネモ船長さんは、どうやら、食べ慣れているのか、関心がないのか、顔色ひとつ変えない。
『しかし、こうして、ひとりも欠けることなく集まったのは、目出度いですわあ。ね、船長。 』
『ああ。』
船長と呼ばれた男は、それだけ答えて、だまってしまった。
早い話、船長は、無口なのだ。
深海潜水母艦『ノー・チラス』は、『チラシズシ』という言葉から、船長により、命名されたらしい。
意味は、誰にも、よく分からない。
こいつは、海水を、高率にエネルギーに還元する驚異のシステムを持ち、いつまでも沈んだままでいられる、超高性能潜水艦である。
太平洋も大西洋も、その深海にまで到達できる。
深い海溝の底までには、さらに小型艇を出すことが可能で、マリアナ海溝の底にも達することができる。
おまけに、今回の改修工事により、宇宙空間に出ることもできるようになる、つまり、宇宙船にもなるのだあ。
そうして、時空を超えることも、出来るはずであった。
この改修は、秘密裏のうちに、とある、人類ではないものたちの、秘密工場で行われていた。
乗組員たちは、分散して、秘かにアルバイトなどをしていたが、これは、法律的には、かなり危ない行為であった。
彼らは、正規のパスポートもビザも持たないからである。
しかし、逮捕されるものもなく、こうして全員が集合できたのだ。
その影には、ある、協力者の存在があったのだが、それは、秘密事項である。
『いかがみなさん、ここのお刺身は、天下一品よ。てんぷらは、宇宙一とい言っていいわ。』
『あねさん、確かに、この小さなカップの中身は、やけに、こりこりして、うまいが、これは、なんですか?』
『あらあ、それは、ここの名物の、なまこです。付け出しとか、お通しとか。ね。』
『げ! なまこ・・。。。。』
『はい~~~~。ここの港に上がったものよ。船長、いかが?』
『うん。』
『それだけですかあ?』
『うん。』
『はあ、船長は、寡黙だから。』
『うん。』
これが、この人のスタイルなのである。
彼は、これまで、ひたすら、謎の古代巨大魚、ダンクレオステウスを追跡しつづけてきた。
これには、奥に秘められた、恐ろしい悲劇があったらしい。
あねさんは、うすうすは、知らないわけでもなかったが、誰にも話したことはない。
船長は、このデボン紀に現れ、石炭紀には絶滅したとされる、食べ方の要領が悪い巨大魚に、深い恨みがあった。(噛み切る力は強いが咀嚼できなかったらしい。骨とかの残りものは、げーげーと、吐き出していたのだとか。)
あねさん以外の船員は、そうした話は知らないし、たいして興味もなかった。
みな、社会から追われた連中である。
海の底にだけ、生きがいがある。
それが、こうした居酒屋に現れるのは、またく、妖怪変化と変わらない。
あねさんは、お箸で、巧みに食しているが、ほかの皆は、船長も含めて、ナイフと、フォークでさしみを切り刻み、ぶっすりと突きさしていた。
それでも、ここの店主は、お構いなしである。
彼は、食べ方には頓着しない。
どうやって食べようが、客の自由なのだ。
そうして、ついに、てんぷらも登場したのである。
ごはんも、付いてきたのだあ。
『これはあ、なんだああ!』
乗員の一人が叫んだ。
『てんぷらです、よお。小麦粉で、どんな食材もくるんで油で揚げてしまう、究極の料理です。さしみは、なまのままが基本。でも、素材や、その切り方で、お味が変わってしまう。まさに、異次元の食材ですよお。たたきにすることもある。』
『あねさん、良くご存じで。叩くんですか。』
『そう、ぶったたく。』
『彼女は、このあたりの生まれだ。昔のことだが。』
船長が、ぽつんと、小皿に言い落とした。
『船長、無口なくせに、一言、余計ですわ。』
『はやあ~~~~~。それは、初耳ですぜ。』
船員のひとりが、驚いた。
『そおんなこと、忘れたわ。先史時代よ。あたしはね、遥かな彼方の、移住者だった。まあ、それだけよ。』
『みな、そうですぞな。』
最長老の副長が、やや、寂し気に、言った。
『まあね。こんなことは、もう、あと1000年はないわよ。我々は、みな、干からびたミイラみたいなものよ。ゾンビとか言われる。』
『〈さまよえるオランダ人〉、みたいなものさ。』
『船長。なんだ、それは?』
『ワーグナーさまの歌劇、船長は、初演を見たらしいの。』
『わ。わ。わぐな、ですかい。』
『ワーグナーね。』
『そりゃあ、食い物ですかあ?』
『だから、歌劇よ。』
『まあ、ひじぃように、過激なものですな。』
副長が、分かったようなことを言って、自分で納得していた。
『そう。』
船長が答えた。
それから、彼は、さしみも、てんぷらも、一気に、たっぷりと食べ、大きなお茶碗のごはんも、あっさりと平らげた。
そうして、
『おかわり。』
そう言ったのである。
翌日の朝、彼らは、断崖の下にある、外部からは見えない、深い洞窟から、遥かな海に出て行ったが、その行方は、だれも、知らない。
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お し ま い
『おかわり、ネモさん』 やましん(テンパー) @yamashin-2
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