第2話 2019年―③
母の依頼通り、慣れた手つきでスマートフォンを操り、父、一念に電話をかける日和。
プププップププッ、と特有の呼出音の後、誰もが聞きなれているプルルルルッという呼出音が、一念を呼び出している合図を告げる。
「テケテンテン、テケテケテンテン・・・」
すると、一秒の間も開けずに、寄席の出囃子のような着信音が、どこからともなく流れてきた。
「ん?」
「ん?」
怪訝な顔で見つめ合う母と娘。
二人は立ち上がり、場をわきまえない音色を辿る。
すると、ほぼ同時で、二階から慌てて階段を駆け降りる足音が聞こえてきた。
「ん!?」
「ん!?」
足音はそのまま、眉をしかめる二人の間を通り抜け、呼出し続ける出囃子へと一目散に駆け寄っていった。
「電話、電話!」
その瞬間、妻と娘、二人の時間が止まる。
そして、二人の心は今、シンクロした。
!いるじゃん!パパ!
!いるじゃん!パパ!
二人して行方を案じていた、父、降臨。
一方の父は、鳴り止まないスマートフォンを手に取り疑問を抱えた。
「え?」
画面に表示された“
あれ?の言葉とほぼ同時に父は振り向く。
つかの間の沈黙の後、スマホの着信音同様、漂う空気を読み取らない持ち主の一言が二人の時間を再び突き動かす。
「・・・・・なに?」
「なにじゃない!」
「なにじゃない!」
ハモる
動き出した
「え?・・・え?・・・。」
!怒っている・・・。
なぜだか二人は怒っている。
そしてその怒りの矛先は恐らく、いや、間違いなく僕だ。
でも、なぜ?
現状理解不能な一念。
だがここはひとまず、この場が治まればと、いつものように訳が分からないままに詫びを入れる。
「ゴメン・・・。」
「ゴメンじゃないわよ、もう・・・。」
毎度のことながら、自身の過ちに気づいてなくとも、とりあえず謝ってしまう夫の姿勢に少々の苛立ちを覚えながらも、あえてそこには触れず、無事に戻ってきてくれたことに安堵する千日と日和。
「パパどこ行ってたの?」
ソファに腰を落とし、スマホをいじりながら日和が尋ねる。
「え?・・どこって、パパ・・。」
「どこ行ってもいいけど、出かけるときはせめて一言頂戴ね。」
日和との対話を、待ち切れない千日が、一念の言葉を遮る。
「え?」
割って入った千日の言葉が、またも理解しえない様子の一念。
「なんにも言わないで出てっちゃうから。パパ。」
「パパなのに珍しいねって、ママと話してたんだよ。」
二人の言うことに頭が着いていかないまま、身に覚えのない抗議の銃弾を浴びせられる一念。
気が付けば、白状しろ!と言わんばかりの四つの瞳に捉えられていた。
「いやいやいやいや、ちょっと待って!」
焦る一念。
「パパどこも行ってないよ。ずっと二階で窓拭いてましたよ。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
時は流れる。
数多家の人々を置き去りにして。
一念の言葉を理解するのに、二人は少々時間がかかってしまっているようだ。
「もしもし?聞こえてる?」
今日は電波がしょっぱいようだ。
二人の動きがよくフリーズする。
「うっそぉ!」
画面中央のグルグルが消え、千日がようやく喋りだす。
「だってあたし聞いたよ。パパの声。」
「どこで?」
「お風呂場で。」
「お風呂場?」
「うん。お風呂掃除してる時。おもてからパパの声聞こえたもん。」
口をキュッと尖らせて、まるで三歳児が拗ねたように頬を膨らます四十代後半の妻。
そして、そんな妻が、身をくねらせてしまいたくなるくらい可愛く思えるやられた夫。
「んー・・でもそれさ・・・。」
それでも自身の身の潔白は晴らさねばと、千日を気遣いやんわり否定を知らせる。
「それさ、きっと、パパじゃないと思うなぁー・・・現にパパ、二階から降りてきたよねぇ・・・あ、ママが間違っているとか、そーゆーこと言ってるんじゃないんだよ・・・うん。」
口を尖らせ俯く年甲斐もない千日を傷つけまいとしているのはわかるが、なんだか情けない弱腰な父。
そんな父の姿と母の姿を目の当たりにして、娘はふん!と鼻を鳴らした。
「なんだそりゃ!」
たしかに、“なんだそりゃ!”だ。
「ま、あれか。要はママの聞き違いとか、勘違いとか、早とちりとか、そーいった類いだな。」
中学生にして棘のあるこの言い草。
「はるちゃん!言い方!」
そんな、つっけんどんな娘の態度を父が窘める。
「いいわよ!」
恨めしそうに口を尖らせ娘を見詰める母。
「いい!ママが悪かったのよ!全部ママが悪かったの!」
普段使っていない筋肉がこわばり、元に戻らなくなってしまったためか、キュッと尖らせた唇のまま、ドン!と力強く千日は腰を落とす。
「ママもそんな・・・・・。」
いったいいつから、我が家の空はこんなにもピリピリとしてどんよりとした、重く苦しい空になってしまったのだろうか・・・。と考える余裕も与えられず、テーブルに項垂れる千日に手を焼く夫。
更に娘は、追い打ちをかける。
「そうだよ。ママが悪いよ!」
「やめてはるちゃん!もうやめようよ!」
優しすぎる父に、思春期の娘、容赦ない。
娘は更に、軟弱ともとられる一家の主に物申した。
「パパだってさぁ!」
今度は矛先が父に向いた。
「パパだってさぁ、私が呼んだ時、なんで返事してくれなかったわけ?結構大きな声で呼んだよ。私。しかも二回も!」
そう言って娘は、Vサインを模した二本の指を、感情のまま激しく父の目の前に突き立てる。
「・・・・・・・したよ。」
「・・・・・え?・・・。」
“したよ。”と言う、父の意外な応えにバツ悪そうに答える娘。
「パパ、返事したよ。二回とも。」
「・・・・・・・・・・。」
念押しをする父の返答に、いまだ沸騰したままの頭で娘は考える。
「あ・・聞こえてなかった・・かな?」
「あぁぁ・・。」
そして、徐々にクールダウンしていくその脳で思い出してしまう。
「うん・・・あ、いや・・・。」
父は声も小さかったのだということを。
「そっか・・・ハハハ・・・。」
影が薄く、その上声も小さい。
故に、存在感が感じられない父。
そしてそれを誰よりも、本人が一番気にしていたということを・・・。
「・・・そっか・・・・。」
しょんぼりとした父の顔。
“家族なのだからわかっていたはずなのに・・・”と、日和の胸はキツく締め付けられた。
「そっか、そっか。ごめんな。パパがもっと大きな声で返事していたら、二人とも喧嘩しなくて済んだんだな。ごめんな。」
愛想笑いで俯く一念。
浮かべられた作り笑いには、そこはかとなく淋しさがとって見えた。
「ごめん・・パパ。」
不本意ながらも、結果、父を傷つけてしまった自分を、娘は呪う。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・。」
やり場のない怒りが自身に重くのしかかり、娘は何度も父に謝る。
父は、そんな娘の頭にそっと手を添えて、「わかったよ。」と、目尻の下がったいつもと同じ優しくて温かい笑顔を静かに贈った。
それでもまだ、いや、だからこそ、その優しさに押しつぶされてしまいそうになる娘は、母に一瞥を送る。
「パパ、そこは違うかな。」
ついさっきまで年甲斐もない顔で拗ねていた母・千日。
思春期のわが娘が出したSOSに、母親の顔を取り戻す。
「そこはさ“二人とも喧嘩しなくて”じゃなくて“二人とも心配しなくて済んだ”だよ。」
わが妻ながら、天晴な援護。
我が家の曇天に、一念は雲の切れ目を見出した。
「そうだね。ママ。だよね、はる。」
そう言って、曇りのない満面の笑みを二人に贈る一念。
「でしょ!」
千日も負けじと、二人に笑顔を振りまいた。
二人につられ、自虐の念に押し潰されそうになっていた日和の顔からも笑顔がこぼれた。
その三人の笑顔が、“この話はここでおしまい!”という家族の合図となり、その合図を皮切りに、数多家の空は一気に晴天へと晴れ渡っていった。
「さ!パパ、おなかすいたでしょ?」
そう言って腰を上げる千日。
「いま饂飩茹でるから、ちょっとだけ待っててね。」
そう言って一念の前に箸を用意する。
すると、日和もスッとキッチンに立ち、
「いいよ。ママは食べてて。パパのは私が作るから。」
と、出汁の入った鍋に火をかける。
料理を教えた憶えのない娘の意外な言動。
「え?できるの?」
と、驚きを隠せない千日からは、疑念の眼差しが娘に送られる。
「見くびってもらっちゃ困るわよ。」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた娘はいたずらにお玉を軽く振った。
思わず鼻で、フフッと笑ってしまった千日。
小憎らしい顔も時折見せるが、まだまだ可愛い盛りの娘。
「そ。じゃあ、お願いしようかしら。」
と、饂飩の玉を冷蔵庫から取り出し、そっと日和に託す。
言葉に甘えて、再び箸を取る千日。
伸びきってもはや小麦粉の塊と化した饂飩をモソモソと口に運び、思ったよりも手際の良い日和の動きに目を丸くする。
手渡された饂飩を丼に移し、お湯を注いでレンジに投入。
温めている間に葱を刻んで卵を溶きほぐす。
温めた饂飩は湯切りをして丼に戻し刻んだ葱を添える。
出汁が沸々と煮えてきたら、くるくると回した出汁とは逆方向に溶き卵を回し入れ、すぐに火から下ろして刻んだ葱と熱々の饂飩が盛られた丼に、サッと流し込む。
最後に香りづけの摺り胡麻を散らし、完成!
「できた!」
日和特製かきたま饂飩。
「うわ~♪」
上品な出汁と香ばしい胡麻の香りを纏った湯気が、目の前に出された一念の鼻をくすぐった。
「どうぞ。召し上がれ。」
差し出した日和を見上げ、満面の笑みで一念は手を合わす。
「いただきます!」
ズズズズッ!
一口啜ったその瞬間、父の心に感動の波が押し寄せた。
「おいしい!おいしいよ!はるちゃん!」
「でしょ!」
後片付けをさっと済ませて、上機嫌なままリビングに戻る日和。
一口啜る度に絶賛する父に、ご満悦の様子。
そんな予想外な展開の中、内心穏やかではない妻が一念の丼に箸を伸ばす。
「ちょっと、あたしにも食べさせてみてよ。」
一口啜ったその驚きが、言語となって口から飛び出す。
「うめぇっ!」
やるな、はる。
思わず口走ってしまった賞賛の言葉。
目の前には、いまだ一口食べるたびにベタ褒めを続ける夫。
千日のちっちゃい対抗心(というより嫉妬)に、種火のような僅かばかりの火が付いた。
「ま、出汁取ったのはあたしだから美味しいのは当たり前か。」
それでも尚、一口食べるごとに賛美し続ける夫、一念。
「おいしい!ほんと、おいしいよ!」
「ねぇ、聞いてる?」
妻の言うことなんて上の空。
「パパ、こんなにおいしいの初めて食べた。」
「はぁっ⁈その出汁取ったのは、あたしなんですけど!。」
初めて食べた、愛娘の手料理。
その感動たるや無理もない。
「パパ、幸せ。ほんとおいしいよ!はるちゃん!」
一口運ぶたびにベタ褒めする父の称賛は、最後の出汁の一滴が飲み干されるその時まで、終始絶えることなく浴びせ続けられた。
「はぁー。おいしかった!ごちそうさま!はるちゃん!」
手を合わせ、また作ってね!と微笑む父に、娘は笑顔で大きく頷く。
数多家に、いつもと変わらぬ日常の青空が戻った。
「チッ!だ・か・ら!出汁はあたしが取ったんだっつーの!」
ごく一部の地域では、未だ薄い雲がかかり、晴れ晴れとした青空とは言い切れないようではあるが・・・・・。
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