第2話 2019年―①

数多一念あまたいちねん


彼は影が薄い。

存在感がない。

家族でさえ、その存在に気付かないことがある。


玄関先に植えられた大きなコニファーの樹が、キラキラと聖なる輝きを纏う、クリスマス間近の年の暮れのこと。


その日、数多家では年末の大掃除が行われていた。


中学生の娘の日和はるかは自分の部屋。

妻の千日ゆきひはキッチンや洗面所。お風呂場といった水回りを中心に。

そして一念いちねんは、先ずはこの家のすべての窓拭きと、それぞれが新たな年の年神様を迎えるべく、また、新たな年も幸多かれとの願いをこめて、朝から精をだしていた。


昼過ぎたころ。


千日が掃除の手を止め、昼食の用意をした。


「はるー!お昼しよー。」


キッチンから家中に響き渡るほどの大きな声で、千日は娘の日和を呼ぶ。


「はーい。」


何をそんなに詰め込んだのか、ぱんぱんに膨らんだゴミ袋を抱え、二階から姿を現す娘。


「あれ?」


娘はダイニングキッチンの前を通り、昼食が用意されたテーブルを見て疑問を抱く。


 なんで二人分?


テーブルの上に支度されていたのは自分と母の二膳の箸。

そして、白い湯気を立てて半熟卵が添えられた饂飩が二杯。

父の箸と月見饂飩は支度されていなかった。


「ママ、パパのは?」

「?・・・・・。」


娘の質問に、疑問を持つ母。


「えぇ?パパいる?」

「は⁈そりゃいるでしょ!」


いつもは見ているこっちが恥ずかしくなるくらいラブラブな夫婦のはずなのに、喧嘩でもしたのか、いまは冷酷とも思える父への仕打ちに、日和は憤りを感じる。


「どうしちゃったの?ママ。」

「・・・・・・?。」

「なにがあったかわからないけど、パパにもご飯作ってあげないと可哀想だよ。パパも一生懸命窓拭きしてるんだし。」

「・・・・・・・・・・?」


娘、日和の様々な謎の発言に思考が追い付かない母、千日。


「・・・??・・・あ!」


が、ようやく、“いる?”の意味の穿き違えと気付き、改めて言い直す。


「いや、そうじゃなくて、パパ二階に居たのか?って話しだよ。」

「?・・あ!・・・そーゆーことね。」と、勘違いに気付いた娘、バツの悪さに下を向く・・・が、想定外の母の言葉に直ぐ様面を上げた。


「え!居ないの⁈・・・パパ。」

「え?・・だって、上に居た?・・パパ。」

「え?・・・あれ?・・・。」


てっきり窓拭きに専念しているものとばかり思っていた父。

娘には、抜き打ち的な母の質問。


「え?・・・。」

「え?・・・どっち?・・・。」


知らずのうちに、父の消息を見失う母娘おやこ

二人は互いに沈黙し、申し合わせたように聞き耳を立てて、父、一念の気配を探る。

が、何故いまなのか、ここで先ほどの聞き捨てならない娘のセリフに、母、千日が引っかかっる。


「ん?ちょっと待って!どゆこと?はる!」

「・・・?」


日和の頭上に大きな疑問符。


「あんたなに?まるでママが意地悪でパパにご飯用意してないみたいに言ってるけど!」


 そこか!


「・・・・。」

日和絶句。


「ママがそんなひどいことパパやあんたにできると思えるの?あなたにはママが鬼みたいに映ってるわけ?・・・。はぁっ心外!ママ心外よ!それ!」


自分にも多少の非があったにせよ、唐突に始まった母の遅い憤慨に、もはや娘は鬱陶しさしか覚えない。


「ちょっと聞いてんの!なによ。さもさもこの家でパパの味方は私だけ!みたいな空気出しちゃってさぁ!」


母、ちょっと怒りの方向性が変わってきたようです。


「・・・・。」


何を言われても動じない中学生の娘。

感情の暴走を見せ始めた母の視界を小さな手のひらで遮り、強制終了を施した。


「シッ!ママ!・・それ、いまじゃないから!」

「・・・・・・・・・・・・。」


そう、いまじゃない。


いまはなによりパパの捜索が最優先。

母、ぐうの音も出ません。

二人は再度、感覚を研ぎ澄ませ全神経を伝音器官に集中させた。


風の音。

小鳥のさえずり。

ワンブロック先の公園ではしゃぐ子どもたちの声。

そして時折聞こえてくる、壁の汚れを落とす高圧洗浄機の音。

閑静な住宅街に流れる日常の協和音と不協和音。


その一つ一つが、千日と日和の有毛細胞たちを刺激する。


「パパー!」

「!!!!!!。」


静けさから、いきなり飛び出す痺れを切らした娘の大声。

中年の千日の心臓には痛恨の一撃!


「びっくりしたー。なに?急に。やめて。」


バクバク脈打つ胸を押さえ、娘に訴えるアラフィフ目前の母。


「あ、ゴメン。このほうが早いと思って。」


たしかに。

そのほうが、二人して雁首揃えて聞き耳立てているより結論が早い。


「パパー‼」

「・・・・。」

「・・・・。」


娘さん、声を張り上げ二度目の呼びかけ。

が、待てど暮らせど返事はなし。


「いないね。パパ。」


パパの捜索ここで打ち切り。


「でしょ?」


 ん?・・・“でしょ?”・・・。


「だって、さっき外からパパの声したもん。」


一念不在を裏付ける、母の告白。


「はぁっ⁈」


重要な証言を後出しにして、さもさも「私は知ってたわよ」的な言い方をされて少しカチン☆ときた娘。


「え?なんでそれ先に言ってくんないか⁈」


たしかにそうだ。


空腹も手伝ってか、イラついた娘が少し強めに母に詰め寄る。


「ねぇ!」


たじろぐ母、視線を脇に逸らし「自信なかった・・・しさ。」と、ぼそりと呟く。

“自信がない”一念を父に持つ日和にも、なんとなくわかってしまうこの気持ち。

つい先ほど、自身も父の行方を見失ってましたしね。


「そっか・・・うん。そうかも。」


どの家族にもある特有のわけで心が通じ合った瞬間。


全てが腑に落ちた日和は、二階から持って降りたぱんぱんのゴミ袋を三和土に放り、さっきから鼻先をくすぐる出汁の香りの前にそそくさと着いて手を合わす。


「良き香り~。」


すぅーと大きく深呼吸をして、嗅覚で出汁を堪能する日和。


「ママ、早く食べよう。おなかすいちゃったよ。」

「そうだね。ちょっと冷めちゃったけどね。」


思うことは数あるが、娘に急かされ千日も同じく席に着く。

まずは二人とも腹ごしらえ。


「いただきます!」

「どうぞ召し上がれ。いただきます。」


母娘おやこ一緒に両手を合わせ、よーいドン!で、一心不乱にうどんを詰め込んだ。

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