100日間の異世界生活

みょうじん

Day 1 森にて

 孤独。誰とも繋がっていないこと。

 多分、ぼんやりとだけど、そんなことを考えていたと思います。

 両親もいなければ友人もいない。高校生という身分しかなくて……まあ、いてもいなくても変わらない、みたいな……。

 色々な話を総合すると、だからこそ俺みたいなのが迷い込んでしまったみたいですね。

 とにかく、そんな俺を救ってくれたのは、間違いなく彼女です。

 初めて彼女を見たときの印象は……あまり良くない。はっきり言って不審人物。でも、彼女がとても素敵な人だっていうのは分かりました。

 そう、間違いなく彼女は俺にとって一種のでした。大げさに聞こえるかもしれないんですが、当時、間違いなくそう感じたし、今だってそうなんです。

 ……銀髪に赤錆眼の、あまりにも彼女。

 ――この百日間の旅は、結局のところ彼女の話に尽きるんです。

 話すのは得意じゃないですが、良ければ聞いて下さい。


 ◇◇◇

 肌寒い。じわじわと寒気がまとわりつくような感覚で俺は目を覚ました。起きた瞬間に自分の口から白いもやが吐き出されていることにまず驚く。今日はこんなに寒かっただろうか。そんな疑問が頭をよぎる。

 まぶたを開けたそこには知らない天井が……ということはなく、日が落ちたばかりと思われるわずかに朱が残った空が広がっていた。そういえば、俺は山に入っていたんだったか。登山ではなくただのハイキングだが。世間から離れてただ自然の中の一人になることができるこの趣味を俺は気に入っていた。

 ……まあ、世間とか人とかとのつながりとか、そういったものが希薄な俺が、さらにそこから離れようとするのもおかしいのかもしれないが。

 ゆっくりと身体を起こす。寝起きだからか多少の気だるさが残っているものの、特に痛むところはなさそうだ。身体も思ったよりも冷えていないようだ。

「……ここは、どこだ?」

 明らかに俺の知っている場所とは違う。どうしてこんなところに寝転がっていたのか。

 今いる場所は小高い丘のようになっているようで、眼下には広大な森が広がっている。寝起きのぼんやりした頭でも分かる、人の手が入っていない原生の森、そして明らかに俺の知らない木々。俺が住んでいるところは寒冷地なので、背の高い針葉樹だとか白樺が寒さに負けず元気に伸びているはずなのだ。目の前に生え揃っているそれらは明らかに針葉樹ではないし、さりとて広葉樹でもない。テレビでもネットでも、もちろん現実でも見たことのない、全く知らないもののように思える。

 その状況にようやく慌てて、前後に左右に、をきょろきょろと見渡す。しかし、少し開けている小高い丘部分にはわずかに草原が広がるだけで、当然民家のようなものはないし、人っ子一人いない。

「はあ、はあ……」

 わけもなく俺の呼吸は荒くなり、合わせて心臓が強く跳ね、息が白むほどの寒さにもかかわらずじんわりと俺の背中に汗が流れる。

 いや、とりあえず、落ち着くことが第一だ。

 幸いにして、家を出るときに持っていた大きめのリュックサックは足元に転がっていた。もう少し歩きやすいザックが欲しいなあ、なんて思いながら買い替えていなかったただのリュックサック。タウンユース用のもので本格登山には向いていないそれは少なからず俺を安心させてくれた。

 急いで中身を確認すると、確かに自分でパッキングしたものと相違ない。財布、ケータイ、行動食、コッヘル、インスタントコーヒー……。

「あった!」

 そして、コーヒーを飲むためだけに入れていた登山用のガスバーナー。これにコッヘルを乗せればお湯を沸かすことができる。当然、周りには水辺なんてないが、2Lのミネラルウォーターがほとんど手つかずでリュックに入っている。

 流石に草の上で火を点けるのは不味いので、適当な場所を探すと、俺の腰くらいの高さまである大きめの、平べったい岩が転がっているのを発見した。これ幸いとそこにガスバーナーを設置するとしっかり安定したので、とにかく火を点けてお湯を沸かすことにした。

 バーナーの足を開きノズルを回すと、風に掻き消されながらもわずかに音を立てて勢いよく火が灯った。その現代的な火は先程のリュックと合わせて、俺の心を温める。

「はあ……ふうー……」

 肺に溜まっている淀みを吐き出し、新鮮な空気と交換するように大きく深呼吸をする。

 よし、大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせてから思考を止め、黙ってお湯が沸くのを待つ。

 しかし、コッヘルの中の水がふつふつと泡立ってきた段階でガスバーナーの火が弱まっていることに気がついた。

「くっそ、山をなめてるのかよ俺は!」

 自分の不準備さにあきれて、大声で悪態つく。替えのガス缶は持っていない。たとえ慣れているところに、日帰りのハイキング程度に出かける場合でも、しっかり準備は必要。そんなことは重々承知しているはずだったのに――完全に油断していた証拠だ。

 そして、間もなくバーナーからは温かな光が失われた。同時に俺の心にも暗いものがどしりとのしかかってくるが、努めて無視する。いずれにせよお湯は沸いたのだ。

 心中に広がる仄暗いシミをごまかして、マグカップに入れたインスタントコーヒーの粉めがけて、コッヘルのお湯を移す。

 酸味が強くあまり好みではないものだが、嗅ぎ慣れたコーヒーの香りに安堵して、俺は岩の上に腰掛ける。視界に入ってくるのはひたすらに森、森、森。その他には驚くほど何もない。当たり前だけど、何度見たって一切の変化は起きない。

「ほんと、ここはどこだよ」

 そう呟きながら、全く期待せずにケータイを見てみる。やはりと言うべきか、画面の右上には『圏外』という文字が無慈悲に刻まれている。電源を落とすべきか一瞬逡巡したものの、もしかしたら連絡が入る可能性もある。結局そのままにして、防風・透湿に優れているという謳い文句のマウンテンパーカーの大きなフラップポケットに仕舞い、首元までジップを上げる。

 少しだけコーヒーを口に入れて、その酸味を舌の上で転がす。カップを持つ手が少しばかり震えているのは、寒さのせいだけではないだろう。

 マグカップを隣に置いてリュックを漁ると、底の方にはちゃんとエマージェンシーセットがあった。中には防寒用のシートや絆創膏などがあったので、とりあえず凍死はなさそうだ。

「ここからどうするか」

 コーヒーのおかげで落ち着いてきた。状況は良く分からないが、恐らく遭難したということなのだろう。たとえ、俺の記憶と全く違う景色の中に身をおいていたとしても、そうやって納得しておくしかない。

 本来であれば何とか身体を休ませることができる場所に移動しビバーク。一晩経ってから下山を目指す、ということになるだろう。しかし、生憎ここがどこなのか全く分からないし、そもそもここは山じゃない。

 そこまで考えて再び暗いものが心に立ち込め、自分の中の大事なナニかが折れそうになってしまう。俺は慌ててかぶりを振り、とりあえず行動食として用意していた羊羹にかじりつく。暴力的とも言えるその甘味とくるみの香ばしさが少しだけ心を軽くしてくれる。

「……一度、眠ろう」

 混乱した頭をリセットするには眠るのが一番だ。経験則上、俺はそれを知っている。雨風を防げるところが良いのだが、生憎ここには何もない。その上、森の中に今から入るのは危険過ぎる。野生動物にだって襲われかねない。

「……よし」

 両手で軽く頬を叩いて、俺は岩から降りる。完全に冷えているか確認しつつ、ガスバーナーやその他の荷物をリュックサックに戻す。そして、岩の影に隠れるように身を潜め、防寒用シートにくるまる。初めて使用したが、こんなにも軽くて薄いのにとても暖かい。

 すでに遠くに見える山際に太陽が完全に沈み、空は薄紫に染まっている。

 その状況に心細くなった俺は、非常用の手回し発電装置がついた小型のランタンを取り出し、岩場の上に設置し光を点ける。その人工光源は、大自然の宵闇の中では実に心許ないが、今はこれにすがるしかない。

 もしかしたら、近くを通りかかった人が俺を見つけてくれるかも。そう考えながら、草木を寝所として横になる。

「……はあ」

 この状況への疑問も不安もため息とともに吐き出して、俺はぎゅっと目をつぶった。意外と性根は図太いのか、それとも心が疲れ切っていたのか、すぐに意識を手放すことになった。

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