第40話 執事
この公爵邸での人事権は執事たちが握っている。
三人いる執事と旦那様でどのような人を雇い、どこに割り振るかを考えている……らしい。
しかし、旦那様はこの家に全然帰ってきていない。領地の視察も含めて本当に仕事もしているのだろうかと思うレベルで会っていない。
実際、自分の領地に寄り付かない貴族という存在もいるにはいるようだ。
そういうのは執行官とか代官とか、そういう代わりに仕事をする人が領地を治めているとかいうらしいが……この家がそのような仕組みを利用しているかどうかというのは、私の方まで話がこぼれてこなくてわからない。
ミレディがそういうのに興味があるのだったら、恋人である第二執事のジェームズあたりから話を聞きだしてもらうのだけれど、そういうのに興味のない子らしくて「さぁ?」でおしまいである。
お嬢様付きメイドと、執事では働いている場所が違うから、接触する機会を作るのもなかなかに難しい。
どうしようかと思っていたところに、街にお使いに行っていたシンシアが郵便から手紙を受け取ったのか、封筒をもっていたので、届けるのを変わってもらうことにした。
「え、なぁに? やっぱりシュナイダーさんに会いたくて?」
「だから違うってば!」
前に、おやじ趣味だという話をしたのをまだ覚えているのか、からかってくる。しかし、深く聞いてくることはせず、じゃあ、よろしくね、とあっさりと交代してくれたのはありがたい。
「失礼します」
旦那様の書斎に入り込むことはめったにない。私は持っていた手紙を持ったまま中に入り、中に誰かいないかと探す。しかし、誰もいなかった。
それならば机の上に手紙を置きざりにすればよいのだが目的は手紙ではないのだから困ってしまう。
「どうなさいました?」
入ってきた人が私に声をかけてくれた。高いところから振ってきた声に見上げれば、その背が高い人はジェームズだった。
「あ、よかったです。こちらをお届けに参りました」
そう丁寧に言って、手紙を渡せば、確かに受け取りました。と物腰柔らかに受け取ってくれる。丁寧に手紙を改める態度を見て、ジェームズが人気が出るのもなんとなくわかる気がした。
執事というだけでなく、この家に勤める男は、女性を見下して横柄な口を利くタイプか、柄が悪いタイプのどちらかが多い。
それが大体の使用人より先輩にあたる私に対しても、年下とか女というだけでため口どころか偉そうな態度で話しかけてくるのだ。
その彼の様子を見ながら、私は問いかけた。
「ジェームズさんはご結婚されてましたよね?」
この国には結婚指輪という風習はない。だから、見ればわかるということではない。私のぶしつけな質問にも、ジェームズは、疑問を抱くこともない様子で素直に、はい、とうなずいた。
「どんなお方ですか?」
「妻ですか? 優しくて、そばにいて癒される存在です」
くすぐったそうに笑うその顔にウソは見えないのに。
どうしてそんな男が浮気をするのか、私に男心はさっぱりわからん。
優しくて癒されるだけではだめなのだろうか。
「奥様とはどうやってお知り合いになったのですか?」
「幼馴染だったんですよ」
ほうほう。こういう結婚は平民同士には多いだろう。
「ということは、奥様とは家族ぐるみのお付き合いということなのですか?」
「……ええ、まぁ」
幼馴染なら、家が近くて親同士が知り合いということもありうるだろうに。
それならば、と私はつづけた。
「ジェームズさんが、ミレディさんとなさっていることをナターシャさんが知ったら、そしてナターシャさんのお父様はどうお思いになるでしょうね」
「え?!」
どうして妻の名前を知っているのか。そしてミレディとのことを知っているのか。
彼の驚愕した顔がそう言っているようで。それを見ながら、私はほくそ笑む。
ミレディから図書館の鍵を巻き上げた後も、私は何度かジェームズに接触していた。しかし、ジェームズの呑気な態度からは、ミレディは彼に私にばれたことを話していないということを感じていた。
そして、それは今の彼の反応から決定となった。
青ざめた顔で、私の顔を穴があくほど見ている。
誰にも言わないで、とミレディが言っていた「誰にも」ということは、ジェームズに対してもだったかもしれない。しかし、ミレディの口からジェームズに対して、私にはばれたということくらいはちゃんと言っておくべきだったと思う。
そうしたら、ジェームズの方も、いろいろと警戒をすることができたと思うから。
いや、私に知られたことがわかったら、それで二人の仲が別れる方向に行くのを恐れてミレディは言えなかったのかもしれない。
それならば、ジェームズからしたらミレディは完全に遊び相手で、それをミレディも自覚していたということになるが。
ジェームズの妻、ナターシャと、その家族の話題は簡単に手に入れることができた。
もともと、あまり女性の働ける場所というものがこの世界に少ないというのもあるのだけれど、銀の鹿と小さじ亭はジェームズの妻と同じ職種なので、横のつながりがある。そこからいくらでも情報をとろうとすればできたのだ。
大体、1つの領地の中の、同じ街での縫子の数は限りがある。お互いに仕事を回しあったり応援を呼んだり頼んだり、ライバルとはいえ助け合い、自然と仲良くもなる。
そして作業をしている間、口は暇なのでおしゃべりもするから、お互いの情報は駄々洩れになる部分もあるのだ。
私が情報を金で買うまでもなく、ジェームズの妻、ナターシャの父親が引退する前はこの公爵邸に勤める執事で、内気な娘をメイドとしてこの公爵邸に推薦する代わりに、娘の恋人であったジェームズをこの屋敷に紹介したという経緯があったことは知れていた。
「ジェームズさん、この公爵邸への紹介状って、どなたに書いてもらったんでしたっけ?」
「……」
やはり、ジェームズは義父に頭が上がらないらしい。
ジェームズの義父は平民だろうから、執事だったとはいっても、この家の使用人のトップの総執事長ではなかっただろう。しかし、相当優秀でないと執事として採用されることはなかったはずだ。
その人間の口利きで公爵邸という就職口を手に入れることができたのだから、ジェームズのこの不祥事が知れれば、娘を思う父ならば黙っていないだろう。
それはジェームズの顔色からもうかがい知れた。
「大丈夫ですよ。私は誰にもいいません。ミレディにも言わないです。貴方が心に納めておけば、誰も傷つかないでしょう」
話してしまうとミレディとの約束も破ることになってしまうし、脅迫のネタにもならないからね。
「その代わり、この屋敷の経理をしている人を教えてください」
「それは……総執事長のシュナイダー様と、侍従のマックスです。マックスは代書もやっているから……」
マックスといえば、背が低くて、猫背の前髪がやたらと長くて顔の半分くらい覆っている人だったような気がする。あの人、そんなことをする係だったのか。接点がなさ過ぎて知らなかった。
この家の総執事長を引き抜くわけにはいかないだろうから、ここは侍従のマックスを引き抜けるようにしよう。
「マックスをこの家から出すように仕向けてください。そして、この家は新しい経理の人を探してくださいね」
マックスが私の引き抜きに応じるように、この家にまず解雇してもらわないと困る。私の言っている意味がわかったのか、ジェームズは泣きそうな顔をしている。
「そしてとある人を公爵邸に紹介しますので、使用人として雇ってください。そうですね……園丁としてがいいです。ただし、園丁の者には新人がいることを伝えずに、雇用したということだけを帳面につけておく形に」
「なんですって……? それは架空の雇用をしろと?」
「いえ、横領などは発生しませんよ。賃金はいらないので。ただ、公爵邸に仕えるという身分が欲しいので」
私が突き付けた条件に、ジェームズは無表情になった。
彼の立場ならそれはできないことではないだろうけれど、もしこれがばれたらジェームズの立場は危うくなるのは間違いない。
正直なところ、ジェームズが私の話をしらばっくれて、さっさとミレディと別れればジェームズはこんな条件をのまなくてもいいのだ。そのことにジェームズは気づくだろうか。
しかし。
「わかりました」
苦しそうな顔をしてうなずいたジェームズに、私はかえって胃が重くなってしまった。
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