第23話 リベラルタス
今日はシシリーのお使いとして来ている。そろそろお暇しないといけないだろう。
帰ろうかとした途端、ノックの音がした。
セイラ様の「どうぞ」という声と共に入ってきたのは男性だった。
その彼の、真っ先に目を引いたのは髪色だった。
見事な赤毛だ。リリアンヌの髪も赤いけれど、それよりさらに鮮やかな色だった。
その赤いくせ毛を短く切って刈り込んでいるようなのがよく似合っている。
「呼ばれたと聞いたのですが……お話し中のようで、よろしいのでしょうか?」
客人がいると思わなかったらしく、入ってきた彼は、自分とセイラ様の間で視線をさまよわせている。
「いいのよ、リリアンヌに紹介したくて私が呼んだのだから。リリアンヌ、こちらはリベラルタスよ。あのアドバルーンを試作してもらっているの」
姓がないということは彼は平民なのだろう。ジャンとかマリーとかそういう短い名前が多い平民にしては随分としゃれた名前だ。
つりあがった眉に、目じりが垂れて優しそうな顔立ちはけっこうタイプかも……ってそんなことを考えている場合ではない。
自分も立ち上がって礼を取る。
「リベラルタスは、うちの商店で経理を担当してもらっているのだけれど、色々できるし器用だし優秀なのよ。一度見たものは全部覚えるしね」
「それは便利ですねえ。でも覚えたくないことも覚えて忘れないとしたら不便でしょうけれど」
あー、いるいるそういう人。サヴァン症候群とかいったっけ?
でもそういう人って、日常生活は困難だったりする障害があったりするっていうけど……。
私の探るような視線を、リベラルタスは「?」と困ったような笑顔で受け止めているだけだ。どうもそういう困りごとはこの人にはなさそうだ。単なる記憶力の良い人ってところだろうか。
セイラお嬢様は今度は私の紹介を彼にする。
「そしてこちらは公爵家のシシリーお嬢様の専属メイドのリリアンヌよ。天然ガスが空気より軽いことを発見し、アドバルーンの基本設計をしたのはリリアンヌよ。優秀な私のお友達」
いえ、発見はしてないです。知ってただけですぅ。
そしてアドバルーンは存在を知ってただけですぅ。
結果を知ってるだけで、それを偉そうにひけらかしているだけだから、そんな持ち上げられるとぼろが出てしまうのではと冷や冷やする。
セイラ様のよいしょに、リベラルタスは乗っかって、にこにこしながら私を見つめてくる。
「公爵家にお仕えすることができるだけでもすごいことなのに。リリアンヌさんは素晴らしい方なのですね」
公爵領の中で一番格が高く競争率の高い就職先は公爵家だ。もちろん優秀な人材が多く雇われているのだけれど……リリアンヌの場合は優秀さというよりコネ就職に近いのだけれど。
まあ、運も実力のうち! コネも実力のうち! うんうん!
家名を名乗らなかったことから、リリアンヌが平民だということはリベラルタスも知っているだろうに、貴族であるセイラ様だけでなく私に対しても敬語なのに好感を抱いた。
「公爵家にお勤めするのは私たち平民の憧れですから」
「あら、リベラルタスはうちの商会のお仕事じゃ不満なの?」
セイラがからかうようにリベラルタスに言えば、慌てたようにリベラルタスは首を振った。
「いえ、ここらで一番本が揃っているのは公爵家所蔵の図書室だと有名ですから」
「わかってるわ、冗談よ。思う存分本を読むのが夢なのはわかるわ」
どうやらここには本好きが集まっているようだ。
そう、この世界では本は貴重で高価なものだから、図書館自体が存在しない。
大きな図書館とか大手本屋のビル全部が本棚とかの存在を知っていると、公爵家のあの図書室の本の数なんて、せいぜい小中学校の図書室レベルでたかが知れてるじゃないのと思ってしまうのだけれど、それでも大したものらしい。
「でも、図書室に入ることができるのは、使用人の中でも一部だけですから、公爵家にお仕えしてても難しいですよ?」
「やはりそうですか……そうですよね。貴重なものですし」
私が現実を教えてあげればがっかりされてしまった。
そんな私は図書室の鍵を巻き上げて、日々入り浸っているのだけれど。
店から出て、セイラ様から渡されたシシリーへ渡すものを馬車に運びこむのは、リベラルタスが手伝ってくれた。
かさばるけれど、そんなに重いものではない。
どうやら、中は重さを感じさせないように工夫をされているスカートを膨らませるためのパニエや、新しいデザインの帽子のようだ。
シシリーが身に着けていいと思えば、ドロテアはともかくエルヴィラか奥様も気にして身に着けるかもしれない。宣伝効果を狙ってのプレゼントだろう。さすが商売人だ。公爵家に出入りしていることを抜かりなく活用している。
二人で作業をしながら、それとなくリベラルタスのことを探ってみた。
「リベラルタスはいくつなのですか?」
「私ですか? 22です」
……え、みずほより若いんだけど。リリアンヌよりは年上だけれど、なんとなく若々しく見える笑顔もどこか犬っぽくて、可愛く見えて困ってしまう。
ふむ、と少し考えこむと、リベラルタスを手招きした。
彼の耳元に唇を寄せると、声をひそめて囁く。
「ねえ、お兄さん、私と悪いことしない?」
「え?」
「この世の天国に、貴方を招待してあげる」
私が囁いた内容に、リベラルタスはさっと顔を真っ赤にして、大きく頷いた。
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