第6話 鏡

「シシリーお嬢様、失礼いたします」


 シシリーはこの公爵家の末娘。

 お嬢様付のメイドは格が高いので、なりたがる人は多いのに、なぜ明らかにメリュジーヌお嬢様の味方と目されているリリアンヌがなれたのか。だいたい予想できるかな。

 メリュジーヌお嬢様が心配でこの屋敷から離れられなかったリリアンヌは、一番御しやすいシシリーお嬢様に媚びてお気に入りになることで、この家から追い出されないようにしたのだろうなと思う。


「ちょうどよかった。リリアンヌ。髪を整えてちょうだい。新しく買ってもらった髪飾りを試したいの」

「かしこまりました」 


 きっと先ほどに外出した時に、髪飾りを買ってもらったのだろう。

 見ると赤めのうで薔薇をあしらった髪飾りだ。

 この華やかさを強調するなら、シシリーの髪型はシンプルな方が似合うだろうけれど、シシリーはとにかく可愛らしくて華やかなのが大好きなのだろうと思う。ドレス選びのセンスからしても。

 品が悪くならないギリギリのラインを狙って派手にするのがメイドの腕だ。

 細かく編み込んでからサイドで低めに結い上げるようにすれば、この年頃特有の、少し大人になりたいという満足感を刺激できるだろうかね。


 他人の髪を結うスキルは、私だったらそこそこ普通程度だが、リリアンヌの体が覚えてくれていて、それなりに様になることができたのには、ほっとした。


「このグラデーションのかかった赤味が、シシリーお嬢様の髪色に映えますね」

「そうでしょう?」


 得意そうに言っているところが、子供っぽいなぁと思わされる。 

 別に褒めてるわけでもないのだけれど、まぁいいか。


 今日、メリュジーヌお嬢様以外の皆は家にいなかった。

 それなのに、なぜエドガーは人が出払う予定だったこの家に来ていたのだろうか。

 奥様視点からしたら、メリュジーヌお嬢様は家族ではないから連れてってもらえなかったのだろうけれど、対外的にはメリュジーヌお嬢様は立派なこの公爵家の一員で。

 だからこそ、メリュジーヌお嬢様が対応せざるを得なかったのか、それとも元からエドガーがお嬢様に会いに来ていたのか。

 記憶がその辺りが欠落していてよくわからない。

 使用人の意地悪でエドガーの前に出ざるを得なくなってしまったのかもしれないしね。

 しかし、メリュジーヌお嬢様のあの様子からすると、エドガーのことは婚約者だったとしても、好きではなかったんだろうな、とは思う。女の勘だけど。あと私の希望!


 手鏡を支えて、シシリーに後ろの様子がうつるようにして見せれば、満足そうに彼女は見入っている。そりゃ、私が結ったんだから、上手に決まってる。その様子を見ながら、私は違うことを考えていた。


 それにしても、この鏡の質が悪いよなぁ……。


 公爵家の人間であるシシリーの持ち物なのだから、鏡台の鏡も手鏡も、きっとこの世界において手に入る上で最高級のものだと思う。なのに、金属を磨いたようなものなのか、暗いのだ。

 銀鏡反応を使って鏡が作られているわけではなさそうだなぁ……。と高校時代にフラスコの底辺りをぴかぴかにした実験を思い出す。

 となると、この世界の化学のレベルがそこまで高いとは言えなさそうだ。

 みずほとしての知識があったとしても、この世界で使えるとも思えないけどね。

 化学の基礎が発達していないのに、化学の知識を披露してもどうしようもないわけで。

 どこかの漫画のように素材から何から作り出すほどの知識も技術も私にないし。むしろ、忘れてることの方が多いし。はぁ。 


 シシリーが他のメイドにお茶を持ってくるように言いつけ、自分とシシリーだけしか部屋にいなくなったタイミングで話しかけた。


「今日、メリュジーヌお嬢様にエドガー様が……」

「メリュジーヌにお嬢様なんてつけないでちょうだい」


 じろっと鏡越しににらまれてしまった。あ、失敗、失敗。


「失礼いたしました。……シシリーお嬢様はエドガー様とエルヴィラお嬢様が婚約なさっているのをご存知ですか?」

「あら、そうなの? やはり、エドガー様はエルヴィラお姉さまがお好きだったのね。メリュジーヌと婚約していたけれど、ここ数年は顔も合わせてなかったみたいだし、エルヴィラお姉さまの方がよくお会いしていたものね」


 この様子では今日の流れも、エドガー関連の話もシシリーはよく知らない?

 となると、確定してるようなことは言うのをよそう。

 

「私も噂だけなので、詳しいことは知らないのですが」

「エルヴィラお姉さまとエドガー様の方がお似合いだわ。メリュジーヌなんかとどうして婚約していたのかしら。理解しかねるわね」


 私もそれは思う。メリュジーヌお嬢様となんであんな男が婚約できていたのだろうか。


「あんな身なりに構わない女、さっさと家から出ていけばいいのに」


 シシリーの顔に憎しみの色が浮かぶ。母親が違うとはいえ、どうしてこの子はこんなにメリュジーヌを嫌うのかなぁ、と不思議なんだけど。

 これが奥様なら納得もいくのだけれど、嘲りや侮りが移るのはともかく、憎く思うのは理由があるのでは?と思ってしまう。この子、せいぜい13,4くらいにしか見えないのにね。


 もしかしたら、容姿に嫉妬しているのかなぁ、とも思ったり。

 だって欲目を差し引いてもメリュジーヌお嬢様綺麗なんだもの。

 身なりに彼女が構えないのも仕方ない。もちろんメリュジーヌお嬢様に専属の侍女なんかはいない。

 お茶も淹れてもらえず、食事は使用人と同じものを食べる。家族の食事の席に招かれないため、一人、部屋で食事をするのだ。

 部屋の掃除も自分ですることから、貴族令嬢らしくないと使用人にも侮られているみたいなのだけれど、貴族令嬢でも侍女として仕事をしている人なら当たり前にできることを、仕えてもらう立場だからって、できないことの方を尊ぶ方が変じゃないか?と私なんかは思うんだけどねえ。

 これは違う世界の価値観持っているからかもしれない。

 誰かの仕事を奪うというのならともかく、誰もしないんだから仕方ないし。


「シシリーお嬢様、お茶をどうぞ」


 戻ってきた侍女にお茶を用意させ、シシリーが座ってくつろいでいる間に部屋の片づけをしようか。

 刺繍の糸や枠、図案集をまとめて籠に片づけたりして、部屋にそぐわない本を見つけた。

 革の装丁のシンプルな作りで、手垢で少し黒ずんでいるところから、たくさん読まれていたことがわかる。


「お嬢様、こちらの本は……」

「それ、先生が本をお忘れになっていたようだわ。次の授業の時にお返ししましょう」


 先生?


 ああ、そうか。貴族の娘は家庭教師を雇って自宅で勉強をする習慣があるのだ。

 といっても、住み込みで雇ったり、毎日来させるまですることは滅多にないようだけれど。

 この家も最低限の教養をという形で人を雇っているのは、リリアンヌの記憶から知識を得ていた。


 この家に関係するのに、この家の人ではない人。

 そういう人からしたら、この家はどう見えているのだろうか。

 次のシシリーの授業の時にさりげなく接触する方法を探ってみよう。

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