箱入り令嬢の変身と献身

瑪々子

前編

「それで、お話というのはどのような……?」


この王国の第三王子であるコルテスに、学園からの帰り道、話があると王家の馬車へと呼ばれた婚約者のジャクリーンは、不思議そうに首を傾げている。

馬車に同乗しているのは、コルテスとジャクリーンのほかには、御者を除けば、コルテスの侍従のステファンだけだ。


少し気まずい沈黙が流れた後、コルテスは、ばつが悪そうに目を伏せたまま、口を開いた。


「ああ、そのことだがな。


……非常に申し訳ないが、君との婚約は破棄させてもらいたいんだ」

「えっ……」


驚きを隠せない様子で目を瞠ったジャクリーンに、コルテスはやや早口になって続けた。


「すまない。君に非がないのは、わかっている。……だが、どうしても心惹かれる令嬢に出会ってしまったんだ」


薄っすらとその瞳に涙を浮かべるジャクリーンに、謝罪の気持ちは持ちつつも、コルテスはやや冷ややかな瞳で彼女を見つめる。


ふくよかな……というよりはややどっしりとした体型で、サイズの大きめなドレスも、ウエスト部分が苦しげな印象だ。二重顎を除けば整っていると言えそうな顔立ちには、色白の肌に、所々赤い吹出物が出ているけれど、特にそれを隠すような化粧もしていない。素朴で、純粋そうとも言えなくもないが、ありていに言えば、垢抜けない凡庸な一人の令嬢の姿が目の前にあった。

学園の成績も中の中。ダンスもあまり自信がないのか、誘われてもコルテス以外とは踊ることはない。


(……昔は、あんなに可愛かったし、頭も良さそうだと思ったのにな)


コルテスは、昔のジャクリーンと今の彼女との落差を嘆きながら、内心で溜息を吐いた。


コルテスがジャクリーンを見初めたのは、かれこれ7年前、2人が共にまだ9歳の時に、王家が主催した園遊会でのことだった。ジャクリーンの父である伯爵が連れていた、幼いジャクリーンを見掛けたコルテスが、彼女に見事一目惚れをしたのである。儚げなほっそりとした肢体に、白磁のように滑らかな肌には眩い金髪が緩いウェーブを描き、アメジストのように輝く優しげな紫の瞳のジャクリーンは、まるで妖精のように美しかった。たおやかな彼女を一目見るなり、まるで身体に電流が走ったように感じたコルテスは、すぐに彼女の元に走り寄って話し掛けた。9歳というのに、彼女は知識も幅広く、話題も豊富で聡明さが感じられ、ころころとよく笑った。すっかりジャクリーンに惚れ込んだコルテスは、ジャクリーンと将来結婚すると、父王や大勢の客人たちの前で宣言したのだ。


当時既に侍従だったステファンが、慌ててコルテスを止めようとし、国王も苦笑する中で、ジャクリーンも、彼女の父も戸惑った。けれど、絶対に彼女と婚約するのだと譲らず、頻繁にジャクリーンの家に足を運ぶようになったコルテスに、ついに父王も折れた。ジャクリーンも、王族からの婚約の申し入れに、ただの一伯爵家の娘として断れる筈もない。そして、2人の婚約が調ったのだった。


当時のコルテスは、ジャクリーンとの婚約に天にも昇る気持ちだった。侍従のステファンを連れ、王国でも最先端の人気スイーツを毎回携えては、3日と開けずに彼女の家を訪れた。コルテスのその習慣は、ジャクリーンと婚約してから今の今までずっと続いている。……いや、正確に言えば、婚約破棄をする今この瞬間までは続いていたと言えようか。

コルテスたちの訪問に、いつも嬉しそうに頬を染めるジャクリーンは、とても素直で気持ちの優しい令嬢だった。その点では、コルテスの見立ては正しかった。そして、あまり世間擦れしておらず、人の言葉を疑うことを知らないおっとりとした彼女は、コルテスの見る限り、かなりの箱入りだった。

けれど、成長した彼女がこのようになるとは、コルテスにとっては予想外であり、そして期待外れでもあったのだ。


(人間、時間が経つと変わるものなのだな。……僕も、決断を早まったな)


コルテスが苦々しい思いを強めたのは、学園で、美しく、才気溢れる多くの令嬢たちを目にするようになってからだ。彼女たちとジャクリーンを比べる度に、少しずつ、彼女に対して心が冷えるのを感じた。ただ、コルテスもジャクリーンの人柄の良さはわかっていた。コルテスの愚痴にもどこまでも付き合ってくれる、穏やかな彼女と話していると癒され、また彼女と会う時間がルーティン化していたこともあり、ついずるずると彼女との婚約を続けていたのだ。

けれど、とうとう、そんなコルテスの心を大きく揺さぶる令嬢との出会いがあり、学園の卒業も近付いて来ていたため、コルテスはジャクリーンとの婚約を破棄することを決意したのだった。


「この婚約破棄は僕からの一方的なものだし、完全に、これは僕の責任だ。君にはでき得る限り、今後の縁談などに悪影響が及ばないよう、手を尽くすと誓おう。もちろん、多額の慰謝料も支払う。だから……」


そこまで言い掛けた時、ジャクリーンがコルテスの両手を、柔らかな自分の白い掌でそっと包んだ。


「まあ……!コルテス様が運命を感じるようなご令嬢と出会われたと、そういうことなのですね?」

「ああ、そ、そうだな」

「それは、おめでとうございます……!

私のことなど、構いませんわ。コルテス様が運命のお相手を見付けられたのであれば……。

どうか、その方とお幸せになってくださいましね」

「……すまないな。ありがとう」


両目に涙を浮かべて微笑むジャクリーンに、恨み言の一つでも言われるだろうと覚悟していたコルテスは面食らい、どうにも後ろめたい気持ちになった。


(きっと、悲しみを堪えて僕のことを祝福してくれているのだろうな。

……いい娘ではあるんだよなぁ)


もう、今のジャクリーンには、異性として向ける愛情は薄れてしまったけれど、これほど思いやり深く性格のよい女性は滅多にいないだろう。そうコルテスは思いつつも、微かに後ろ髪を引かれるような思いは胸にしまい込んで、ジャクリーンを彼女の家の前まで送り届けた。


***

ジャクリーンは、コルテスの馬車から降りると、迎えに出て来た侍女のアンナに、涙を流しながら抱き付いた。


「どうしよう、アンナ。私、コルテス様に婚約破棄されちゃったの……!」

「まあ、お嬢様。何てことでしょう……」


ジャクリーンは、蝶よ花よと育てられた、筋金入りの箱入り令嬢だ。そして、素直なところが長所でもあり、素直過ぎるところは玉にキズだと、アンナはそう思っている。

ジャクリーンが、父に言われるままに、決して王子の不興を買わないようにと、行き過ぎたくらいの注意を払うのを、アンナはいたたまれない気持ちでずっと見つめていたのだ。


(それなのに、お嬢様がこんな思いをすることになるなんて……)


純粋で優しいジャクリーンは、家人の誰からも愛されている。そんな彼女がぽろぽろと涙を零す姿に、アンナは歯噛みするような悔しい思いで、ぎゅっとジャクリーンを抱きしめた。


けれど、ジャクリーンの次の言葉を聞いて、アンナは思わず

「はあっ?」

と呟くとその目を見開いたのだった。

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