―72― 名称未定と……

「なにをしているの?」


 宿屋に戻るとおかしな光景があった。


「見てわからねーのですか、人間。絵を書いているのです」


 なんでそんなことを? と口を開こうとして、そういえば最近、画材をねだられたことを思い出す。

 わけもわからず買い与えたが、本当に絵を描き始めるとは。

 なにを描いているんだろう? と気になり、横から覗いてみる。


「なにを描いてるの?」


 見てわからなかったので、聞いた。


「名称未定ちゃんを描いているのです」


 つまり、自画像ってことだろうか。

 えっと、全く似てないんだけど。画材に描かれたのは黒い得体の知れない物体で、生き物なのか建造物なのかさえ見当がつかない。

 ただ言えることがあるとすれば、これは名称未定とは限りなく程遠いということだった。


「えっ、下手くそ過ぎない?」


 つい思ったことが口をついて出た。

 すると、名称未定が僕のことをキッと睨みつけて「ガルル」と唸りながら、ポコポコと僕のことを叩き始める。


「ご、ごめんってば」


 と、謝ったところで彼女の気が収まることはなく、叩くのをやめない。


「それで、今日の夕飯は……?」


 叩かれながら、僕は尋ねていた。

 見たところ準備している様子はないけど。


「料理はもう飽きたので、作らないです」

「あ、そうなんだ」


 最近やっと名称未定の料理が安定しておいしくなってきたというのに飽きたんだ。


「なら、僕が作るよ」


 仕方がないので、僕が用意することにする。

 台所に向かい、なんの食材があるのか把握するところからだよな。最近はずっと名称未定が用意していたので、なんの把握もできていないけど。


「えっと、なにしてんの?」


 なぜか台所に名称未定がついてきていた。料理は作らないと言っていたはずなのに。


「お前が作るとまずくなるのを思い出しました。やっぱり名称未定ちゃんが作ることにします」

「あ、そうなんだ」


 実際に僕よりは彼女のほうが作るのはうまいはずなので、そのほうが助かるといえば助かる。


「なにか手伝う?」

「お前が手伝うとまずくなるからなにもしなくていいですよ」

「そう、わかったよ」


 そんなわけで、結局いつもどおり名称未定が一人で夕飯を用意することになった。



「なぁ、なにかしたいこととかある?」


 二人で夕飯を食べている最中、ふと、僕はそう口にしていた。


「なんですか、急に。気持ち悪い」

「いや、料理を作ってもらったりとか散々お世話になっているから、なにかご褒美でもあげるべきだよなって思って」

「そうですね、お前はもっと名称未定ちゃんに感謝すべきです」

「まぁ、だから、なにかしたいことあれば、叶えてあげたいと思ったんだけど」

「したいことですか……」


 そう言うと、彼女は数秒ほど考えてから、笑顔でこう口にした。


「人を殲滅したいです」

「それ以外で」


 最初、名称未定が現れたときの悪夢を思い出す。そのときも、同じことをしようとしていたはずだ。


「じゃあ、ないです」


 興味を失ったように冷めた表情で彼女はそう口にした。

 いや、せめて他にもなにかあるでしょ。


「じぁ、今度二人でどこかに出かけようか」


 名称未定には基本、部屋で大人しくしてもらっている。時々、食材を買いに行くときとかは二人で出かけることもあるけれど。

 だから、気晴らしにでもなれば、と思い、そう提案した。


「どこに行くんですか?」

「んー、どうしようかな」


 この町で遊べる場所なんてないしな。

 ならば、町の外になるんだろうけど、町を出るとモンスターに襲われる可能性もあるし。まぁ、町の外に出現するのは低級モンスターばかりだから、問題もないか。


「なにか考えておくよ」


 そう言って、僕は会話を切り上げた。



 ――寝るのが嫌いだ。

 窓から射し込む月明かりを見ながら、名称未定はそんなことを考えていた。

 すでに、アンリは寝ているらしく、隣のベッドから寝息が聞こえてくる。

 自分も寝てしまおうとベッドで寝転がるが、中々寝つくことができない。

 どうしても、寝るって行為に苦手意識を持っているせいだからだろう。

 だけど、気がつけばうつらうつらと意識が朦朧としていき、いつの間に名称未定は眠りについていた。


「昨夜ぶりだね、名称未定ちゃん。いい加減、名前はつけてもらえたのかな」


 目の前にいる人物を見て、やはり眠気に勝てなかったか、と後悔する。


「毎夜毎夜、鬱陶しいのです。いい加減、夢にでてくるのはやめてほしいのですけど」

「今日も見本みたいなツンデレっぷりだね。相変わらずかわいいなぁ」


 とかいって、相手は自分の頭をなでてくる。それを両手で取り払いながら、名称未定はこう口にした。


「自分と同じ顔相手に、よくもかわいいなんて言えますね」

「そうかな? 客観的事実にもとづいて私はかわいい、と述べただけなのだけど」


 そういって、相手は小首を傾げていた。

 名称未定が喋っている相手、それは元この体の持ち主であったエレレートだった。

 名称未定がこの体を奪ったときから、毎夜のように彼女は夢に現れては快適な睡眠を邪魔してくる。

 だから、名称未定は寝るのが嫌いだった。


「それじぁ、昨夜のお話の続きをしようか。えっと、昨夜はどこで終わったっけ? 確か、お兄ちゃんが9歳7ヶ月目まで話したから、今日は8ヶ月目からかな。そろそろ寒くなってきた時期でね、お兄ちゃんが私にね――」

「やめるんです!」


 と、彼女の話を遮るように名称未定がそう叫んだ。


「毎夜毎夜、お前の兄の話を聞かされて、いい加減、頭がクラクラになりそうなんですの! せめて、なにか話すなら、お前の兄以外の話を聞かせろって言いたいんです!」

「ないよ。私、体が弱くでずっと家にいたし」

「だとしても、両親の話とかできるんじゃないですか」

「母親は私が小さい頃に死んじゃったし、父親は、あまり私にかまってくれなかったし。それに、名称未定ちゃんには、お兄ちゃんのことを好きになってほしいの。だからお兄ちゃんのことを話しているんだけど、駄目だった?」

「ふんっ、名称未定ちゃんが人間のことを好きになるなんてあり得ないんですの。お前による制約さえなければ、今頃人類の殲滅のために行動しているというのに」

「駄目だよ。そんなことしたら、私たち殺されちゃうでしょ」

「名称未定ちゃんのこと舐めるのも大概にしろって言いたいです。私に敵う冒険者なんているはずがねーのです」

「うーん、名称未定ちゃんこそ、冒険者のこと舐め過ぎだと思うよ。彼らが力をあわせたら、流石に勝てないんじゃないかな」

「そんなのやってみなければわからないじゃないですか」

「だーめ。それに、そんなことをしたらお兄ちゃんを困らせちゃうでしょ」

「あの人間が困ったら、名称未定ちゃんとしては清々するのです」

「やっぱりツンデレだなぁ。名称未定ちゃんだって、お兄ちゃんのこと困らせたくないくせに」


 とか言って、エレレートは自分の頬をぷにぷにと突く。

 ツンデレってなんだよ、とか思いながら、名称未定はその手を取り払う。


「大体お前は名称未定ちゃんにどうなってほしいんですか?」


 自分の体を奪われたのだ。

 ならば、『体を返せ』と激高するのが普通の反応だ。だけど、エレレートはこれまで一度もそんな態度を示したことがなかった。


「さっきも言ったよね。名称未定ちゃんにはお兄ちゃんのことを好きになってほしいって」

「だーかーら、なんで、あの人間を好きにならなきゃいけないんですか!」

「えー、そりゃあ、どっちも私の好きな人だもん。だから、仲良くなってほしいじゃん」


 なに言っているんだ、こいつは……?


「人間、お前はこの名称未定ちゃんを恨むべきだろう」

「え? なんで?」


 キョトンとした顔でエレレートは首を傾げていた。

 その表情に苛ついた名称未定は声を荒げる。


「だから、お前は名称未定ちゃんに体を奪われたんですよ。だったら、恨むのが普通の反応じゃないてすか!」

「いやいや、私は名称未定ちゃんにすごく感謝しているんだよ。あなたがいなければ、私は死んだままだった。あなたのおかげで、私はこうして生きていられる。だから、感謝こそすれど、恨む理由なんて一つもないよ」


 確かに、名称未定がこの体を乗っ取ろうとしたとき、この体は死体だった。おかげで、乗っ取るのが簡単だったが、実際、乗っ取り肉体に血を通わせた瞬間、蘇ったかのように彼女の魂が内に出現したのだ。

 おかげで、こうして夢の中に現れるわ、一部の行動を制限させるわで迷惑しているわけである。

 とはいえ、名称未定にはどうしようもないのだが。


 まぁ、いい。

 名称未定は心の中でほくそ笑む。

 もう少し待てば、名称未定の思い描いた未来がやってくる。

 それまでの辛抱だ。


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