106.私だけを見て
「はぁ……ひどい目にあった……」
結局、俺は彼女たち3人の攻勢に耐えることは出来なかった。
逃げようにも脱出口を失い、前後から迫ってくる者になすすべもなく捉えられ、後ろからリオの持っていたウィッグを被せられる結末だ。
潔く諦めのついた俺がされるがままでいると、あれよあれよと伸びてくるのは6本の腕。
顔全体にむず痒い思いをしながら目を閉じて嵐を過ぎるのを待つと、気付けば化粧の終えた俺の顔が鏡の向こうで向かい合っていた。
そこで「これが……私……!? 俺じゃないみたい!!」なんてことがあればよかったのだが、そんなこともなく……
見た目は普通に女装した俺の姿だった。むしろ気持ち悪い出来にならず嫌悪感を抱かないレベルの出来にしたのが凄い。
彼女たちは可愛いと絶賛してくれたがそんな姿に耐えることもできず、洗面所にて化粧を落としに来ていた。
「これはさすがに……酷い顔……」
適当にバシャバシャと水で顔を洗っていたが、顔を上げると化粧が溶けてグチャグチャになった顔がそこにあった。
シャドウやライナーなどが混ざりあって形容し難い色のまま頬に集まり、ポタポタとファンデが溶けて水滴となって落ちていく。
これはさすがに自分でも見てられない。ヌメヌメだし。
でも、水がダメなら何が必要なんだっけ……
母さんが何かのオイルを使ってた覚えがあるけど、オイルなんてサラダ油とかサンオイルくらいしか知らない。
適当に見渡しても似たような容器いっぱいあるし……
適当に手にとって見るもなかなかそれっぽいのにたどり着かない。
そもそも、化粧水や乳液はわかる。他の、美容液とかBBクリームとかマッサージ料ってなに?違うメーカーの化粧水が複数あったりするし。
物が多すぎてどれを使えばいいのかさっぱりだ。
「もう、このまま……このドロドロの顔のまま3人のとこに戻ろうかな……」
「な~にブツブツ言ってんの~?」
「おわぁ!!」
探しものに夢中で人が来ていたことに気付けなかったようだ。
扉のほうには壁に肘をつくエレナの姿が呆れ顔で立っていた。きっと遅いから様子を見に来たのだろう。
「って、酷い顔ね。 もしかして落とし方わからないとか?」
「うん……種類多すぎるでしょこれ。 どれ使えばいいの?」
「だろうと思ったわ。ちょっと待ってなさい」
エレナは手を洗ってからクレンジングオイルと書かれたボトルを一本取り出す。
それを使うのか。たしかに言われてみれば母さんもそれを使ってた……気がする。
「ほら、こっち向きなさい」
「う、うん……わぷ!」
言われるがまま向かい合うように顔を向けると、突然頭に何か被せられて声を上げてしまう。 ヘアバンドか。
「じゃあやっていくわよ。じっとしててね」
「お願いします……」
彼女は手にとったオイルを薄く伸ばして俺のおでこから鼻、鼻から頬へと順々に広げていく。
その触れる手はとても優しく、まるで割れ物を取り扱うかのようにゆっくりだ。
そして行き場に困った俺の顔は自然と正面にあるエレナの顔へ。
彼女は全くその事を気にしていないのか、真剣な表情で化粧の濃いであろう場所を見ている。
なんだろう……場所と使い方を教えてもらえれば良かったのに、こうやってオイルを塗ってもらうのは恥ずかしい。
その綺麗な瞳と長いまつ毛がもう触れるほど近い。彼女の綺麗な顔がすぐ目と鼻の先にあって俺の心はドキドキしっぱなしだ。
……姉が居たらこんな風に何かを手伝ってもらうことがあるのだろうか。
例えば前髪を切ってもらったり、眉を整えてもらったり……
そう考えると、こうしてもらってると、エレナが姉なのはなかなか頼りがいがあるし悪くないかも。
…………そろそろ終わったかな?少しだけ鏡の方に顔を――――
「こら、横向かない!」
「ご、ごめん」
視線だけを動かそうとした結果顔までも動いていたようだ。
小さな手が両頬を包み向きを修正される。
強制的に正面を向いた視線はその碧色の瞳へ。
やっぱり綺麗な瞳だよなぁ。日本人離れしてるのはもちろん、それでも宝石のようだ。
全てを見透かすような。それでいて魅了するような。
吸い込まれそうな瞳からつい逸しそうになると、ふと小さな口が動き始めるのが目に入る。
「慎也は私だけを見てればいいのよ。よそ見しないで」
「…………」
それは俺に対して言った言葉なのか、それとも自然と出た独り言なのかはわからない。
私だけ…………とは、どういう意味だろう。
……いや、きっと他意なんてない。動かさず、ただされるがままでいろということだ。
口元に手を当てられているため答えることはないが、従うように前後に揺れる金色の毛先を眺めながら終わるのを待つ。
「――――はい!出来たわよ。 あとはぬるま湯で落としてもらえばシッカリ落ちるわ」
「えっ!? あ、うん。ありがと……」
毛先を見ていたら少しボウっとしていたようで、その言葉によって現実へと引き戻された。
俺は指示されたとおりぬるま湯でオイルを落とし、差し出されたタオルで顔を拭いていく。
「おぉ……凄い。ホントに落ちた……」
「でしょう? 今度からは化粧の落とし方も覚えたほうがいいわよ」
いや、俺はもう化粧する予定ないんだけどな……
でも今回は助かった。今冷静に考えると、あのまま戻ってたらリオあたりに写真を撮られかねない。
「ありがとう。助かったよ。 じゃあ、掃除の続きを――――」
「待ちなさい」
「!?」
今度こそ本題である掃除に戻ろうかと彼女の横を通り過ぎようしとしたところで腕を掴まれた。
何事かと様子を伺うとその手にはまた別の容器が。え、なに?まだなにかあるの?
「次はこれよ。化粧水と乳液」
「えー。 別にいいんじゃない?家でもやってないし……」
「ダメよ! いくら男の子でもこれくらいは必須なんだから! ほら、戻って戻って!!」
「えー……」
逃げようにもギュッと腕を掴まれているから逃げようがない。
まぁ、適当につけるだけだし大人しく従ったほうがよさそうだ。
俺は元の位置に戻って彼女の持つ容器を受け取ろうとする。
「…………? エレナ?」
「なぁに?」
「いや、容器貸してくれない? そうじゃないとつけられないんだけど」
「ダメよ。私がつけるんだから」
「!?」
エレナがつける!?
このくらい一人でできるのに!?
それはさすがにと遠慮しようと思ったが、彼女の性格を考えて寸前で思いとどまる。
でもなぁ……言い出したら聞かないエレナだからなぁ……
もう化粧落としてもらったし、今更か。
「あら、案外素直ね」
「もうエレナが意見を曲げないことは知ってるから」
「殊勝な心意気よ。準備するからちょっと待って頂戴」
そう言って棚からコットンをいくつか取り出していく。
なんでもあるね。ここ。
「……って、やりにくいわね。 しゃがんでもらえない?手が届かないわ」
「ねぇ、自分でつけちゃだめ?」
「ダメ。任せたら絶対適当にやるでしょ? ちゃんと適量とやり方ってのがあるんだから、お姉ちゃんがやるのよ!」
「えぇ…………」
「じゃないと紗也ちゃんにあること無いこと言いつけるわよ?」
「ズルい!!」
何を言うつもりだ!?
紗也はアイさん以上に天使だから大抵のことは流してくれると思うが、まかり間違って「気持ち悪い……」なんて言われたらショックで寝込む自身がある。
そんな脅しをされたらもうどうしようもない。諦めてさっきと同じように向かう形で中腰になると、今度は肩を掴まれて洗面台の方に向けられた。エレナに背を向ける格好だ。
「こっち向くの?」
「さっき思ったのよ。向かい合ったら相当やりにくいって。 だから…………こうっ!」
「!!」
エレナは何を思ったのか――――
俺が中腰で洗面台に身体を向けていると背中に柔らかな感触が襲いかかってきた。
――――後ろからあすなろ抱きの要領で腕を回してきたのだ。
そのまま器用に化粧水を適量とり、俺の顔へと近づけていく。
「エレナ……これ、恥ずかしいんだけど……」
「慎也が横着するから悪いのよ。大人しくお姉ちゃんに従ってなさい」
そうは言うものの彼女の顔もなかなかに赤い。
その体躯は小学生そのものではあるが、ここまで思い切り密着されると背中に柔らかな感触がほのかに伝わってくる。
きっと同じく自覚しているのだろう、その動きはぎこちない。けれど決して顔にある手は止まる様子はなかった。
「……よしっ!今度こそ終わったわ!」
彼女から漂ってくる香りと柔らかさを堪能……じゃなかった。耐えているといつの間にか乳液も終わったようでそっと暖かな感覚が遠のいていく。
「今度こそ終わったか……」
「えぇ。寂しい? 寂しいならまた今度お姉ちゃんがやってあげましょうか? 全く、いくつになっても甘えん坊な弟なんだから……」
「…………」
なんだろう。唐突に、無性に仕返しがしたくなった。
といっても仕返しできる道具なんて……あぁ、化粧水を借りよう。
これで後ろからいきなり頬へと当てたらびっくりするぞ。
即興で仕返しの計画を立てた俺は、近くに置かれた化粧水を適量つけて洗面所を出ようとするエレナにそっと近づいていく。
一歩……二歩…………いまだっ!
「さっきまでの……お礼!」
「ひゃぁ!!」
背後から一発。
彼女の両頬を包み込むように化粧水をつけると期待通りの反応をしてくれた。
肩をビクンと大きく震わせ、甲高くも可愛い声を発してくれる。これだよ。この反応が見たかったんだよ。
まぁ、大した事もしてないしすぐ許してくれる――――
「…………やったわねぇ…………」
って、あれ?ちょっと怒りのボルテージ高くない?
「これは乳液までじゃ足りなかったようね……さらなる美容改造をご所望と見たわ」
「えっと、決してそんなことはなくってですね……その……」
「問答無用!!」
一度スイッチ入った彼女を止めることは俺には出来ないようだ。
そのままドタバタと騒ぐ俺たちをリオが聞きつけるまで、二人の攻防は続くのであった――――
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