104.お寝坊さん
「ふぅん…………だから、エレナとは何もないと?」
「うん。だから……その……機嫌直して?」
エレベーター前でリオを合流してから十数分。俺たちは当初の予定通りエレナの部屋の片付けを開始していた。
当のエレナは自室でゴミと残すものの分別、そして俺は手伝うと立候補してくれたリオと共にリビングの窓拭きの最中。
リオはシッカリ仕事はしてくれるもののその言葉の節々にトゲがある。
それも当然のことなのかもしれない。本人が言うには彼女は俺のことが……好き……だそうだ。そんな中、エレベーターで仲間と近づいていたら良い気はしないだろう。
だから俺は手を動かしながら何とか機嫌を戻ってもらおうと先程の経緯を説明していたわけだ。
「別にぃ……私は怒ってなんか無いよ~。つーん」
「めちゃくちゃ怒ってるじゃん……」
現にこうやって会話もしてくれるし手伝ってもくれるけれど絶対に目を合わせてはくれない。
謝っても説明をしても意思が変わらないのなら俺としては打つ手なしだ。
もう過ぎたことだしと開き直ってみる?いや、愚策中の愚策だ。
なら土下座?それも空気を悪くするだけで悪手にしかならない。
これからどうしようと途方にくれながら作業していると、不意に、いつの間にか隣から彼女の姿が消えていた。
どこに行ったのかと思えば、俺の後ろに回ったようで背中にポスンと額をくっつける感触が。
「リオ?」
「ねね、好きな人が目の前で大事な仲間とイチャイチャしてたら複雑な気持ちになるの……なんとなくはわかる、よね?」
「…………ごめん」
実際の恋仲ではない以上、本質的に誰が悪いとかそういう者は居ないのかもしれない。
けれどその胸中は簡単に想像がつく。特に彼女は出会ってからずっと俺に好意を示してくれているんだ。それでこんな仕打ちはあまりにも不義理ではないか。
彼女は更に言葉を連ねていく。
「そうだよ。こんなにカワイイ恋人がいるのにエレナとイチャイチャだなんて」
「…………んん?」
……俺の聞き間違いだろうか。非常にこの場にそぐわない言葉が出たような。
「ごめん、カワイイ……なんだって?」
「? 宇宙一可愛くて、浮気なんて以ての外な気立ての良い理想的なフィアンセのこと?」
「長い長い。 いつからそうなったの」
背中からおどけたような声が聞こえてくる。
さっきの言葉に一つたりとも掠ってなかったじゃないか。
しかも恋人からフィアンセに進化してるし。
「いつからって、近い未来なるんだし、先取り?」
「未来予知!?」
「だってそんな未来じゃないと……『貴方を殺して私も死ぬ!』コースだったり?」
「バイオレンス!!」
そんな血を見る未来なんて絶対イヤだよ!
あ、でも好きな人に抱かれて看取られるのは夢だな。それが殺されるのは勘弁だけど。ちゃんと天寿を全うしたい。
「冗談冗談。 でも、振り向いてくれなかったらずっと慎也クンを想って生き続けるのは本当かな。 あ、これマネージャーみたい」
「プレッシャー……」
実際に叔母である神鳥さんがそうなってる以上、否定することも出来ない。
彼女は俺の怯みに畳み掛けるようにどんどん攻勢を強めていく。
「どう?私、ちゃんと料理も頑張るしヒモ生活ができるよ。男の子ってそういうのが夢なんでしょ?」
「ヒモ云々は知らないけど……ちゃんと答えだすから……優柔不断で悪いけどもうちょっと……」
なんとか絞り出すようにお願いすると背中にかかっていた圧力がフッと消える。
一瞬嫌になってリビングから出ていったのかと思ったが、隣を見れば彼女が立っていて再度窓拭きに取り掛かり始めていた。
「んむ。知ってた。 急かしちゃってごめんね。ちょっと八つ当たり、しちゃった」
「……ごめん」
さっきから謝ってばかりだ。
けれどそれは八つ当たりではなく正当な当たりだろう。
それからしばらくお互いに言葉を無くし、無言で作業になると思いきや、彼女はその小さな口をそっと開けて――――
「……先々週、私のほっぺにキスしたくせに……」
「っ――――!! ななななんで…………!! それを…………!!」
――――それは思わぬ爆弾の投下だった。
その言葉を聞いた途端俺の顔が火を吹くように真っ赤に染まる。
まさかあの時、本当に起きていたとは!確かに一瞬震えたし朝も変な感じだったけど!考えないようにしてたのに!!
「わ……忘れて! あれ思い出すたびに恥ずかしいんだから!!」
「ムフフ……忘れるわけが。 せっかく慎也クンが自らキスしてくれたんだもの。一生の思い出の一つだよ」
「~~~~!!」
もはや手を動かすことも忘れて抗議するも彼女の意思は固そうだ。
俺はただただあの時の事を思い出して穴に入りたい感情に襲われる。
「うるさいわねぇ……何の騒ぎよ…………」
そんな時、入り口からかけられたのは3人目の声。
エレナだ。彼女はゴミ袋いっぱいに入った物を2つ引きずりながらリビングに入ってきた。
「あっ、ごめん。 もう終わった?」
「えぇ、ゴミは全部纏めたわ。 何か大声で言い合ってたけど何かあったの?喧嘩?」
リオの問いに簡潔に答えるエレナ。
その口調は一瞬不機嫌なものかと思ったが、心配から来ているようだ。
彼女の表情は怒りより不安が占めていて俺たちを交互に見やってくる。
けどごめん。エレナには話せないんだ……
「聞かないで……恥ずかしいことがあっただけだから……」
「? 変な慎也ね。ま、喧嘩や事故とかじゃないのならいいわ」
事故といえば事故かもしれないけど。
感情の暴走事故だ。
エレナが分別を終えたのなら本格的に掃除を開始できるということ。
それじゃあ部屋を回って本格的に掃除開始を…………あれ?
「ねぇエレナ、リオ。そういえば掃除を命じたアイさんは?仕事?」
「そういえば見てないわね……リオは?」
「見てない。 仕事はオフのはずだからどこか行ってるか、部屋に籠もってるか――――」
リオが幾つか可能性を挙げたその時だった。
突然玄関の扉が開く音がし、バタバタと走ってくる気配が。
そして勢いよくリビングの扉が開き一つの人影が飛び出してくる。
「ごめん!リオ!エレナ!! 寝坊しちゃった!!」
噂をすれば影。
その人影は今まで話していたアイさんその人だった。
彼女は髪が一部だけペッタンコになっていて、寝坊したというのは本当のようだ。
「おはよう、アイ。寝坊なんて珍しいわね」
「おはよ。 でも、もうひとり居る」
「ちょっと昨日遅くまで起きちゃってて……へ? もうひとり…………? あっ――――」
どうやら彼女は俺の存在に気がついていなかったようだ。
少しだけぼーっとした様子であたりを見渡し、俺と目が合ったあとその目が段々と見開かれていく。
「あー、おはよ。寝坊なんて珍しいんだね」
「あっ……あっ……ごめんなさい慎也さん! みっともない姿を見せて!! すぐ着替えてきます~~!!」
そう言って来た道を大急ぎで引き返すアイさん。
彼女の格好はまさに寝間着だったのか、キャミソールの上に薄いパーカーを着て、前が完全に開いていた。
そのお陰で彼女のスタイルの良さがぴっしりと俺の目に入り、その光景を焼き付けていた。
さすがアイさん。どんなときでも、少しドジしても天使さは損なわれない。
むしろ少しおっちょこちょいなところも可愛いです。
「――――おわっ!」
そんな彼女の去った扉を見ていると、不意に両脇へ襲うのは二方向からの指の突き。
全く警戒していなかった時の攻撃で思わず変な声が出てしまった。
「…………どっち?」
「ふーんだ」
「つーん」
両隣に立つエレナとリオは何も返答がない。
俺は彼女たちの機嫌を戻すのに、更に時間を要するのであった――――
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