008.ストロベリーリキッド
「そういえば――――」
丁寧な所作でムースを口にしていたエレナがふと問いかける。
「私たちについては調べたの?」
「私たちって……グループのこと?」
そう問い返すと彼女はゆっくりと首を縦に振る。
こちらから見える横顔からは感情が読めない。ただの好奇心で聞いたのだろうか。
「うん、簡単にだけどね。俺が知ってる限りでは――――」
ストロベリーリキッド―――
それは彼女が所属する3人組アイドルユニットだ。
活動開始して1年ちょっとで台頭し、今となっては単独コンサートやいくつかのCMを持っているほど。
しかしアイドルと言ってもどちらかと言えばアーティスト寄りであり、今どき珍しくテレビ番組はおろかネットでの露出はほとんどないとか。
そしてグループのサイドを主に担当しているのがエレナ。
ネットによると
「…………ふぅん」
あの後調べ上げた事を報告するとエレナはなんてことのないように運ばれてきたコーヒーを一口飲み、苦かったのかその表情がしかめ面に変化していく。
「うぇ……お砂糖入れ忘れたわ……」
そう恨み言を言いながら脇に置かれていた角砂糖をドボドボと投入していく。2個、3個……どれだけ入れるつもりだろう。
「入れ過ぎじゃない?」
「いいのよ。毎日毎日レッスンで糖分が足りてないもの」
それを言うのなら塩分ではないだろうか。ともかく、満足いく量を入れ終わったエレナはコーヒーを口にして満足そうに顔を綻ばせた。
「それで、調べたのってネットでよね?」
「? うん。そうだよ」
「そうよね……ネットも好きに書いてくれるわ」
何かが納得いっていないのかコーヒーを一気に飲み干して二杯目を要求する。
はて、何か事実と違うことでも書かれていたのだろうか。
「どれのこと?」
「私の歌唱力のことよ。もっと上でもいいはずなのに…………見てなさい、すぐに上の上って言わせてみせるんだから!」
なんだ、そのことか。
俺にとっては特に気にもならなかったがエレナ自身にとっては憤慨するほどだったらしい。
どうにも彼女は上昇志向の気が強い部分があるようだ。
「ま、いいわ。 それよりキミはどう思ったの?」
「俺?」
「そうよ。 そこまで調べたのなら曲なりダンスなり見たんでしょ?どう思った?」
たしかに調べる過程でそういった動画も見た。けれどどう、と言われるとなんて返そうか返答に困ってしまう。
「……よかったんじゃない?」
「なぁんか含みのある感想ねぇ」
こういう時なんて返せばいいか持ち合わせが無いからしょうがない。
けれど実際見たときには圧倒された。歌もさることながら彼女のダンスは楽しそうで、一緒に踊っていた江嶋さんと何度も笑い合っていたのが印象に残っている。
「そんなこと無いよ。ただ……」
「ただ?」
「エレナと江嶋さんが、姉妹みたいだったなぁって」
「…………」
何気なく動画を見た時の素直な感想がこぼれ出た。
しかし一向にエレナからの反応が無い。妙だと思ってふとそちらを向くと彼女は目を丸くして、口が半開きのまま固まって驚いている様相だった。
「……エレナ?」
「う…………」
「う?」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない! さすがは私の弟ね!!」
「うわっ!? 何っ!? 髪が……!」
固まっていたのも束の間。不安に思って彼女の顔を覗き込むと同時にその手が俺の頭に伸び髪をワシャワシャと乱雑に撫でていく。
「私たちはいつも息ピッタリだもの! もちろん私があ――――」
「もちろんエレナは妹――――って何強くしてるの!?」
妹であることを強調しようとしたら髪ワシャワシャの速度が上がった。何故だ。事実を述べただけなのに。
「――――まったく。 私のほうが年上だっていうのに見かけに騙される人が多すぎるわ」
「年上? じゃあ江嶋さんの年齢って……」
「あの子は私の一個下だから……キミと同い年かしら」
まさかの同い年。一瞬しか見ていないがあのエレナを心配した印象からして更に年上かと思っていた。
「なに?アイのことが気になるの? 残念だけど私からはここまで。これ以上は本人から直接聞くことね」
撫でていた手を止め、突っ返すように俺を軽く突き飛ばすエレナ。
その際崩れた身なりを整えている間に彼女は俺の飲んでいたコーヒーを奪い取り、そのまま口に運んでいった。
「うぇぇ……よくこんな苦いものが飲めたわね……」
「なんでわかってるのに飲むの…… 慣れだよ。最初は砂糖入りで飲んでいるうちに段々と、ね」
返されたカップを眺めながら昔の事を思い出す。
俺も昔はコーヒーなんて人が飲むようなものではないと思っていた。けれど母が好んで飲むものだから段々と香りが気に入り、少しづつ砂糖を減らすことでいつの間にか自他ともに認める立派なコーヒージャンキーへと進化していた。
「ふぅん……ま、私には訪れない未来でしょうけどね」
エレナは自身の砂糖とミルクたっぷり入ったコーヒーに口をつける。
なんとなくその捨て台詞のような言葉がおかしくて、笑いをこらえながら自らのコーヒーを飲み干した。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「今日は付き合ってくれてありがとね。お礼になったかしら?」
夢のような場所での夢のような食事が終わり、俺たちはホテルの外で向かい合う。
「うん、凄く楽しかった。 こちらこそありがとう」
「……そう、楽しんでくれたのなら何よりだわ」
「うん……」
「…………」
お互いに話すことがなくなり、無言の時がしばらく流れる。
彼女が何を思っているかは検討もつかないが俺自身、この時間が名残惜しくも感じた。
「…………また、ね」
「……うん、じゃあね」
彼女が小さく手を上げたのに合わせて手を軽く上げる。
その言葉は『またね』だったが俺自身はこれ以上会う理由が無いため『じゃあね』と返事を返す。
「……違う!」
「へっ? …………わっ!」
お互いの別れの言葉で駅に向かおうと手を下ろしかけたその時、突如彼女の上げていた手が伸び、下ろしかけた手を掴んで引き寄せる。
幸い転ける事はなかったものの、お互いの顔の距離は接触までおよそ10数センチほど。直ぐ側まで近づいた彼女の顔を直視することができず、つい顔を背けてしまう。
「ま・た・ね! でしょ?」
「う、うん……またね……」
「よしっ!」
その綺麗な碧色の瞳に圧されて考える暇もなく同じ言葉を返す。すると満足がいったのかエレナは手の力を緩めていった。
「それじゃ、今度こそ私はいくわ。 それじゃあまたね~」
笑顔になったエレナは返事を待つこともなく近くにあったタクシーに乗り込んでしまい、そのまま見えなくなっていく。
けれどタクシーに乗り込む直前、彼女の顔が真っ赤に染まっている事に気付き、苦笑しながらタクシーの後ろ姿を見送った。
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