切れ長垂れ目、緩いウェーブと泣きぼくろ
レイニ
第1話 合コンとか出会い系とか
土曜日。一週間で一番最強の日である。そんな日は喫茶店に篭るに限る。
ということでいつもの通り、車でニ十分ほどの片田舎にある喫茶店に来ていた。夕暮れ時だが、店内にはまばらにしか人がいない。片田舎の喫茶店なので土地だけは余っているのか店内は広い。市内の喫茶店が明らかにパーソナルスペース分すら確保出来ていない席の狭さなのに比べたら大きな違いだ。しかし、いかんせん片田舎なので人があまり多くない。平日はおばさま方の溜まり場になっており、それがこの店舗の財政を成立させていると思われるのだが、本日は恐らく赤字だろう。
今日はインプットデー。つい先日、追っているラノベの新刊が二冊ほど出たのでそれを楽しむ日。読み終えたらPCを取り出してアウトプットデー、つまり趣味の小説書きに転じる予定だ。ちなみに、これまで綺麗に転じられた試しは無い。スマホを手にしていると、大体ソシャゲとかツイッターを見るデーに転じてしまう。
午後一時に店に着き、オクラとなめこのねばねばパスタを食べつつスマホで本を読んでいると、二冊目を読み終える頃にはあっという間に四時になっていた。ラブコメ最高。最近は流行っているからか玉石混交の激しいジャンルになってきたけど、どちらのシリーズも相変わらず最高だった。高校生に戻りたくなったし、ついでに軽く鬱になった。オタクとは最高になると同時に鬱になりやすい生き物である。度し難いね。
一応アウトプットデーに転じる構えだけはしておこうということで、ノートPCを起動しつつ、残り少なくなったアイスコーヒーを飲み干し、二杯目はアイスカフェオレを注文する。勿論ガムシロは付けます。ガムシロのたっぷり入ったアイスカフェオレがこの世界で一番おいしいという真実に俺は気付いている。
しかしあっという間の三時間だった。長時間に及ぶ前傾姿勢により凝り固まった背中を、背を反らしつつ伸びをすることで労わる。集中が一気に霧散していく感覚。
気付くと、二つ席を挟んだカウンター席に、お洒落なショートカットの女性が座っている。読書に集中出来ていたからか全く気付いていなかった。一瞬で視線を外す。お一人様かしら。一人で行動出来る系女子ってだけで好き。いや一人じゃないかもしれないけど。スマホを横に傾けながら画面をタッチしていたので、ソシャゲでもしているのだろうか。綺麗系な人がソシャゲしてるってだけで好き。俺はちょろい。
カフェオレを待っている間に席を立ち手洗いを済ませ、トイレの扉を開けると、人とぶつかりそうになった。
「アスイアセ……」
こういう時の俺の謝罪は死ぬほど早い。こういう時だけ早い。普段はとろいのに。オタクの悲しい性である。オタク関係ある?
「いえ……」
普段人の顔をなるべく見ないようにしているが、思わず目の前の顔に吸い寄せられる。横に座っていた女の人だ。顔が良い。
「ひィ”っ……」
「……え?」
我が人生、数多きキモさの中でも歴代最大瞬間風速のキモ声が出てしまった。自分でびっくりした。
多少の顔が良いくらいで俺の視線即ロック外しが機能しなくなることは無い。この女の人はただの顔が良いでは無かった。それは、俺の二次元の推しをそのまま三次元化したような容姿だった。
しかし限界化した人間が出す鳴き声、あれ演技じゃなくて素であの声が出てるんだな。心で理解出来た。そしてその代償として目の前の女性はめっちゃくちゃ怪訝そうな顔をしていた。ドン引きだもんね。あんな生理的嫌悪感の滲み出た「え?」、なかなか無いよ。女性の視線ロックが外れないのを感じつつ、横をすり抜けて席に戻る。心が叫びたがっていた。というか叫んでた。うぐおおおおお。
樋口円香がいた。樋口円香がいた……樋口円香がいた!
樋口円香。俺が一番推しているソシャゲアイドルである。ただでさえ顔が良いのに、性格も最高に「おもしれー女」なキャラクターで、しばらく推しというものが不在だった俺のオタク人生に、昨年急遽現れた超新星である。どれぐらいディープなインパクトを受けたかというと、人生の四半世紀を黒髪ロングの狂信者であった自分が「あれ、ショートって良くない……? ショート……好き……」などとのたまう背信者になってしまうほどの衝撃であった。見た目も本当好き。
現実の樋口円香はヘヤピンこそしていなかったが、緩くウェーブがかった茶髪のミディアムボブ、右目は若干メカクレ気味で、退屈そうな印象を受ける切れ長なタレ目、しかも位置は逆だけど右目に泣きぼくろがあるところまで完璧だった。白いブラウスとネイビーのスラックスで、いかにもお洒落~~って感じが、樋口円香の将来の一つって感じ。やばい、この喫茶店リアル樋口円香が出るぞ。自分の内なるキモ性が存分に解き放たれる。このままではキモ性が充満した身体が破裂し世界にキモが解き放たれてしまうので、到着したアイスカフェオレ君に遠慮なくガムシロをぶちまけ啜ることでキモの鎮火を図る。
リアル樋口円香さんが手洗いから戻ってくるのを気配で感じつつ、急いでスマホ画面に表示された樋口円香の画像を電子書籍に切り替える。平静を装い目線はスマホから一切外さないが、相当無意味に緊張した。ワンチャン、横にキモい男がいるので帰りますパターンまで想定したが、しばらく様子を見るもとい感じていると、彼女はしばらくスマホを縦に持った後、再び横に倒してソシャゲを遊び始めた。ふいに俺の頭の中のギャルが『一生あの女の人のこと意識してんじゃんキモ』と罵ってくる。頭の中にギャルがいることを総合して本当にキモい。でも止められないんだけどォ!
読んでくる文章の中身が一切入ってこないので文字を追うことをやめる。まずいな。学生という身分から卒業して以降、比較的落ち着きを得た、別の言い方をするとキモさがなりを潜めたと思っていたのに、全然そんなことは無かった。でもしょうがないでしょう!? 推しがいきなり目の前に現れたら誰だってこうなりますよ! そもそも彼女は樋口円香じゃないんですけど。
目線を向けると、リアル樋口円香はストローを咥えつつ横になったスマホをぽちぽちしていた。照明の反射で画面は全く見えない。なんていうか、気怠そうな雰囲気が本当に樋口円香。『現実の人をアニメキャラに例えるとか本当キモいんだけど……キモ』と脳内ギャルがドン引いているし、その横に立っているもう一人の僕も一緒に引いていた。は? 樋口円香はアニメキャラじゃないんですけど! と脳内に対しコンプレインする。この間、視線を送ってからわずか二秒。割と見ちゃってますね。
ふいに、彼女がコーヒーを飲もうとして、右手に持っているスマホが持ち上げられる。スクリーンに映し出されたものをつい見てしまい、本日二回目の鳴き声が喫茶店の片隅に生まれ落ちる。
「ぅえ……っ」
「……え?」
画面の中にいる浅倉、つまりはアイドルマスターシャイニカラーズで樋口円香とユニット・ノクチルを組んでいる浅倉透と目が合い、そしてリアル樋口円香と目が合う。
「とおまどやん……」
「……え……?」
怪訝そうな表情が次第に驚きへと変わっていく円香(ではない)を前に、背筋を冷や汗が通る感覚に体がぞわっとする。
「あっ……えっと……」
「……」
デデン! 問題です! ヤバい! 何か……ヤバーーーいッ! 脳内が一瞬大パニック大会を開催するが、すぐに中止させた。こういう時、パニくって何も出来なくなる時期はもう過ぎてしまったのである。男なら前のめりになって死ね……っ!
「あの、もしかして、……プロデューサーですか?」
「…………」
めっちゃ見られてる。全身見られてる。あの怪訝そうな顔のままめっちゃ品定めされてる。あんな人のこと上から下まで見る人、ドラマぐらいでしか見たことなくて笑いそうになった。ていうかやめて下さい見ないでください。いやお前自分ではめっちゃ見てたやーん。
俺をガン見した後、店内を軽く見渡し、再び俺に視線を戻すと、彼女が口を開く。眉尻が下がったその表情は、端的に言うと恥ずかしそうだった。
「……席、隣空いてます?」
「あ、空いてます……」
やばい。やばーーーーい!
カウンター席のすぐ目の前にある窓からは、十畳ほどを竹柵で囲った日本庭園風?な、灯篭とか鹿威しとか苔むされた石とかが、全く手入れされずに放置されている庭の様子を映し出していた。来るたびに思うんだけど、この庭一体何なんだ。でも嫌いじゃないよ。
下らないことを思ってる内に、樋口円香(仮)ががっつり荷物をまとめて左隣の席に越してくる。席を立つときにテーブルを拭いてたの、育ちが良いポイントプラス一点である。
「……えっと、はい。プロデューサーです。……ご担当は?」
「あ、えっと、樋口です」
「ああ、そうですか……」
初対面の会話がこれなの、オタクってすげーよな。
「……えっと、そちらは?」
「…………ええと……あの、……樋口です」
「ですよね……えっ……え、レイヤーさんですか?」
「え? ふっ……まさか」
元の意味じゃない方で失笑された。嘲笑とも言う。樋口(仮)が立て続けに言葉を発する。
「いや、あの、言い訳……じゃなくて、説明させて下さい」
「あ、はい。どうぞ」
この不思議な間で会話する感じも嫌いじゃないよ。
語られた内容を要約すると――
『結論、樋口円香みたいな恰好をしているのは、いざという時にしっかりと自分を持っている発言が出来たりといったような、彼女の強さに憧れたから』
『自分も性格が多少樋口に似ているところがあるし、容姿的にもあの髪型が自分に合うと思ってイメチェンをしてみただけで、別に自分が樋口円香になりたいというわけではない』
『周りにこういったゲームをする友達はいないし、知ってる人に見られたらどうなるのか考えたことも無かった』
最初こそ勢いのまま喋り出した彼女だが、話すにつれてクールダウンしてきたのか、ぽつりぽつりと、しっかりと考えて発言していることを伺わせる、落ち着いた口調で語った。ゲーム内のあのキャラクターの言動とは必ずしも同一なものではなかったけど――いや当たり前だが、それでもどことなく、ああこの人樋口円香と合いそうだなという雰囲気が伺えた。
「なるほど……前はどんな髪型だったんですか?」
「結構長めでした。胸元ぐらいはあったかな」
似合いそ~~~~。ロング派閥だった人間にはなかなかに破壊力のある発言だ。何故初対面の人の過去にまで破壊される俺?
「へえ、じゃあ結構大胆に切ったんですね」
「そうですね……周りには結構驚かれました。別に失恋とかじゃなかったんですけど」
失恋ね。そもそもこの方の存在が若干現実離れしているのであんま考えてなかったけど、そりゃこんだけ綺麗なら彼氏にも困らんわな。そういえば名前を聞いていなかったと思い、口を開く。
「あ、ていうかすいません、自己紹介がまだでした。自分、
「ああ……
「ええ、変わった親を持ったためこうなりました」
円香(仮)改め紗希さんがくすりと笑う。あ、樋口っぽい。……人様のことなになにっぽいと思うのって失礼だろうか。難しくない?
「でも、いい感じに変わった名前ですね。いおりんと一緒だ」
水上さんがアイマスの別シリーズのキャラに言及する。
「そうなんですよね。個人的には名前負け感が強いので、微妙なところですが……」
「ああ……でも、似合ってると思いますよ」
「そういって頂けると嬉しいです」
樋口だとこういう時どういうんだろうな、とか思ってしまう。案外同じことを言うかもしれない。
「紗希さん、って……オタクなんですか?」
極めて自然な様子を務めて、いきなり下の名前にさん付けで呼びかける。勿論オタク……というか陰キャなのでバリバリに意識してる。これがアリかナシかあんまりよく分かってないのだけど、単純に自分が女の人の名前をそう呼ぶのが好きだという話である。しかし俺キモいな。キモについて知見が深い。
「んー……全然詳しくないし、月何万使って、みたいなのではないです。けど、アニメとかゲームとか普通に好きですよ」
「あー……あの、他意は無いんですけど、紗希さんオタクっ気の無さそうな陽キャだなって感じがするので、シャニをプレイされてること自体が凄い意外でした」
「ああ……周りは結構陽キャなんですけどね。仲の良い子とか、インスタでフォロワー二千人とかいるみたいですし。私は結構、見た目通り……それこそ、樋口みたいにダウナーな人間だと思います」
彼女は髪先をくるくると弄りながら、ストローに口をつける。
「二、二千ってすごいですね……」
「まあ、その子は傍から見ても可愛いですしね。……まあ、陽キャだろうとオタク趣味ぐらいあるのが最近は普通な感じしますけど」
急に恐怖心が湧き上がってきた。もしかしなくても、樋口円香という共通点が無かったら絶対にプライベートで会話をするような相手ではない。(スクール)カーストが違うって奴ですね。社会人ゆえ、会社でこそそういった陽なピーポーとも普通に仕事が出来ているが、結局プライベートはカーストに即した形でつるんでるわな。ふおおお異文化交流。
「でも、伊織さんもあんまりオタクにも陰キャにも見えないですけど。オタクなんですか?」
「えまじっすか……?」
「まじっすよ。普通にミスター好青年に見えます」
ありがとう、すべてのオタクファッションに気を遣え系ラノベ。いやありがとう案件なのか分からないけど。それでも、お世辞だとしても陽キャのミスター好青年は普通に言われて嬉しい言葉じゃんね!? 脳内ギャルがおめでとうと拍手しているイメージが浮かび上がる。しかし褒められ慣れていないので返答がぎこちなくなる。
「俺……は、普通にキモオタですね。一般人に擬態出来ているなら良かったです……」
「ふっ、そうなんですか? それこそ……。ちなみに、樋口のどこが好きなんですか?」
「まあぶっちゃけると……初手は見た目ですね」
「あー……ですよね。私もそうでした。……何か、今の自分踏まえると、大分キモいですけど」
「そうですか? 凄い似合ってますし、知らない人が見たらただただ似合ってるな、ってなると思うんですけど。……まあ知ってる人が見たら俺みたいに衝撃を受けると思います」
「あはは……そんなにコスプレっぽいですか?」
樋口は苦笑しない! つまり彼女は水上紗希さん。……俺は何を言っている……?
「コスプレっていうより……」
この先の言葉を続けて良いのか、一時脳内査察が入る。……うーん、よく分からないのでヨシ!
「その、正直、樋口円香って現実にいるんだ、ってなっちゃいました……すいません、樋口円香になりたいわけではないと仰っていたので、不快でしたら申し訳ないんですけど」
つい気になって顔を左に向けると、それに気付いた彼女と目線が交わる。特に何も無い無表情だった。ホーム画面のデフォルト表情のアレ。すぐに気まずくなり目線を外す。
「いえ……何ていうか、不思議な感じです。ていうか、そんなに樋口円香っぽい見た目してますか、私?」
「盛ってるとかではなくまじで思いました」
彼女が知る術は無いが、実はまじである。ソースは俺の脳内。表情からは伺えなかったが、何となく複雑な胸中なのかなと思ったので慌ててフォローする。
「いや、会話して勿論樋口じゃないのは分かってるんですけどね?」
「あ、はい……いえ、ごめんなさい。何か、自分で容姿を寄せておいて、いざこういう事態になった時にどういう気持ちでいればいいのか考えてたんですけど、結論は出ませんでした」
「あー……ちなみにこれがフォローになってるとはあんま思わないんですけど、俺大学の時に美容室でこのアニメキャラの髪型にして下さいって奴やったことあります」
「へー……どのキャラですか?」
無関心のへえ、ではなく割と興味を持ってくれた感じのへーだったことを勝手に感じ取り、勝手に心を救われつつ、スマホで検索した画像を見せる。
「これです……」
「髪、長かったんですか?」
「長かったです……」
ていうかこの黒歴史エピソード披露いる? 秒で弱気になってしまった。
「へー……写真無いんですか?」
今のへーも、Wing編シーズン3の「通過したんですか」と同じようなトーンだった。はい、つまり、割と興味を持ってくれてる感じですね。演技かもしれんけど。オタクはすぐ演技かもしれんけどとかいう。
「流石に無いですね……」
「ってことは、あんまり似なかったんですか?」
「そうですね……」
「あら。……私が行ってる美容院、紹介しましょうか?」
「ふふっ、ってことは?」
「ご想像の通りです」
目の前の女性が美容師さんに樋口円香の画像を見せる光景を想像して、ちょっと愉快な気持ちになる。ていうか今の会話パフェコミュっぽくない? いや気のせいじゃないですかね。
その後、シャニ全般についてリアル小一時間トークが続き、オタク全般の話についてもリアル小一時間話をして小休止。紗希さんは化粧直し中。窓の先の日本庭園もどきは太陽がもうすぐ定時で上がる様子を映していた。薄暮って奴ですね。太陽、夏は繁忙期なのか定時が早いアンド遅いで最悪だな。その理論で言えば北極圏の太陽は二十四時間稼働になってしまう。月三百二十時間ぐらい残業してそう。ちらりと腕時計を見ると既に七時近かった。
……しかしナウでヤングな感じの女の人と、まさか横槍メンゴと森見登美彦でこんなに盛り上がるとは。女の人との出会いなんてこのご時世、合コンとか出会い系とかぐらいしか無いと思っていたが。人生何があるか分からないものである、という定型文が頭の中に流れる。あまりにも面白味の無い定型文なので、何かもっと別の表現は無いか考えていると、紗希さんが戻ってくる。
「……そういえば、伊織さんはお仕事をされてたんですか?」
視線の先には、本日はただただ無駄な電力しか消費していないノートPC君がいた。
「あー……いや、普通にオタクライフを満喫してただけですね」
「ああ……youtube?」
「いえ……あの……」
趣味で小説を書いている、って森見登美彦で盛り上がった後に言える奴ですか?
「えっと、趣味で小説を書いていて……」
言っちゃうもんね。オタク趣味に理解のある相手にちょろくなる奴。会社の人とか、何ならネットの友人とかにも言ったことないのに、初対面の相手にあっさり言う奴。まあ人間こんなもんか。
「えっ、すご」
しかも何か普通にすごがられた。趣味で小説を書いてるにも関わらずすごがられたとかいう謎の言葉使っちゃう奴。
「いや、本当、趣味っていうか……全然すごがられるものじゃないんですけど……」
「……読んでみてもいいですか?」
……紗希さんの表情がこれまた良いんだわぁ……。なんていうか、本当に凄いって思ってそうというか、無表情の中にも楽しみな感じが伝わってくるというか。でも冷静になって考えてみて下さいよあなた。人に見せたことの無い、完結もしていないラブコメ系のラノベを、今日初めましての相手に読ませられますか? っちゅう話ですわ。
「あの……完結してないですし、あんま面白いか保証出来ないんですけど……ラノベ系の作品なんですけど、ラノベ、読まれないですよね?」
読ませられますね。冷静に考えて、こういうのは関係が中途半端に深い方が無理。恥ずかしすぎる。その点、オタクコンテンツで繋がった彼女なら問題無い。別に微妙な反応されても今晩限りでキスしてグッバイである。表現に語弊がありすぎる。まあ、せいぜい微妙な反応された時に一生引きずるであろうことぐらいしかデメリットが無い。大丈夫かそれ? 永続デバフは死ぬまで続くぞ?
「……、あんまり読んだことは無いですが、読んでから考えます」
読んでから考えます……読んでから考えます! 死ぬほど予防線張った後の返しの言葉最強選手権で圧倒的優勝なのでは? 強すぎんか? 『面白いか面白くないか、面白くなかったらどうするかは読んでから考えます』ってコト? オタク特有の行間読み過ぎかもしれないけど、そうとしか考えられないねえ……!? すごい……強きお方……マスラオ……(?) 自分では言えそうにないセリフだ。少なくとも今生では無理。もし仮に自分だったらと考えた時、話の合う人が小説書いてますってなったらそら読みたいけど、じゃあ読ませて下さいすら言えるか怪しい。だって、つまんなかったらどうするんですか。そらその場では何とか褒めるだろうけど、では是非他のもよろしければ、とかなったら地獄だぞ。無理すぎて無理になるわね。
強さが欲しくなってきた……圧倒的な強さが……。
「り、了解です……」
気圧されたまま、メモ帳を立ち上げてPCを相手に差し出す。びびりのまくりであった。
「お借りします。……あの、そんな怯えた犬みたいな反応しないでください。普通に私が失礼なこと言ったんで。あと、そんな辛口評価とかしないですから」
「お手柔らかにお願いします……」
「はい……ちなみにどれぐらいの長さですか?」
紗希さんがスクリーンを見つつ質問する。何かかっこよかった。出来るウーマン感。
「あんま正確に分かんないですけど、今二万字ぐらいまでなので、……多分文庫本で四十ページとかそんなもんだと思います」
「なら二十分前後かな。読ませて頂きます」
「お願いします……」
文章を書くのが好きだった。今でも好きだ。
ちなみにラノベのテンプレである『オタク=主人公は国語の成績』が良いって奴は実際に俺もそうだったし、つまりはラノベ作家って国語の成績が良かった人結構いるのかなとも思う。冷静に考えてみれば、文章を書くのが好きなもの好きなんてそら国語が好きか。
読むのが好きで、楽しくて、自分でも物語を書きたい! となったから書いている、のだけど。強調した通り俺の場合は本当に趣味で、言い換えると、作品を完結させたことが無いとも言う。書き始めることと、書き続けて書き終えることのハードルは天と地ほど違うと思う。中学にあがった前後ぐらいで親のお下がりPCを貰って以来、文章は気ままに書いてきたけど、そこから十年以上の歳月を経てなお、完結した作品は短編がたった一つだけ。それも五年前のことだ。今ではHDDのどこかで埃をかぶってる。……いや嘘。どこに保存しているかは明確に覚えているし、たまに読み返しもする。そしてその度に思うのだ。おもんねー、と。そんな状況でよく文章読ませる気になったな俺。というか、こういうの本当にやっちゃ駄目なことな気がしてきた……何やってるんだ俺……馬鹿……間抜け……。
紗希さんが顔を引きつらせながら、「こんなに文章量書けるなんてすごいですね」と褒め言葉を絞り出してきた場合に備え展開をイメトレしていると、左隣から笑い声が聞こえてきた。心臓が跳ねる。思わず左を伺うと、紗希さんがにやけた顔で俺のノートを見ていた。瞳が、一定のリズムで右と左を行き来していて何か面白い。
その反応は作者を喜ばせるものだと思うが、心のか弱きオタクは何故か一層弱っていた。もうやだぁ……怖いぃ……。よっっわ。
「……ふう」
宣言通り二十分程が経った頃合いで、読了の溜め息が聞こえてきた。読了といっても途中掛けの文章なんですけどね。
腹から心臓にかけての内臓エリアが嫌な感じになってくる。知ってるよ、これ緊張って言うんだ。吐きそう。すぐ吐きそうとかいう。オタクだもの。罪状の読み上げを待つ被告人の気分で紗希さんの言葉を待っていると、彼女はちらりと手首の腕時計を見た。
「あ、夜ご飯食べていきます?」
「あ、はい」
これレイニー止めって奴? 違いますね。
「カルボナーラがお二つですね。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい」
緊張で体が揺れたり震えたりしてる中、注文を終えるまで会話は無かった。え何これ? 面接前の待機室? 店員さんは会計表が二つあるのに若干面食らっていた。そりゃそうだ。店員が去った後、ようやく紗希さんが口を開く。
「あ、すいません、何か引き延ばしてるみたいで。あの、面白かったです」
心の中で変顔をする。白目をむいて舌を出す。リアル表情に伝染しかけた。危ない危ない。ふぅ……――
――こんだけ引き延ばしておいて感想ここまで無味乾燥なこと、あるーーー?! (エコー付き)かんそうだけに、ってか! もうつっこむことすら出来ない。心を整えよう。強い心を手にするために。
「あ……あざまる水産」
何この人……みたいな目で見られた。それはそう。
「これ、どこかで掲載されてるんですか?」
「本邦初披露ですね……」
本邦というか全世界プレミア公開だ。
「結構ネットで有名な方だったりします?」
んんんーー? ぴくぴくぴく。俺の自意識過剰センサーが稼働し始めるのを感じる。
「い、いえ……そもそもネットで公開したこと無いですし……えっ、面白かったですか?」
紗希さんが眉を顰める。うお、樋口円香がいる。
「あの……んー……」
何かさっき想定した通り、今後の身の振り方どうしよう案件で困ってない? 何考えてるか全然分からん。樋口みたい。
「……えっと、私、ネット小説とか読まないんで、正直何の評価にもならないとは思うんですけど、普通に面白かったですよ。龍太郎の地の文とか癖があるけど結構好きですし、彩香との掛け合いも小気味良くて楽しくて……語彙が無くて恥ずかしいんですけど。あと、伊織さんの人となりが少し伺える感じで、好きですね。……私も大概面倒な女なんで……、あまり褒めるのが得意じゃないので、あんまりだった点も言うと、ちょっと会話文が多すぎて軽薄な感じがあったのと、あとは会話がうまいこと言おうとしてるのを狙い過ぎてる感がちょっとだけ、そこが微妙だったのと、んー……あとは、これも若干なんですけど、少しだけ会話が展開ありきというか、彩香、ここでこんな発言する? みたいな箇所が、えーとどこだったかな、ここ……二回目の図書室のシーンで――」
萎びた心ではい、はいと頷くだけのマシーンと化す俺と、ただただ正論でしかないフィードバックをかます編集者・水上紗希様。全然違うと思うけど、編集者からの駄目出しってこんな感じかなとふと思い、世の作家さん達の苦労に無駄に思いを馳せた。
「――すいません、色々と失礼なことを言いましたけど、結論、私は楽しめました。続きが普通に気になりますし、読みたいですね」
「……あざっすー……っ」
思わず痛い所を突かれた指導を受けたスポーツ青年みたいな反応をしてしまうと、紗希さんが無表情ながらも心配そうな顔をしていた。
「……ごめんなさい。折角読ませて頂いたのに」
「い、いえいえ! 滅茶苦茶ありがたいです! 自分の文章、読んでもらう機会なんて本当無いですし、すっごい参考になる感想も頂けて、本当ありがとうございます」
「……」
何か不穏な空気流れてませんか。またお腹痛くなってきましたよ私。
紗希さんの視線の先には、文字がたくさん映し出されたスクリーンがあった。
「その……読んでいる最中に考えてたんです。伊織さんが、何を思って……何がこの作品を書こうと思わせた原点だったのかなって」
やばい、深い。俺は付いていけるだろうか、この深みに。付いていく自信無いんだよなぁ……ただの願望だだもれ作品なんですよね。深みも何も無い、この書きかけの二万字で描きたいことなんて一文ですっぱり言い表せた。
「理解者のいない孤独――それが原点で、描きたかったのは、見つけ出す、見つけ出されることへの希望なのかなって」
国語マスターウーマン?
あまり会話の無いまま、お互いカルボナーラを食べ終える。ほぼ同着。付き合う前のデートで食事をする時は、なるべく同着で食べ終えるべしという豆知識を思い出す。その心は、片方が手持無沙汰になると、片方が待たせてる急がなきゃってなるから。それはそう。ザ・正論。俺は食うのが遅い方なので割と何も調整せずに同着になる。良かったね俺。
会話の無かった一つの理由は、紗希さんの感想のことについて考えていたため余裕が無かったからである。シングルタスカー立花である。
理解者のいない孤独ね。随分素敵な表現をしてくれる。
紗希さんに読んでもらった、『図書館にはみだし者ふたり(仮)』は喋り過ぎるタイプのコミュ障・龍太郎と、空気読みが苦手な性格悪めお嬢様・彩香が、お互いの交流を通じて社会性を獲得して学校を楽しむようになり、すれ違いはあれどお互いを好きになり付き合う――予定の作品だ。二万字の時点ではお互いの紹介が済んで、これから何か起こりそうってところで止まってる。龍太郎が彩香を図書館で『見つけ』て、多少のすれ違いはありつつも、お互いにもっと人と繋がりたいって想いを共有するところまでで二万字。自己評価としては、概ね紗希さんの評価の通りなので笑ってしまう。
小説を書き始める時にいつも迷うのが、自分をどれほど自己投影するのか、という点だった。完全に自分とは違う人間を描けるタイプでは無い。なのでどうしても、現実に面白味が無いし普通に気色悪い自分を、言葉を選ばないとすれば「正当化」して描く主人公が出来上がってしまう。言ってしまえば、九割五分がフィクションの自分夢小説だ。キモすぎて地獄。そういった反省を踏まえ、この作品の主人公はなるべく自分じゃない点を多く入れようとした。ヒロインも然り。
けど、結局核にある部分は言われた通り……恥ずかしいし認めたくないが、孤独、である。誰しも大なり小なり承認欲求はあると思うけど、自分の場合はそれを満たしてあげるのがあまり得意ではない人間だと思っている。人に褒められることが皆無というわけではなくて、例えば仕事ではちょくちょく叱られつつもちょくちょく褒められたりする。ただ、度し難いなと思うが、それが自己承認にはあまり繋がらない。端的に中二病で言うと、別に仕事で褒められても別に楽しくないし、なんなら俺って何が楽しくて生きてるの?となる。じゃあ自作小説褒められたら自己承認出来るのか、彼女が出来たら幸せになれるのか、という問いに関しても、正直分からない。結局あまり自分のことが分かってない中で、ただ漠然と現状に対して満足してない感があるという、しょうもないしありふれた、しかしそれなりに頭の痛い悩みだ。
一方で今の話の対象を、自分から紗希さんに変えてみる。理解者のいない孤独。聞くに、周りは陽キャばかりで、オタク趣味の友人もいないようだ。陽キャフレンズと一緒に遊ぶのが楽しくてしょうがない、もう人生最高、お前ら一生マイメンイェア、みたいな感じでは圧倒的に無さそうだ。本人の申告通り、割とダウナー系なのだろう。陽キャなご友人と一緒にお出かけすることに楽しさは見出せるのだろうけど、能動的に楽しんでるような雰囲気が無いというか。もし彼女も何かしら、理解者のいない孤独を抱えていたとしたら。その孤独を解消するため……、とここまでの思考の気持ち悪さにふとバツが悪くなった。
水を一口飲み頭を冷やす。結局全部想像で、出会って一日の相手をどれほど理解出来ているのかという話だ。しかも、仮にこの妄想が合っていたとして、で?という話でもある。彼女の理解者になれる保証は一ミリも無い。
何の妄想にも依らないこと、一つだけ確かなことがある。水上紗希という人間のことがもっと知りたい。樋口円香を容姿の面でも言動の面でも彷彿とさせるこの女性のことが知りたいし、仲良くなりたい。彼女の世界観を知ってみたい。……なんなら彼女にしてえよ! キモ。キモいけどね。それでもですよ。
さて、もうそろそろお開きの時間になりそうな雰囲気ではある。時刻は八時十三分。何ならもう四時間、初対面の女の人と隣り合って座っている。男女問わず初めての経験だ。このまま何もせずに連絡先交換しませんか……になりそうな感じもなくはない。でももう私だってね、学生卒業して数年経つんですわ。本日既に何回か使っている、『初対面だから断られてもまあ後腐れ無いよね(ただし心を除く)』という言い訳を召喚することによる心のリスクヘッジと、『もっと仲良くなりたいなら尻込みする理由は無いんだ、あとは勇気を出すだけなんだよ。分かるかい、君? 君にはまだ早いか……』という脳内年上良い女ポジお姉さんの言葉により、彼女をデートに誘うことに恐れなどない。もう何も怖くない。恐れるな、死ぬ時間が来ただけだ。死ねば助かる。
「紗希さん、来週以降の土日にドライブにお誘いしたいんですけど……いかがですか?」
「来週なら土日とも空いてますよ。どこに行くんですか?」
「んー……そうだな、ベタに知多半島の方で海見に行くとかどうですか?」
「いいですよ」
「わーい。拾う場所はどちらにしましょう?」
こういう時の反応、わーい安定理論なんだけどこれって通用してるんですかね。
「西駅の裏っかわって言ったら通じます?」
「ああ、通じますよ。お昼……はどうしようかな。あー……行く途中のサービスエリアに若干凝ってる食事出してるとこがあって、……ここなんですけど」
喋りつつ、マップで写真を見せる。
「へー……確かに、若干凝ってる。普通に、お洒落な感じですね。じゃあここにしましょう」
「了解です。では……十二時ぐらいに拾えれば、十三時ぐらいにはサービスエリアに着くと思います」
「あー……」
びっくりするぐらいとんとん拍子で進んでいた話は、少し翳りを見せた紗希さんの表情によって待ったがかかる!
「……時間、一時間ずらせないですか? ピークタイムだと思うので、十三時」
全然待ってないわ。進んだわ。普通に好感度あがったわ。
次回、ドライブデート編……ってコト!? ハァ?
語録っていうのは、とにかく響きが面白くて使いたくなるから語録なんだよね。原作ファンから白い目で見られる奴。
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