警視庁都市伝説対策室 番外編
目箒
動く骨格標本
第1話 骨格標本
※
少年は理科室の水道を借りて、抜けた歯に付く血を洗い流していた。抜けた歯茎を舌で触ると、ぽっかりと空いた感触が不思議な気分だ。
「あ、
教師が準備室から出てくる。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「いいえー。お大事に?」
「はい」
教師は骨格標本を準備室から持ち出していた。授業で使うらしい。少年はそれを見て、やや及び腰になる。
「怖い?」
「すこし」
「まあ怖いよね。でも、ずっとこの小学校にいる仲間だから、大事にしてあげて」
「わかりました」
肯く。よく見ると、だらんと伸ばした腕が少しだらしなく見えた。
「じゃ、先生まだ準備室に用があるから、帰るときに声掛けてね」
「はい」
教師はまた準備室に消えていく。少年は怖い物見たさも手伝って、その骸骨の顔を眺める。
「……あれ?」
その口元に異変を感じて、彼は首を傾げた。
※※
小学校教師、
数ヶ月前、彼が同じように残業をしているときに突然電話が鳴ったことを、この時間になると思い出す。「私、メリーさん。今どこどこにいるの」と、現在地──どんどん学校に近づいて来る──を知らせる電話を頻回に受け、最後には廊下に立っていたフランス人形から逃げ出した。その結果、大怪我をして入院するハメになったのだ。
けれど、学校が警察に通報したところ(迷惑な電話が掛かってきたことは事実であるので)、都市伝説対策室と名乗る部署の警察官が捜査に来た。最終的に解決したらしいのだが、今でも狐につままれた気分だ。一応、警察に対応したと言う副校長から経緯の説明があったが、説明している本人も何があったのかぴんと来ていない風ではある。
どのみち、それ以来俵田の学校で類似の怪奇現象は起っていない。だからまあ良いか。復帰してから、俵田はすぐにそれを忘れてしまった。
そして、それから数ヶ月が経った。季節は変わるが、教師の仕事は変わらない。この日も彼は、テストの採点含めた残務整理の為に残っていた。
もう少しでキリが良い。ここまでやったら帰ろう、と思ったその時だった。
上の階で、軽くて長い物が散らばるような音がした。箸でも落とすような。
「おや?」
俵田は手を止めて天井を見る。何だろう、今のは。この上というと理科室だった筈だが……。
(まさか……泥棒か?)
小学校の理科室にも、実験で使用する劇薬の類は保管されている。それを悪用しようとする輩がいないとは言い切れないではないか。俵田は懐中電灯と、武器代わりに箒を持った。一瞬だけ、先日のメリーさんのことを思い出したが、
(あれは解決したし、電話もないしな)
生身の人間ならワープはできまい。実際には、生身の人間の方がこちらに害意を持った時に厄介だったりするのだが……メリーさんのインパクトが強すぎた彼には、自分と同じ人間である方が安心材料になったのである。
けれど、俵田は忘れていた。この世には、メリーさん以外にも山ほど都市伝説や怪異の噂が流布していると言うことを……。
俵田は怪談を上がって、理科室の方を照らし、首を傾げた。
「ん?」
何かが立っているのがわかる。懐中電灯の灯りの中に、普段ならないものが立っているのがわかる。けれど、それは明らかに人間ではなくて……彼は咄嗟に廊下に手を伸ばし、灯りのスイッチを入れた。白骨が直立で廊下に立っている。
「え?」
白骨が直立で廊下に立っている。こちらを向いて。それは理科室に置いてある骨格標本だ。本来であれば、スタンドにセットされている筈だが、足の間にスタンドが一切見えない。
「え……」
俵田は絶句した。次の瞬間、かしゃかしゃと、あの箸を何本も転がすような音を立てて骨格標本が歩き出す。
「うわあ!?」
俵田は箒を投げ捨てると、一目散に階段を駆け下りた。メリーさんの時に坂道で転倒した反省を生かして、手すりを掴んで飛ぶように一階へ。
「うひゃあ! ひい! なななななななんで!!!!」
彼は学校を飛び出した。
※※※
東京都千代田区。警視庁本庁舎地下。
都市伝説対策室の室長である
「美味しかった。ごちそうさま」
手にべったりと付いた油を水道で洗い落とすと、同じく食べ終えたらしい
「ジャンクフード、たまに食べると美味いよね」
「そうそう……って、捜査一課だと忙しくてファストフードのことも多かったんじゃないの?」
ナツはかつて捜査一課の巡査部長だった人間だ。それが、「弾丸が人に当たらず、怪異のみに通用する」と言う特殊な性質のために、この都市伝説対策室という、傍から見ればイロモノの部署に異動することになった。巡査部長だった階級は、異動と引き換えにされるように警部補に昇進している。
「あたしが異動したの、いつだと思ってんのさ。もうとっくにそんな不健康な生活とはおさらばしたよ」
「あ、そうなんだね。自炊とかするの?」
「肉か魚焼いて野菜茹でて米を炊く程度だけどね。逆にファストフードの方が調理工程多いかも」
「僕もそんな感じ。佐崎さんが仲間で良かった。五条さんと桜木さんは?」
と、巡査部長の
「俺も適当ですね」
「うちはユカさんが作ってくれるから。調理実習でやったくらいかな。トースターは使えるけど」
と、空になった弁当箱を水道に持ってきたメグが言う。彼女は十七歳で、いわゆる「霊能者」と言う奴だ。この対策室の前室長、蛇岩レンの姪であり、彼と同居している。裕福であるらしく、通いのお手伝いさんの「ユカさん」を雇っているとのこと。メグはこの「ユカさん」の作るカレーが大好物で、頻繁に弁当として持ってくる。今日もカレーだった。
「トースターと電子レンジ使えれば、今って大抵のもの作れるもんね。ちょっと凝ったもの作ろうとしてレシピ立ち読みしたけど、こんなのもレンジで作れるんだ……ってびっくりした記憶ある」
「今日日、買った方が栄養バランス良かったりするけどね」
「それだよねー」
などと言っていると、室長席の電話が鳴った。ルイが慌てて席に戻ろうとするが、
「出ますよ」
自席にいたアサが受話器を取り、内線ボタンを押す。
「都伝桜木です。お疲れ様です。はい、はい。俵田先生?」
アサの顔が意外そうな物になった。ルイたちも顔を見合わせる。俵田先生。数ヶ月前に、都伝が出動要請を受けた小学校の教師だ。メリーさんに追い掛けられて、学校前の坂道から転倒し、アサが見舞いがてら聴取に行った被害者。
「繋いでください」
アサは真顔でメモを引き寄せた。
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