元お飾り王妃は元旦那と再会をする
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――イーノク・ヴェッセル様。
そのお方は、このヴェッセル王国の第一王子として生を受け、十歳の時に王太子になられたという誰もが羨む輝かしい経歴の持ち主です。黒色の爽やかに見える短髪と、真っ赤なたれ目が特徴的な美青年。あ、今の時間だとまだ美少年でしょうか。
とても優秀なお方であり、婚約者である私のことも気を遣ってくださいました。なので、私も彼のことをそれ相応に愛していた。……彼女が「聖女」が、現れるまでは。
「フライア嬢。この度は王宮に来てくれて、感謝するよ」
そうおっしゃって、イーノク様は私に微笑みかけてこられました。前の時間軸の私は、この微笑みが大好きだった。だけど、あんなことになってしまうとわかっていて、この微笑みにどうときめけというのでしょうか。私からすれば、もうこの微笑みは悪魔の微笑みです。いずれ、私のことがどうでもよくなり一人の女性に入れ込んでしまう。それが分かっているのに、どうして私が彼を愛せるというのでしょうか。
にこやかで、人当たりのいい笑み。この時はまだ、その笑みを私に向けてくださっていましたっけ。しかし……もうすぐ現れる、一人の男爵令嬢に彼は心を奪われてしまう。私が十五歳、つまりはもうすぐ現れる「六人目の聖女」と呼ばれる男爵令嬢によって。
「……え、えぇ、こちらこそ、お招きいただき誠にありがとう、ございます」
だけれど、今この場でそんなことを言ってしまえば、頭がおかしい人認定されてしまう。貴方はこれから一人の男爵令嬢に入れ込んでしまうのですよ、なんて言ったところで未来は変わらないでしょう。と言いますか、私がその未来を変えるつもりがないのです。……変えるのは、私が迎える結末だけ。だって、一度失った信頼はもう戻ってきたりはしない。……もう、この人との婚姻なんてまっぴらごめんです。
(ともなれば、あちらから婚約を破棄してもらえるように行動しなくては。こちらからの婚約破棄は、無理に等しいもの)
そう、私は思いました。ですが、上手くいくでしょうか? 彼は、なんといっても愛する男爵令嬢に仕事をさせたくないというだけで、私との婚約を継続しそのまま婚姻したようなお方なのです。私を王妃に、彼女を側妃とすれば世間体もいいですし、彼女が仕事をする必要もない。さらに言えば、私にすべて仕事を押し付けておけば、自分も遊び放題なのです。そんな悪知恵が回るお方と、どうやって婚約を破棄できるのでしょうか。
「……フライア嬢?」
そんな私の気持ちなど全く知らないイーノク様は、ただ私のことを怪訝そうに見つめてこられます。……もしも、彼があの男爵令嬢……「六人目の聖女」に入れ込まないように、導けたのならば? ううん、たとえそうできたとしても、やっぱり彼との結婚なんて考えられない。愛されない王妃が、どれだけ惨めだったか。大臣たちにまでバカにされる生活が、どれだけ悔しかったか。
「……い、いえ、少し、気分がすぐれないだけですわ。席を外しても、よろしいでしょうか?」
「あ、あぁ、別に構わないよ。気分がすぐれないのならば、メイドでも呼ぼうか?」
そうおっしゃって、イーノク様は私のことを気遣ってくださる。でも……私は、何も感じなかった。
私はイーノク様のお気遣いをさりげなく拒否し、連れてきたチェルシーと共に少しこの場を離れることにした。チェルシーは私の顔色が悪いことに気が付いたのか、私のことを気遣ってくれた。
「フライア様。どうなさったのですか? 顔色が、悪いですよ」
そう言って、チェルシーは私の体調をすごく気遣ってくれる。……あぁ、こんな風に心配されるのも懐かしいわね。お飾りの王妃になってからは、私の体調を心配する人は少なかった。皆が皆、「六人目の聖女」である側妃の方を優先した。……あの場所に、「彼」がいてくれたのならば。何か、変わったのだろうか。そう思うけれど、敵だらけの王宮で「彼」を呼ぶのは、嫌だった。「彼」はあの時の私にとって、唯一心から信頼できる人間だったから。
「……え、えぇ、そうみたい。ちょっと頭痛がひどいの。……このまま、帰ってもいいと思う?」
私は、チェルシーにそう尋ねてみる。多分、お父様に確認を……ということになるだろう。そう、思っていた。だけど、チェルシーの返答は意外なもので。
「はい、帰りましょう。旦那様やイーノク様には、後で説明すれば構いません。……私からすれば、フライア様の体調が一番ですもの」
そう、言ってくれた。
それが、とても嬉しかった。思わず涙があふれてしまいそうになるぐらい、嬉しかった。人に心配してもらえる。それが……どれだけ幸せなことだったのか。心配されない立場になって、私はそれを始めて実感した。……我ながら、バカみたい。それから、年を取ったからか涙もろいのよね。
「……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて帰ろうかしら」
だから、私はそう言った。もう、出来ればイーノク様のお顔も見たくない。だけど、それはきっと無理なのだろうな。だって、私と彼はまだ婚約者。会わないという選択肢は……ない。お父様も喜んでくださっているこの婚約を、こちらから破棄するのは無理に等しい。だったら、やっぱり――。
(やっぱり、あちらから婚約を破棄してもらえるように誘導する)
それしか、考えられなかった。
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