第34話 友達になれたかもしれない君へ③

 ――まずい。徐々に押され始めている!

 銀色の怪物と応戦しながら、悠樹は密かに焦りを抱いていた。


『クカカッ! おらよッ!』


 大気を弾いて、ザガの鉄球が直線状に撃ち出される。

 悠樹は咄嗟に両手で鉄球を受け止めたが、威力が桁違いだ。抑えきれない。

 クッと舌打ちし、悠樹は鉄球を上空に投げ捨てた。

 そして武器を上空に飛ばされ、隙だらけになったザガに向かって加速し、するりと流れるような動きで銀色の怪物の後ろに回り込んで腰を掴む。

 続けて大跳躍し、十数メートルの高さまで至った竜人は空中で大きく仰け反ると、逆さになって勢いよく落下。『背面投げバックドロップ』を――人間では絶対に不可能な高さと危険すぎる角度から、由良が『天墜地殻崩しヴァーティカル・バンカーバスター』と名付けた大技を繰り出す!

 ――ズズウゥンッッ!

 轟音と共に大地には亀裂が走り、ザガは首まで地面に陥没する。パラパラと岩土の欠片が舞い、確かな手ごたえを少年は感じ取った。


(よし、これなら!)


 悠樹はすぐさま立ち上がって敵の損傷を窺う――のだが、


『クカカッ、全っ然効かねえなバ~カ!』


 ザガは不敵に笑う。そして宣言通り全くダメージのない様子で上半身を捩じり、カポエラ使いのように竜人の胸板を強打する。ミシミシッと胸部が悲鳴を上げて後方に吹き飛ばされる竜人。紫色の巨体は勢いよく何度も地面に叩きつけられ、ようやく止まった……。

 地面に這いつくばり呻き声を上げる悠樹。

 ザガはゆっくりと立ち上がった後、愕然とした表情を浮かべた。


『――ああッ!? ご、ごめん! 大丈夫かい四遠君!? ちょっと強く蹴りすぎたかな? 一人で立てるかい? 辛かったらボクが手を貸すよ?』


「…………ッ」


 化け物のふざけた態度に怒りを抱きつつ、悠樹は歯を食いしばって立ち上がった。

 ズシン、と両足で大地を踏みしめ、呼気を整えるように火の吐息を零す。

 次いで拳を握りしめて、再び怪物と対峙した。


(くそッ、強い……。《大和》じゃなかったら今の一撃で死んでた……)


 直撃を食らった胸部から鈍い痛みを感じる。口内には血の味が広がっていた。もしかしたら肋骨の二、三本は折れているのかもしれない。

 人間と怪物。その地力スペックの差は思っていた以上に大きかった。


『クカカ、随分と派手な大技だったが、俺には意味がねえよ』


 ザガは消耗し始めている竜人に、ニタニタと下卑た笑みを見せて告げる。


『どんな投げ技だろうが叩きつけんのは結局ただの地面に過ぎねえ。俺の頑強さを舐めてんじゃねえよ。言っとくがアスファルトだろうがコンクリだろうが俺には大差ねえぞ。どれも柔らけえェクッションみてえなもんさ』


 そうして凝りでも解すように、ゴキゴキと肩を鳴らすザガ。

 強がりではない。本当にこの怪物には投げ技が全く通じないようだ。


(……くそッ!)


 得意技を一つ封じられ、悠樹は舌打ちする。一方、ザガはおもむろに腕を組んだ。

 いつしか右手の鉄球も擬態を解いて体内に戻している。


『とは言え、そこそこ豪快で面白い芸だったぜ。まさか、三百キロに近けえ俺をあの高さまでブン投げるとはな。お代と言っちゃあなんだが、俺の方も一芸見せてやるよ』


 そう宣言して、牙をガチガチと鳴らし始めた。

 訝しむ少年。すると、

「――なッ!」悠樹は目を見開き、息を呑んだ。

 突如、ザガのアギトから黒煙混じりの火炎が勢いよく噴き出したのだ。

 まるで悠樹の息吹ブレスの再現だ。驚きのあまり一瞬、呆気に取られる少年だったが、迫りくる火炎に表情を険しくして横に跳んだ。

 業火はその場を通過し、地と木を燃やした。

 と、その様子に悠樹は眉根を寄せる。

 業火が横切った時、強烈な匂いがしたのである。確かこの匂いは――。


「……ガソリン?」


『へえ。気付いたのか。てめえも鼻がいいみてえだな』


 と、ザガは肩をすくめて笑う。


『タネを明かすとな。今のは俺の体内に溜めこんでおいたガソリンに、牙で火花を散らして着火させたのさ。まあ、火を吹くなんて俺には簡単だってことさ』


 ザガの狙いは、完全に意趣返しだったらしい。

 悠樹は不愉快そうに眉をしかめる。と、


『が、今のはマジで余興さ。本番はこれからよ』


 そう告げて、ザガは不敵な笑みを見せた。そして再び首を鳴らし、肩を回し始めた。両足もまた交互に揺らして念入りにストレッチをする。

 不可解な行動に、悠樹は警戒して間合いを広く取った。

 すると、銀色の怪物がすうっと魔眼を細めて、


『クカカッ、まぁそう警戒すんなや。いきなり攻撃はしねえからさ』


 そう嘯き、やや前傾に構えた。

 その直後、ゴキンッと一際大きな音が鳴った。


(……? 何の音だ?)


 訝しむ悠樹。ザガは一瞬だけ竜人を見やると、くつくつと笑う。


『なあ四遠君よ。なんで俺がわざわざガソリンなんてものを腹ン中に仕込んでいたと思う? 全部この切り札のためさ』


 そして怪物の背中と両足から、さらに異音が響いた。

 悠樹は思わず眉根を寄せる。


(……何をする気なんだ……?)


 ザガの意図が読めない。

 悠樹が緊張を込め、ギシリと拳を握り直す、と。

 ゴキゴキゴキゴキッ――


「――な、に?」思わず目を瞠った。


 突如、ザガの背中が大きく膨れ上がり躍動し始めたのだ。

 それ自体はしばらくすると収まったが、その時には怪物の背中一面に六つ、左右の脇腹に二つずつ、細い空洞が開いていた。それは両足にもある。

 まるでジェット孔のような穴である。いや、ザガの擬態能力を鑑みればこれは……。


『クカカッ! んじゃあ行くぜ!』


 ザガはニヤリと笑った。


「お前……まさか」


 と呟き、警戒する悠樹をよそに、ザガのジェット孔から猛烈な炎が噴き出し始めた。

 そして数秒後、悠樹は再び目を瞠る。

 突如、彼の目の前で怪物が宙に浮き始めたのだ。


「……おい、お前の切り札って……」


『クカカッ、ほら、水流で宙に浮かぶ娯楽アクティビティってのを見たことねえか? あれを参考にしたんだよ。形にすんのには随分と苦労したんだぜェ。クカカカカカカッ――!!』


 ザガはそう言い捨てると、背中と脇腹、そして両足のジェット孔からガソリンで作った炎を一気に噴出し、悠樹の応答も待たずに空へ向かって飛び立った。

 続けて、雲を貫き、蒼い空に火線を引いて蹂躙するように飛び回る。久々の風を切る開放感を存分に味わいながら、怪物は縦横無尽に天空を駆け巡った。

 この状況には悠樹も動揺を隠せなかった。

 空を飛ぶ《妖蛇》がいたという事実にも驚いたが、それ以上に驚嘆したのが――。


「……いや、流石にこれは予想してなかったな」


 悠樹はおもむろに天を見上げた。そこには今も高速で飛び回るザガの姿があった。

 きっとあの化け物は、自分の優位性を疑ってもいないのだろう。

 まさか、切り札が被ること・・・・・・・・があるなど夢にも・・・・・・・・思うまい・・・・・

 悠樹は大はしゃぎする化け物をもう一度見据えて、皮肉気に笑う。

 そして、紫に輝く竜人は胸板の鎖を自らの手で引き千切った。




『クカカッ! クカカカカカカカカカッ――!!』


 蒼い空の中で、ザガは哄笑を上げ続ける。

 ――ああ、やはり空は良い。まさにここは自分だけの遊び場だ。

 自分のみに許された特別な力。あえて問題点を挙げるとすれば、飛行中は擬態能力を他に使用できないことだが、それさえ除けば最高の能力だ。


『さぁて、と』紅玉の目を細め、口角を上げる怪物。


『そんじゃあ、いよいよ処刑のお時間だぜェ! 四遠君よぉ!』


 ひとしきり飛行を楽しんだザガは、ようやく獲物である少年に意識を戻した。

 しかし、眼下に竜人の姿は見当たらない。危機を察して森の中に身を隠したか。


『おやおや四遠君よ、かくれんぼかな? クカカッ、無駄なことをすんじゃねえよ。てめえの匂いはもう憶えてんだよ。逃げられると思ってんじゃねえぞぉ』


 そしてザガはスンスンと鼻を鳴らした。が、


(――あン? こいつは一体どういうことだ?)


 怪訝そうに眉をひそめる。何故かあの少年の匂いをここより上空で嗅ぎ取ったのだ。

 不審に思ったザガは、天を見上げた――その瞬間だった。

 ――ドンッッ!

 黒い何か・・・・がザガの顔面を強打する! そして、わずかな抵抗も出来ないまま身体は吹き飛ばされ、落雷の如く地表に叩きつけられた――。


(な、何だ? 今何があった……?)


 地面に埋もれたザガは、呆然と目を見開いていた。

 さっきまで自分は地上から百メートルほどの位置にいた。そんな場所にいた自分がどうして攻撃を受ける? しかも、自分よりも高所の位置から?


(……考えられんのは弓系の飛び道具か。四遠の野郎が武具でも顕現させやがったのか? それとも鳳あたりの不意打ちか?)


 困惑しながらもガラガラと岩土を退かし、怪物は立ち上がった。

 衝突のせいで少しふらつく頭を何度か横に振った後、ザガは空を見上げて……。


『――はあッ!? 何だそりゃあッ!?』


 思わず絶叫を上げる。それは、あまりにも信じがたい光景だった。

 地を這うザガより遥か上空――。そこには今、紫色に輝く『ドラゴン』がいた。

 人間の姿に近い竜人ではない。西洋神話にあるような本物の竜だ。

 全長は尾まで含めて、およそ五メートル。

 鋼のような筋肉を纏う膨れ上がった上半身に、大きくひしゃげた両足。まるで大砲の砲身を思わせるほどに巨大化した両腕。竜人だった時の銀の鎖はなく、長い鎌首と大きなアギトを持つその竜は、背中の巨大な翼を羽ばたかせて悠然と滞空していた。

 ザガを地表に叩きつけた一撃は、竜王の上空からの『蹴り落としストンピング』だったのだ。


『て、てめえ、四遠なのかよ……?』


 ザガは目を剥いたまま問い質す。流石に聞かずにはいられない。

 すると、滞空する竜王はザガを睨み据えて。


「……僕以外誰がいるんだよ」


 はっきりと、四遠悠樹の声で告げた。

 予想通りの返答ではあるが、これにはザガも唖然とするしかない。


『……どんだけデタラメなんだよ、てめえはよ……』


 しかし、正体が分かると、今度は無性にハラワタが煮えくり返ってきた。

 ザガは右腕を大きく払い、上空にいる竜王に怒号を上げる!


『くそッ! このくそ野郎がッ! よくも堂々と俺様の庭を荒らしてやがってッ!』


「……いや、あのさ」


 ザガのその言い草に、竜王は肩をすくめて見せた。


「仮にも僕は『ドラゴン』なんだぞ。火が吹けるんだから空だって飛べるさ。けど、そんなことよりも、お前ってさ」


 と、そこで竜王は呆れ果てたように火の息を零した。


「たかが空を飛べるぐらいではしゃぎ過ぎだろ。空を飛び回る怪物なんて探せば結構いるもんだぞ。最低でも二体は確実だな」


『はあッ!? フカシこいてんじゃねえよッ! 俺がこの能力を創んのにどんだけ苦労したと思ってんだよ! はっきり言って俺以外に空を飛べる奴はいねえ! たとえ姐さんや他の《四凶》の旦那方でもだ! この空は俺だけのもんなんだよ!』


 そう叫ぶと、ザガは再び身体から爆炎を噴出して飛び上がった!

 そしてすれ違いざま爪を振るうが、竜王は寸前で強く翼を羽ばたかせ回避する!

 勢い余って上昇するザガは舌打ちした。


『チイィ、ちょろちょろ逃げやがって! とことんムカつく野郎だな!』


 背中から轟音を上げて滞空するザガは両腕の爪をさらに伸ばし、牙まで剥き出しにして怒りを露わにする。対し、竜王――悠樹はすうっと目を細めて、


「――ムカつくのはお互い様だろ、クズ野郎」


 そう呟き、静かに闘志を燃やした。

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