第六章 闇より忍び寄る邪悪
第20話 闇より忍び寄る邪悪①
その男は一人、森の中を歩いていた。
時刻は深夜、午前二時。まさに丑三つ時だ。
「……くそ、面倒くせえな」
暑苦しさから胸元のネクタイを少し緩めながら、歩を進める。
「ったく、姐さんはなんでこう我儘なんだよ」
愚痴を零しつつ、新城学園の制服を着た男はさらに森の奥へと進む。
ただし、森と言っても、ここは本物の森ではない。《森林通り》と名付けられた『森の中を散策』をコンセプトにした人気の公園だった。足元には石畳の遊歩道。ブロンズ製の街灯と、木で作られた長椅子が一定間隔で設置されているような造りモノの森だ。
「定期報告ぐらい携帯でいいじゃねえか。何もこんな場所に呼び出さんでもいいだろうに」
大分苛立っているのか、次から次へと愚痴が零れ落ちる。と、
「あら。真夜中の公園デートってのも中々オツなものよ」
「――ッ!」不意に声をかけられ、男が凍りつく。
恐る恐る前を見やると、木製の長椅子に一人の女性が座っていた。
「……姐さん、か」
「は~い、半年ぶりね」
その女性はにこやかに手を振っていた。年の頃は二十代前半。真紅のイブニングドレスを身に纏った、黄金の髪と青眼、そして目を瞠るような美貌を持つ白人女性だ。
女性を前にして男は息を呑む。しかし、それは彼女の美貌に対してではない。
(……相変わらず、洒落にもなんねえ化け物だな)
これだから、この女と会うのは嫌なのだ。
見ただけで力量差が分かる圧倒的な存在感。自分より格上の存在など不快なだけだ。
何より『絶対に勝てない』と認めてしまう自分の直感が一番腹立たしい。
「……久しいな。姐さん」
ともあれ、男は警戒した面持ちで会話を切り出した。
すると女性は、気楽な様子で口を開き、
「あははっ、そんなに気を張らないでよ。別に取って食ったりしないから」
と、告げてから不意に笑みを零して、
「それにしても……ぷぷっ、あははははははははっ! いつ見ても似合ってないわね、その格好! まるでコスプレじゃない! キャラ壊れてるわよ! あはははははははっ!」
そう言って腹を抱えて大爆笑する。そのままのたうち回りそうな勢いだ。
そんな大らかな彼女の態度に、少しばかり警戒を解いた制服姿の男は「……はあ」と大きく溜息をついた後、渋い表情を浮かべた。
「……まあ、似合ってねえのは自覚してるよ。つうか、そもそもこの服を用意したのは姐さん自身じゃねえかよ」
どこかうんざりとした男の声に、女性はパタパタと手を振って、
「あははっ、確かにそうだったわね。しっかし、ぷくくっ、あなた、芸人になれるわよ」
「なんだよ芸人って。……ったく、あんたは変わんねえな」
と、疲れ切った表情で呟く男だったが、女性はまるで気にかけない。今もひたすら笑い続けている。男は半ば諦め、女性が落ち着くまで待つことした。
そしてしばらく経ち、ようやく一息ついた女性が表情を改め、尋ねてくる。
「あ~~笑った。で、本題に入るけど、調子はどうなの?」
女性の問いかけに、男は真剣な面持ちで答える。
「……そうだな。今んところは順調か。あえて報告すんなら、さっさと消しちまおうと思った連中を三人ほどピックアップしたことぐらいだな」
「へえ……」女性は少し驚いた。「あなたが警戒するなんて……強いの?」
「……まあ、そこそこだな。タイマンなら問題ねえレベルだよ」
四遠悠樹。鳳由良。御門翔子。
その三人が、彼が直感から厄介そうだと判断した者達だった。
だが、自分の実力と比較するのならば、あの三人はそこまで強くない。一番手強そうなのは四遠悠樹だが、それでも手こずるほどではないだろう。本来なら機会があれば、ちょっかいを出す程度の相手だ。
しかし今回、男があえて手を下す理由は――。
「ただ、中々面白そうなおもちゃも見つけたんでな。折角だから罠にでも嵌めてやろうかと思ってな。実はもう仕込みの方も済んでいるんだよ」
これが男の本心だった。仕事のためというよりも、おもちゃで遊ぶための手頃な相手という認識だ。まあ、さらに言うならば、もう一つの『お楽しみ』のためでもあるのだが。
そんな男の心情を感じ取ったのだろう。女性は眼光を鋭くした。
「……ちょっと。それ、大丈夫なんでしょうね。あんまり遊びすぎて依頼に支障が出たりしたら本末転倒なんだからね」
依頼主として厳しい言葉をかける。
今回の事案は、彼女にとって重要な意味を持っていた。だからこそ万全を期してこの男を送り込んだというのに、当の本人がお遊び気分では堪ったものではない。
女性の美麗な顔から表情が消えていく。
「改めて言うけど、わたくしが真剣なのは分かってるわよね?」
一気に膨れ上がった女性の重圧の前に、森がざわめき、空気が張り詰める。
ゾッとするような圧力に、男も流石に肝を冷やすが、
「……クカカ、まあ、安心してくれ。姐さんからはもう前金も貰っているしな。それに俺の依頼達成率は100%だぜ。姐さんの期待には必ず応えるさ」
自分にも強者たるプライドがある。最後まで自信ありげな態度を貫いた。
対する女性はわずかに眉をしかめるが、すぐに小さな溜息をついた。自分の『威』をはねのけてまで『我』を通すとは、ある意味見所があると言うべきか。
「まったく。仕方がないわね」
森が落ち着きを取り戻し、張り詰めた空気が霧散する。が、
「まあ、流石にあなたが失敗するとは思ってないけど、油断だけはしないことね」
それでも一応忠告を入れておく。
男はふてぶてしい態度で頭をかいた後、クカカと笑った。
「大丈夫さ。確かに仕事の一環というより俺の趣味みたいなもんだが、そうそうヘマなんぞするかよ。まあ、姐さんは次の報告を楽しみに待っていてくれよ」
そして翌日の放課後。
男は一人フェンスに片手をつき、屋上から校門を監視していた。
「さぁて。俺の見立て通りなら今日あたりなんだが……」
多くの生徒が次々と校門を通る。彼らの行動は大体二パターンに限られていた。
真直ぐ寮へと帰るか、連れだって街方面へと向かうか、だ。
「……おっ、来たな」
その中にお目当ての男女を見つけ、目を細める。
長身の少年と、長い髪の少女。彼らは他の生徒達と違い、校門を出ると山道方面へと向かって行った。確か、あの先にあったのは――。
「……クカカッ、こいつはいよいよだな。どれ、俺も急がねえとな」
そう呟き、男は運命を弄ぶ、邪悪な笑みを浮かべた。
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