第五章 蠢動
第15話 蠢動①
深い森の中を悠樹が走る。
その瞳は獣の瞳孔。右手には紫色の籠手を纏い、銀色の長剣を握りしめている。
ザザザ――ッ!
と、繁みをかけわけ、人間を超えた速度で疾走する悠樹は不意に目を細めた。
そして右手の長剣を鋭く振るう。
――ギンッ、ギンッ!
弾かれる二本の矢。さらに飛来する三本の矢を今度は後方に跳んで回避する。
が、矢の群れはそれだけで終わらない。十数の矢が悠樹に襲い掛かる!
悠樹はわずかに眉根を寄せた。
「……多いな」
この数を迎撃するには骨が折れそうだ。
悠樹は一度右腕の籠手を解くと、すぐさま両足に具足を顕現させた。
当然だが、獣衣を纏った部位はより強化される。少年は先程までとは比べようもない速さで加速して森の中を駆け抜けた。襲い来る矢をグングンと引き離す。
そして、悠樹は一際巨大な樹を見つけると、即座に部分顕現を籠手に戻し、大きな樹の幹に姿を隠した――が、
「――ッ!」思わず息を呑む。
追いついた矢の群れが突如軌道を変え、幹を迂回して悠樹の眼前に現れたのだ。
これでは回避は不可能。ならば被害を最小限にするしかない。悠樹はそう覚悟を決め、右腕の籠手を盾にして矢の群れを一点突破する。
――ガガガガッ!
右腕越しに響く強い衝撃。が、矢が籠手を貫く気配はない。
そうして霊塵の加護もあり、悠樹は大きな負傷もなく矢の群れを凌いだ。
(――よし!)
続けて、悠樹は矢が放たれたであろう方向へと振り向き走り出すのだが、一秒も経たずにして足を止め、小さく舌打ちした。
すでに第二陣、第三陣が目前に迫って来ていたのだ。木々の間をすり抜けるように加速する矢陣は飛び道具というよりも一種の生物のようだった。
「――クッ!」
危機を感じた悠樹は横に跳躍し、木々の影に身を隠しながら疾走する。
しかし、物理法則さえ無視して矢の群れは縦横無尽に軌道を変えて追跡してくる。このままではハリネズミにされるのは確定だった。
(全く容赦がないな)
悠樹は木々の間を越えて大きな広場に出ると、苦笑を浮かべて反転。地面に火線を引いてその場に踏みとどまった。
そして長剣を横に薙ぎ、数十に至る矢の群れを迎え撃つ!
「――ふっ」
吐き出される小さな呼気。
刃のように集中力を鋭くして、悠樹は残像すら残る速度で剣を振るった。
袈裟切り。さらに返す刀で切り上げ。横に大きく薙ぐ。時には刃の腹を立てて矢を打ち落とす。あらゆる斬撃を繰り出し、悠樹は矢陣を削り落していく。
かくして十数秒後、少年はすべての矢を叩き落とすことに成功した。
わずかに緊張を解き、悠樹は小さく息を吐き出した。
と、その時だった。
「う、うわあ……」
思わず悠樹の顔が強張った。ようやく矢陣を迎撃したばかりだと言うのに、森の奥の方から今度は百にも届きそうな矢の群れが迫ってきていたのだ。
「さ、流石にこれは酷いんじゃないかな……」
と、呟くが泣きごとを言っても始まらなかった。そもそもそんな情けない台詞は、彼女は受け入れてくれないだろうし、目の前の矢も止まってなどくれない。
悠樹はグッと剣の柄を握りしめ、両膝を屈めると、
「ああ、もう!」
再度、矢の群れを迎え撃った――。
そして、およそ十分後。
おもむろに、森の奥の方から一人の少女が現れた。
森の暗さの中ではより目立つ、美しい雪の髪を持つ少女。
鳳由良。悠樹の相棒である少女だ。
「……ふむ。まだまだじゃのう」
両腕を後ろ手に組み、散策でもするかのように軽やかな足取りで歩いていた由良は、目的の場所に辿り着くなり、身を屈めて膝を抱えた。
彼女の視線の先には、大の字で横たわる悠樹の姿があった。
彼は肩で大きく息をしていた。
「あ、あのさ、由良あ……」そして少女を見上げて愚痴を零す。
「幾ら何でも酷過ぎない? あんな一方的に撃ちまくるなんて……」
「何を言うか」
すると、由良はムッとした表情を浮かべた。
「そなたはまだ部分顕現に慣れておらぬ。一日でも早く慣れんといかん状況だというのに、この程度の訓練で根を上げてどうするのじゃ」
「そ、それは分かるけどさ」
悠樹はドスっと頭を地面に置いた。
「流石に疲れたよ。と言うより、完全顕現よりずっと疲れるよ、部分顕現って」
言って、自分の右腕を上げて見つめる。これまでコートなどの普通の獣衣ではあり得ない特殊な変化をさせてみたことはあったが、部分顕現はかなり勝手が違っていた。気を緩めるとすぐに完全顕現してしまいそうになって少しも油断できない。
思っていた以上に精神力を消耗させられる制約だった。
「これは……部分顕現を実戦でも使えるようにすることが先決だね」
悠樹は小さく嘆息する。
これからの課題としては、まずはこの部分顕現に慣れること。そして完全顕現時とは違う別の闘法を会得することが肝になりそうだ。
出なければ、三枚目の《黄金符》の獲得など夢のまた夢である。
「まあ、そなたの場合、部分顕現とは言ってみれば本来の力を無理やり抑え込んでおる状態じゃからの。しかし、だからこそ気をつけよ悠樹。うっかり気を抜いて、完全顕現を人前でしてしまうと本当に笑えんからの」
そんな洒落にもならないことを言いつつ、由良は苦笑を浮かべた。
対する悠樹も「はは、そうだね」と苦笑で返すが、
「さて」
不意に由良はそう呟いて立ち上がる。悠樹は上半身を起こして首を傾げた。
「どうしたの由良?」
「うむ。実はな、妾はこれから私用があるのじゃ。そなたは……そうそう」
由良はポケットの中から一枚のメモを取り出した。
それを悠樹の手を取り、しっかりと握らせて、
「寮に帰る前に買い物を頼みたい。なに。簡単な日用品じゃ」
「いや、それは別にいいけど……」
悠樹はメモを見つめつつ小首を傾げた。
「なんでいつもメモの手渡しなの? 別にメールとかでもいいじゃないか」
と、もっともなことを訊く。
別にメモを使う手法を否定する気はないが、ただの連絡なら携帯でもいいはずだ。由良は古風な口調とは裏腹に文明の利器にもずば抜けて詳しいのだが、こういった買い物を頼む時など必ずメモを手渡しでよこしてくる。悠樹はそれがずっと疑問だった。
すると、由良は少しだけ視線を逸らすと、
「いや、その、な、メールでは手は握れんじゃろ?」
そう呟いて気恥ずかしそうに笑う。彼女の頬はわずかばかり赤らんでいた。
しかし、悠樹の方は「なにそれ?」とさらに首を傾げるだけだった。
由良は一瞬、実に残念な人間を見る眼差しを少年に向けるが、すぐに嘆息し、
「……まあ、よい。ともあれ頼んだぞ。悠樹」
そうとだけ告げて、その場を後にした。
悠樹はしばらく腰を地面に着けたまま、彼女の後ろ姿を見送っていたが、
「はあ、それにしても本当に疲れたなぁ」
そう言って、再び地面の上で大の字になった。
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