ドラゴンチェイサー

雨宮ソウスケ

プロローグ

第1話 プロローグ

 御門翔子は一人廊下を歩いていた。

 歩を進めるたびに、長い渡り廊下がキシキシと微かに軋み、見晴らしのよい日本庭園からは鹿脅しの音も聞こえてくる。空には淡い三日月が輝いていた。


 そこは彼女の実家。築二百年という文化遺産並みの古さを誇る武家屋敷だ。

 涼やかな紺色の和服を着込んだ少女は目的の部屋の前にまで辿り着くと膝を折り、部屋の主人に呼び掛ける。


「おじい様。翔子です。ただいま参りました」


「おう、来たか翔子。入ってもいいぞ」


 部屋の奥から届く声。翔子は「失礼します」と告げ、目の前の衾を開けた。

 部屋の中は広い和室だった。全体的にやや薄暗く、古い畳の匂いがする室内。

 その上座には、片膝を立て胡坐をかく一人の老人がいた。


「よく来てくれたな翔子。まあ座れや」


 ニカッと笑って老人は孫娘を歓迎する。

 しかし、翔子はそんな彼女の祖父を見て小さく嘆息した。


「……おじい様。また部屋の中で獣衣バドレスなど纏って……」


「はんっ。何を言うか。獣衣を纏った姿こそ御門家当主の正装だぞ」


「……確かにそうですが……」


 そう言われては、反論も出来ない。

 翔子は祖父の姿をもう一度見つめた。灰色の甚平はいい。七十代とは思えない精悍な体格をしている祖父にはよく似合っている。しかし、問題はその上に纏っているものだ。

 それは右腕の指先から肩までを覆う赤い甲冑。肉厚でどこか動物の甲殻を思わせるような鎧だ。それに加え、肩には一本の太い朱槍を担いでいる。腕を一回りほど大きくするこの甲冑と、赤い槍は《妖蛇バジリスク》と呼ばれる化け物と戦うための武具。


 霊的な反物である『銀霊布シルバライン』で編み込まれた戦装束――『獣衣バドレス』であった。


「……常在戦場の心構えは分かりますが、孫と会う時くらいはよろしいのでは?」


 呆れたように進言する翔子。すると、


「アホウ。ワシとてただ孫に会うだけなら獣衣なんぞ着ねえよ」


 獣のような瞳孔と化した瞳の祖父に睨まれた。翔子はその気迫の前に居住まいを正し、


「……失礼しました。部下としてお呼びでしたか」


 深々と頭を下げて謝罪する。祖父は再び、ニカッと笑った。


「ま、そう言うことよ。そう畏まるな。早く座れって」


 翔子は「はい」と答えると部屋の中央まで進み、おもむろに正座した。


「……それでおじい様。ご用件は何でしょうか」


 早速本題に入る孫娘に対し、祖父は左手であごをさすりながら、


「……ふむ。なあ翔子。お前は新城学園のことは知っとるかい?」


 と尋ねてくる。翔子はわずかに眉をしかめた。


「新城学園……ですか? 確か政府の後ろ盾のもと、六大家が主体となって、風倉市の山間辺りに建設した新設校ですよね。来年の四月に初めて一期生を迎えるという……。表向きは私立高校。その実態は《追跡者チェイサー》を育成する学園とか……」


 頬に人差し指を当て、翔子は記憶を探る。


「ああ、それで大体合ってんよ。でな。この計画のこと、お前はどう思う?」


 その問いには、少しばかり答えるのに逡巡した。


「どうと言われましても……悪い話ではないと思いますが――」


 この日本という国には、古くから特殊な役割を持つ家系が数多くあった。


 それは、『霊獣エレム』を従えた狩人――《追跡者チェイサー》を擁し、人間に危害を及ぼす化け蛇を駆除して生計を立てる家系のことだ。かくいう翔子の家系である御門家もそれに当たり、しかも『六大家』と呼ばれる最高峰の名家の一つであった。

 

 さて、その特殊な稼業の家系なのだが、政府とは協力体制にあるものの、別に指揮下や管理下にある訳ではない。簡単に言えば裏世界の自営業であり、特に《追跡者》の育成に関しては各家系が独自の方法で行っているのが現状だった。


 しかし近年、有能な若手が早世するなどして次代の《追跡者》の弱体化が問題視されていた。そこで六大家を筆頭に有力な名家の当主達と政府は話し合い、抜本的な《追跡者》育成に乗り出したのだ。それが学園――《追跡者》育成機関――の創立であった。


 だがしかし……。


「この計画には各家の戦闘法や秘術を集約して教本マニュアル化するという側面もあると聞きます。効率的とは思いますが、各家にとっては数百年分の知的財産を譲り渡せと言っているようなもの。とても志望者が集まるとは思えないのですが……」


 と、翔子は率直な意見を告げた。すると祖父はポリポリと頭をかき、


「ああ、全くもってその通りだ。教員もすでに選抜し終え、もう校舎までおっ建てちまったのに、未だ入学希望者――まあ、協力を申し出た家系は一桁台なんだよ」


「……ひ、一桁台、ですか」


 どうやら想像以上に難航しているようだ。


「それでだな。今回の件、御門家もかなり投資しとる。正直、失敗なんてされたら洒落にもなんねえ。そこでワシは入学希望者を集めるため、ある『餌』を用意することにした」


 神妙な声で祖父がそう告げる。何となくだが、翔子は嫌な予感がした。


「……お、おじい様? 一体何を用意されたのですか……?」


 祖父は悪戯がばれた少年のような笑顔で言う。


「お前だよ」


 ………………。


「三年後、卒業時点で一番強えェ奴に、お前を嫁にくれてやることにしたんだ」


 …………………………。

 しばし続く沈黙。翔子は完全に無表情になっていた。


 ――祖父の話は、意外と理にかなっている。

 先に述べたように御門家は名家だ。その次期当主と婚姻を結べるのはかなりのメリットである。特に弱小の家系にとっては、喉から手が出るほど欲しい地位だろう。


 その上、翔子はずば抜けた容姿をしていた。

 腰まで伸ばした艶やかな黒髪に、吸い込まれるような瑠璃色の瞳。スタイルこそ十五歳としては少しばかり幼いが、『姫』と呼ばれるのに相応しいだけの美貌を持っていた。


 祖父の言う通り、『餌』としては充分な内容だった。

 しかし、当の本人がそんなものに納得できるはずもなく――。


「……ふふふ、そうですか。孫を『餌』にしましたか……」


 そう呟くと、翔子は俯いたまま、すうっと立ち上がり、


「ぶち殺します」


 と、にこやかに宣告して、虚空を右手で薙いだ。

 その直後のことだった。翔子の前に一枚の銀色のカードが現れたのは。

 続けてそのカードはスライドし、銀色に輝く帯――銀霊布へと変化する。そして銀の帯は翔子の右腕に幾重にも絡みつき、瞬く間に形を編み始めた。

 そうして数秒後、そこには祖父と同じく右腕に白銀の鎧を纏った翔子の姿があった。

 瑠璃色の瞳は獣の瞳孔となり、その手には白銀の十字槍を握りしめられている。ただ一つだけ祖父と違うところは、彼女の頭には猫のような耳が生えて来たことか。


 ――これは、《霊獣降来法エレム・ライド》と呼ばれる秘術だった。


 一般的に動物霊は死後百年成仏しなかった場合、人語を理解するようになる。

 《追跡者》はその年経た動物霊――『霊獣』と特殊な結界内で対話し、自分の霊獣パートナーとして契約を結ぶのだ。人に降霊した霊獣は術者の身体能力を強化し、さらには銀霊布を使って獣毛や爪牙の代わりのように甲冑や武具を顕現させる。言わば半獣半人の状態だ。

 その獣の力と武具を以て、《追跡者》達は《妖蛇》と戦うのである。

 要するに彼女は今、自分の契約霊獣――狼の霊獣・《銀聖》をその身に降ろしたのだ。


「……ふふふ、覚悟はよろしいですか? おじい様……」


 ゆらりゆらりと近付いてくる孫娘に、豪胆な老人も流石に焦りを覚えた。


「い、いや待て。お、落ち着け翔子。まだ話には続きがあんだよ!」


 祖父の懇願のような声に、翔子はピタリと動きを止めた。


「……続きとはなんですか?」


 とりあえず立ち止まってくれた孫娘に、祖父はホッと胸を撫で下ろしながら、


「いやぁ、実はお前は副賞なんだよ」


 ……翔子の十字槍が、無言で老人の喉元に突きつけられた。


「ま、待て! せめて最後まで聞けって! で、正賞の方なんだが――」


 コホンと喉を鳴らし、


「奮発してな。御門家に伝わる《救世七宝セブンス・アークス》の一つ――神刀・《真月フルムーン》を用意したんだ」


 極上の『餌』だろ、とウインクする祖父。

 それに対し、翔子の方は何も反応できず、ただ呆然として立ち尽くしていた。

 よりにもよって神刀とは……。わなわなと身体が震えてくる。

 御門家に代々伝わる家宝であり、世界に七つしかない神宝の一つ。現在に至ってはたった二つしか所在が確認されていない至高の武具を、この祖父は――。



「――アホですかッ! 神刀を何だと思っているのですかッ!」



 自分が副賞にされていることさえも忘れて、翔子は祖父を怒鳴りつけた。

 しかし、老人は一切悪ぶれた様子もなく、


「あー……まぁ落ち着けって。そのためのお前じゃねえか」


 その台詞に、翔子は眉根を寄せる。


「……どう言う意味です? 私が副賞にされていることがどう関係するのですか?」


「ん? いやいや、そうじゃねえよ。はっきり言っとくがワシは、正賞は勿論、副賞だってくれてやる気なんぞ毛頭ねえよ」


 誰が可愛い孫娘を馬の骨なんぞにやるかい、と付け加える祖父。

 翔子はますます眉をしかめた。


「……一体どう言うことなのでしょうか?」


 再度、祖父に問う。すると祖父は、朱槍でトントンと自分の肩を叩き、


「最優秀者に賞品が贈られんのなら、お前自身が最優秀者になっちまえばいいって事だ」


 事もなげにそう告げる。翔子は一瞬息を呑んだが、すぐに得心のいった笑みを浮かべ、


「……なるほど。そう言うことでしたか。それが今回の任務なのですね。要はその新城学園に入学して最優秀者となり、私自身と神刀を守れ、と」


「ああ、その通りだ。お前にとっては期間こそ長いが、さほど難しい任務でもねえだろ」


 言って、祖父はニヤリと笑う。

 確かにその通りだった。彼女はすでに幾度も実戦を経験しており、《瑠璃光姫ルナティア》という異名さえも持っている。同世代の《追跡者》の卵に自分が後れを取るとは思えなかった。

 翔子は獣衣を解くと三つ指をつき、当主である祖父に了承の意を伝えた。


「分かりました。学園にも興味はありますし、この任務お受け致します」


 老人は孫娘の凛とした態度に、満足げな笑みを浮かべながら、


「おう頼んだぜ。なにせ神刀を失ったりしたら、先代達にあの世で殺されちまうからな」


 と、冗談めいた台詞を呟いた後、


「……で、本題なんだが」


 不意にそんなことを言い出した。


「……本題? まだ他に何かあるのですか?」


「ああ、実はな。神刀は入学希望者に対してだけの『餌』じゃねえ。むしろ別の者を誘い込むために用意したもんなんだよ」


 何やら不穏な言葉を紡ぐ祖父。翔子の顔に少しばかり緊張が走る。


「なあ、翔子よ。お前さ――」


 一拍置いて、祖父は告げた。


「《魔皇デモノ・ドラゴン》と呼ばれる《追跡者チェイサー》のことを知っているか」

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