第7話 鼓膜の残響

 怒り心頭のリサの後をついて街道を抜け、細い路地を幾つか曲がると、小さな庭のついた赤い煉瓦の建物にたどり着いた。煉瓦の建物など、つい先ほど見た衛兵の詰所ぐらいでしか使われていなかったので、かなり珍しい。

 そんな我の疑問に気がついたらしいリサが、嫌そうな素振りを見せながら説明をする。 


「あたしのお母さんが赤い髪で、お父さんがそれに合わせて赤レンガの家を建てたの」


「ふむ……まあ、良いのではないか」


「……意外。アホらしいな、とか言ってきそうだと思ったわ」


「家が小さい! とか言いそうだもんね」


 何やら我のことで若干二人が盛り上がっているが、随分と酷い見方をされているようだ。煉瓦の家は周りから目立って特別感があるので中々良いな、という裏の無い言葉なのだが、妙に勘繰りをされてしまう。

 流石の我も家の石材一つで相手を馬鹿にすることはせぬ。それよりもこの女の両親とやらが気になるな。


 そもそも何故全く血族に見えぬエリーズがリサと暮らしているのか。もしかしたら親父の髪が黒髪黒目なのかもしれぬが、余りにも血の繋がりを感じぬ。そこらもその両親とやらに聞けば分かるであろう。


 そこまで考えると、我の脳の奥で、大切な声が反響した。


 ――む、君は。私の髪と同じ色だな。


「――」


「残念金髪ー?」


「……誰が残念金髪だ」


 投げつけられた罵倒に顔を上げて反応すると、不思議そうな顔をした女二人が開いた玄関口から我を見つめていた。我としたことが、この女どもに遅れを取るとは。遅れて湧いてきた羞恥をどうにか振り払って、女二人の後を歩いた。


 玄関を通りすぎると、暗い家の内側には妙な匂いがあった。なんと形容していいのか分からない匂いだ。初めて嗅いだそれは、例えるならば……花の焼ける匂いとでも言おうか。

 ほんの微かな残り香でも、我にとっては充分な香りだ。そんな匂いに戸惑っていると、リサやエリーズがてきぱきと家の中を歩き回って明かりを付け始めた。


 明かりといっても蝋燭などではなく、魔法石……俗に言う魔石というやつから魔法的概念を抽出する形式の灯りである。ぱちぱちとスイッチの音が聞こえて、家の内装が明らかになっていく。白い壁面と天井。洒落た形の魔石灯が壁から金鍍金の腕を伸ばしており、天井から吊り下がった木の風車のようなものがくるくると回っている。


 柔らかそうな長椅子にテーブルと椅子。玄関から左側沿いの壁を進むと階段があり、二階に繋がっているようだ。食器やコップを入れているらしい戸棚には何か小さな額のような物が伏せて置いてある。壁には二つほど絵画が掛けられており、それらはどちらも海岸線を描いていた。


 玄関からおずおずと首を伸ばしてみると、椅子やテーブルの並んだ居間から台所のような場所が見え、そこにはリサの後ろ姿があった。エリーズはリサの分の防具や武器をてきぱきと纏めてささっと二階に上がってしまう。


 やはりどうにも他人の家というのは居心地が悪いなと思っていると、台所からリサが顔を出して来た。


「金髪、邪魔なマントとか上着とかは玄関に掛けといて。あと、勝手に二階に上がったらぶっ殺すから」


「掛けろと言われてもだな……あと金髪ではなくコルベルト様と呼べ。今なら特別にコルベルトさんでも辛うじて許そう」


「嫌よ。どうせ適当に名前呼んでもなんか言ってくるんでしょ? なら金髪の方が分かりやすくていいじゃない。あと、掛けろって言ったのは……ほら、近くにいっぱい枝の生えたやつによ」


「枝……? これか」


 玄関口にあった謎の木製家具。一本の柱を中心として、くねりと曲がった枝を天井に幾つも伸ばしている。良く見れば帽子や上着が幾つか引っ掛かっている。……盗まれたりはしないだろうな、と一瞬考えたが、二人の性格を鑑みてそれは無いだろうと思った。


 リサは言葉の節々が鼻に付くが、逆に悪行に手を染めるようなことはしないであろうし、エリーズはそもそもそういう思考が無さそうだ。


 砂まみれのマントや鎖帷子を脱いで謎の家具に掛ける。そしてこれまた砂の詰まった靴を脱いで玄関に置くと、ようやく我はこの二人の家に乗り込むことが出来た。玄関近くにあった鏡で今の我の姿を見てみる。


 金のラインが幾つか入った黒の肌着がぴったりと我の上体を覆い、下半身にも踝まで伸びた黒のロングタイツが高貴な肌を守っている。そしてその上を砂に汚れた黒のズボンがある。


「ふむ……相変わらず我は美しい」


 金糸のようにきめ細やかで艶のある金髪、瞳の奥に金塊が煌めいているような瞳。更には完璧に完成され尽くしたバランスで顔の部品が並んでいる。滑らかかつ優美な顎の線、竜のように鋭くも秘めたる叡知を思わせる金色の眉……勿論の如く肉体美も隙がない。


 驚異的に冴えた骨格の上をしなやかな筋肉が覆い尽くし、隆々としたその様は大海原をうねる荒波のよう。まるで彫刻のような肉体である。

 鏡の中の自分に惚れ惚れしていると、何やら台所から物音がし始めた。同時に炎と肉の匂いが鼻を掠める。我の肥えた舌を満足させられるだけの料理を、果たしてあの女は作れるのであろうか。


 そこまで考えて、どうにも手持ち無沙汰になったので、いい加減玄関から離れて居間の椅子に座る。やはり居心地はあまり良くないが、頭上を回る四枚の木の板を眺めていると、何となく癒される。理由は知らないが。


 そういえばリサの両親はどうしたのかと疑問に思ったが、壁に立て掛けてある時計を見るに今は深夜三時過ぎ。人外の者である我は睡眠を人間ほど必要とはしていないが、一般的な人間であれば眠っているであろう時間帯に違いない。


 となるとこの家に四人暮らし……悲しくも居候の我を含めれば五人暮らしということになる。くるりと家の間取りを見渡して思ったのが、どうにも狭いな、という事だった。更に気がかりなのが、用意されている椅子が三つしか無いこと。この地方の人間に、食事中は誰か一人が立って食べること、という謎の風習が無い限り、椅子が足りない。


 そこまで考えて、リサがひょっこりとリビングに顔を出した。と、同時に驚いたような表情をする。この表情と上から眺める視線の色は……成る程。


「お前、我に見惚れているのだろう?」


「……はぁ? あたしはあんたが思ったよりも筋肉質だったから――」


「よせよせ、照れ隠しはしなくとも良い。まあ、我は完成された肉体を持っているからな。見惚れるのは仕方の無いことだ」


 我はそこに在るだけで周りの空間を絵画のように変質させてしまう、なんとも罪深い美しさをしているのだ。我の言葉を聞いたリサはやはり照れを隠すように無言で台所の奥へと消えていった。

 それと同時に階段の方からペタペタと階段を下りる音が聞こえ、二階からエリーズが降りてきた。


 長い黒髪をリサのように柄布で一纏めにし、藍色の地味な部屋着を着ている。なんだったか……キャミソールワンピースと言うやつか? 流石の叡知を誇る我であっても、女の服装についての知識はあまり持ち合わせていない。


 ゆったりとした服装に身を包んだエリーズは、我と同じく料理が来るまで手持ち無沙汰なのだろう。我の対面の椅子に座ると、気まずそうに笑っていた。

 明るいところでその顔や四肢を眺めると、思った以上に品がある。別に他意があるわけではなく、単純な観察だ。


 やはりリサに比べると、どうにも血が繋がっているとは思えぬ。とはいえそれは憶測に過ぎないので、ざっくりとエリーズに聞いてみることにした。


 ――が、それよりも先にエリーズが口を開く。


「えーっと……コルベルトさんは何歳位……なの?」


「む……」


「あ、ごめんね。変な意味とかじゃなくて、暇だからお話出来たらなーって……」  


 確かにお互いについての知識など皆無に等しいからな。どうせ明日には他人に戻るような相手の情報など欲しいか? と口に出そうとしたが、我の中の鋭い第六感がそれは悪手だと囁いている。

 素直に話に乗ってやるとするか。


「我の年齢は……年齢は、二十四だ」


「おー、結構年上だったんですね。あ……」


「どうした?」


「何でも無いよ。えーっと、私は十六歳で、リサは確か……二十一歳だったっけ?」


 台所から、勝手に教えないでよー! と悲鳴のような嘆願が飛んできた。随分と料理中に余裕があるな。エリーズはリサに軽く謝りながら我との会話の話題を探そうとしているようだが……どうにもうまくいかないようだな。


 大方どこを踏んでも地雷の可能性があって踏めない、というところか。苦笑いで誤魔化しながら考え続けたエリーズが、やっとのこと投げてきた話題は……。


「す、好きな天気は……?」


「……もうすこし何か無かったのか?」


「ご、ごめん……昔からお喋りはあんまり得意じゃなくて……」


「……」


 良くわからない話題だが、取り敢えず乗ってやるか。好きな天気……そもそも天気は雨晴れ曇り雪……百歩譲って東国で稀にあるらしい雹くらいなものだが……。


「我は全部好みではないな」


「ぜ、全部……?」


 言ってから自身の失敗に気がついた。嘘でもいいから適当な物を好きと言って話題を作るべきだったか。とはいえ今さら急に晴れが好きになってきただとかを言えるはずもなく、困惑した空気だけが残存してしまう。

 なんともいたたまれないので、取り敢えず理由を語っておこう。


「明日晴れるか、雨が降るのか。それは神々が勝手に決めたこと。勝手に決めて、勝手に押し付ける。まさしく傲慢の極みである。我はそれが許せんのだ」


「な、なるほど……」


 理由を語ったは良いものの、結局空気が変わらなかった。何故だ。別に我から語る言葉など一つも無いので、食卓の上には形の無い沈黙が堂々と胡座を組んでいる。そんな沈黙を容認して、ぼーっと天井を眺めていると、その内台所から随分と芳しい匂いが漂ってきた。


 我の嗅覚に直接訴えかけてくるその香りは、その料理の味を雄弁に語ってくる。曰く、それらは極上の味だと。無意識のうちにゴクリと唾を飲んでしまった。よくよく考えれば、我はこの世界に来てから水以外に何も口にしていないのだ。

 凄まじい空腹感が芳醇な香りによって覚醒し、胃袋が臨戦態勢となった。出来ることならば台所へ行って料理を実際に見てみたかったが、まるで食事まで我慢できない子供のようなことをこの我がするわけにもいかない。


 涼しい顔でなんとか食欲を抑え、待つこと数分。遂に料理がやってきた。エリーズがてきぱきと木製の皿やスプーンをテーブルに用意し、リサがその器に鍋から料理を注ぎ、仕上げにパンを添えた。


 皿の中の料理は騒がしく湯気を立て、同時に滑らかな香りで鼻腔を満たす……シチューであった。ゴロゴロと大胆な大きさに角切りされた野菜や肉が白い沼に身を沈めており、実に美味しそうだ。


「魔王様の高貴な舌に合うかはさっぱりですが、どうぞ」


 リサが嫌みっぽく放った台詞にはっとして、なるべく平静を装いながらスプーンを手に取った。


「では、頂くとするか」


「……えーっと、いただきます!」


 慎重にシチューを一口分掬い上げ、ゆっくりと口に運んだ。料理の熱さなどで火傷をする心配が無いので、堂々と頬張る。瞬間、口の中にえもいえぬ旨味が飛び込んできた。


「……美味い」


「え?」


「熱ぃっ!」


 美味い。どことなく悔しいが、本当に美味い。我が宮廷料理人から振る舞われる料理と同等……あるいはそれ以上の味である。思わず脇目も振らずに二口目を頬張り、安っぽいパンを合わせて食いちぎる。やはり美味い。高級な食材や調理器具を使っているわけではないのに、この我を唸らせる料理を作るとは……。


「お前……この技術をどこで習った……」


「……お母さんからだけど」


「――素晴らしい腕前だ」


「え? ちょ、冗談?」


「冗談などではない! 美味いぞ! お前の料理は美味い!!」


 宮廷料理人の料理は生焼けであったり、稀に変な物が入っていたが、これは違う。細部まで丁寧に産み出された……まさに絶品と形容できる料理であった。


「嘘でしょ……? 世界中の料理とか食べ尽くしてそうなのに……」


「その腕前を誇るが良い……我はお前の料理を認めるぞ!」


「美味しい! 流石リサ!」


「間違いない」


「あぁ、ありがとエリーズ……と金髪」


 皿に盛られた料理を味わいながら完食すると、未だに訝しげな視線のリサが鍋を片手にまだ要る? と聞いてきたので、勿論の如く即答で肯定する。

 食欲のままに食べ進める我に、リサは驚いたような口調で言った。


「あんたに褒められる事なんてないと思ってたけど……」


「失礼な奴であるな。我であっても他人を褒めることはある。褒めるに足る境界線が凡俗よりも高いだけだ」


「料理しただけなんだけど……」


「その料理が素晴らしいのだ」


 この女の評価を不気味な女豹から、料理の美味い不気味な女豹に格上げしよう。先ほど我が口に出したように、我はこの世で最も偉大かつ最強である魔王だ。そこらの人間……いや、魔族や魔物でさえも我からすれば奴隷同然である。

 我のために尽くすのが当たり前であるし、我の姿を目にすること自体がこの上ない幸運のはずだ。だが、そんな我を一分野であろうと圧倒する者……特に我を悦ばせる者は、等しく賛美するべきであろう。


 それが例え、我が心底嫌悪する人間という種族であっても。


 ほんの一瞬……料理の味が歪んだが、一つ深く息をしてもう一口と頬張った。

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