第5話 荒くれの巣窟と魔王の憂鬱

 死んだ目でラクダを降りて酒場に近づく。一ヶ所しかない窓は白く埃がこびりついて曇りガラスのようになっている。一応中には明かりがあるようだが、近づくにつれて酒の臭いが鼻を掠めた。

 慣れた手つきでクルーガーが歪んだ木の扉を押し開けると、続々と冒険者どもが中に入っていく。


「……信じられんな」


 入りたく無いが、入らないという選択肢は存在しない。諦めを胸中に抱えて、我も開いた扉に身を滑り込ませた。


 まず目についたのは酒場のカウンター席に座って酒をあおる冒険者。次に三つしかないテーブル席を占領する柄の悪い男ども。そして店の奥に見える大きな木の板。そこには赤い判子の押された羊皮紙がまばらに貼ってあり、二人ほどその板の前で腕を組んでいる冒険者が居た。


 狭い店内に六人も一気に入り込むと、目立つとかよりも先に窮屈だということが気になる。狭い上に通気性が悪いので、生暖かい呼気が室内にこもって気持ちが悪い。そこに安い酒の臭いが加われば最悪極まりない環境の出来上がりである。


 室内にまばらな蝋燭の明かりに照らされながら、リサが酒場の店主らしき壮年の男に声を掛けた。店主は繊維のように細い白髪を結びもせずに垂らしており、廃れた雰囲気を纏っている。上等とは言えないがそれなりにまともな服装とくすんだ青い瞳が合わさって、やけに裏表がありそうだ。


「マスター、依頼は達成してきたわ。352番よ」


 リサが言葉と共に一枚の羊皮紙と……木でできた札? のような物を男に見せる。羊皮紙のほうは依頼という文言から察するに、依頼書か何かのようだが、木片はよく分からない。認識票ドックタグのようなものか? 角度的にその内容を確認できないのがもどかしいが、それよりもこの環境の方をなんとかしてほしいものである。先程から背中に視線の束が突き刺さっていて居心地が悪いのだ。


「……随分と、手間が掛かる依頼だったようだな」


「……ええ、まあ」


「……その上、中々収穫・・があったらしい」


 男は静かな声で言った。青い瞳がクルーガーを見つめ――値踏みするように我を見すくめた。ふん、死に腐りそうな老いぼれに値踏みされて気圧される我ではないわ。終始堂々と、むしろ威圧し返すように男を見つめると、根負けしたように男が目を反らした。ふはは、王の覇気に日和ったようだな。


 反らした瞳をゆっくり閉じて、男が口を開く。


「……報酬を払う。少し待て」


 男は落ち着いた足取りでカウンターの奥へと消えていった。はあ、と緊張を解いたらしいリサがぽつりと呟く。


「相変わらず怖いわ……」


「……何を考えてるのか、分からない……」


「まあ、一応荒くれ者を束ねてる訳だし、威圧感はあるよな」


 あんな老人に威圧されるとは、やはりその程度か。嘆かわしい連中だ、と哀れに思っていると、我の背後から調子の外れた声が飛んできた。


「おーい、そこの坊っちゃんよぉー……ここは冒険者組合だぜ? 社会見学は程々にして、さっさと帰んな」


「む?」


 酒に焼けた気だるい声がぶしつけに我の背中にぶつかる。声の主は十中八九後ろの方で酒を飲み散らかしている情けないごろつき共だろう。唯でさえこの環境が慣れないせいで我の眉間にはしわが寄っていたが、また幾つか新しいしわが増えた。


 振り返った先に見えたのは、予想通りこんな夜更けに女々しく酒を飲む四人の冒険者だった。汚い革鎧に擦りきれた鞘。テーブルの下に転がっているのは……空っぽの矢筒か?

 いかにも底辺といった様子の男は、曇ったグラスを軽く傾けながら酒臭い言葉を続ける。


「だからよぉ……ここはあんたみたいなキレーな顔した坊っちゃんが来るところじゃねえんだ」


「唯でさえここはせめぇんだから、お前が立ってる場所が無駄ってことだよ」


「……」


 普段ならば我を馬鹿にしたことを文字通り死ぬほど後悔させてやるのだが、あまりに格が違いすぎてそれすらも躊躇ってしまう。なぜ我がこんな掃き溜めのような場所で糞を掃除しなくてはいけないのだ。


 ここがどこかはまだ分からないが、人の愚かさというのは全世界共通のようである。

 何故だかリサやクルーガーらも黙ったままであるし……肝心な時に使えぬ奴等であるな。


 無言の我に業を煮やしたらしい冒険者が、唾を飛ばして声を荒らげる……と思いきや、黙ったままの我をどうやら怯えていると勘違いしたようで、酒焼けした笑い声を上げ始めた。


「おい、ビビってんのか? 情けねえなぁ!」


「その程度の覚悟でここに来るたぁ、本当に馬鹿な命知らずなんだなぁ!」


 酒のつまみになるとばかりに冒険者四人組は我を煽りだした。が、全くもってどうでもいい。我は我自身が馬鹿にされるのは心底許せないが、あの四人のように理性を失って吠える負け犬に手を下すほど馬鹿ではないし、自分を軽い存在にするつもりはない。


 依然として堂々と、付け加えるならば四人に背中を向けて、我は店主の再来を待った。我の態度に四人は何やら騒がしかったが、少しすると諦めたように静かになった。

 それから間を置いて、腕を組んで待つ我の肘を、控えめな指先がつついた。誰かと思って見てみれば、なんとリサであった。


「なんだ」


「……ちょっと聞きたいだけ。あたし達がなんか言うとすぐ怒るのに、あれだけ言われてどうして無反応なのよ」


「我が言ってどうこうする問題でもなかろう。それに、我は自分の価値を知っている。安く腰を動かすことなどしないのだ」


「……馬鹿みたいに傲慢ね」


「馬鹿みたいは撤回すべきだが、傲慢はその通りだ。王は傲慢でなくてはならぬからな」


 王の一言で酒場の空気が若干揺れた気がしたが、気にしないことにする。我の言葉にリサが理解不能の間抜け面を晒すのと同時に、カウンターの奥から革靴の音がした。

 見れば汚い布袋を片手に持った店主が、冷めた瞳でリサを見ている。慌ててリサは店主に向き直った。


「報告書は受け取った。虚偽の申告なら……言わなくとも分かるな?」


「はい、勿論です」


「銀貨三十枚。持っていけ」


 リサがビクビクと布袋から銀貨を取り出して、自分の布財布にしまった。どうやらこれで二人が受領していたらしき依頼は終わったようだが……店主の用はまだ終わっていないようだ。曇った青い瞳が我を射竦める。


「お前は、何者だ?」


 妙に硬い語気の言葉に、取り敢えずこの我をお前呼ばわりしたことを撤回させようとしたが、それでは会話が進まないので不満ながら飲み込む。

 さて、質問の方だが……そんなもの、答えは決まっているであろう。


「我の名はヴァチェスタ・ディエ・コルベルト。金色のまお――ぬぐっ」


「馬鹿じゃないの? ここでそれは本当に不味いって」


「だ、駄目だよ。普通に……普通に話そう?」


 自己紹介の途中で、リサとエリーズが素早く我の口許をそれぞれの手でふさいだ。何が不味いのかさっぱりであるし、我にとってはおふざけでもなんでもなくこれが普通だ。

 が、二人の目が本格的に焦燥を漂わせていたので、仕方なく諦めることにする。


 我の態度からそれを感じ取ったらしいリサが、冷や汗を拭きながら店主に説明する。


「この男は……あー、砂漠を旅している商人で……紆余曲折あって一文無しになってしまったんです。そのショックで大分混乱してしまったようで……」


「成る程な」


「成る程な、ではないぞお前……そんな訳はないだろう! 見るがいい、我の出で立ちを。この高貴さと気高さを両立した――」


「ほら、この通りです」


「状況は分かった」


 このおきな……つまらない嘘に引っ掛かりおって。何より許せないのがこいつの納得具合だ。そういうことか、という態度が全面的に鼻につく。

 リサに対して、前世は詐欺師か貴様、と蔑んでやりたかったがそれより先に店主が我に視線を向けた。


「本名かどうかは知らんが、コルベルト。金のアテは覚えているのか?」


「……本名である。金の宛ては……無い」


「そうか……」


 本名かどうかすら疑われているようだ。この名前は我を我足らしめる唯一の物なのだ。故に少々複雑な気持ちになる。顔をしかめる我に対して、後ろで黙っていたクルーガー達やうるさい四人組が、何やらため息を吐くのが聞こえた。

 それはまるでこれから店主が紡ぐ言葉が分かっているようで、一瞬不気味さを感じた。


 短い蝋燭が何の因果か揺らめいて、店主は短く言葉を吐く。


「それなら、冒険者になるか?」


「断る」


 一瞬の間を経て、我は反射的にその申し出を蹴った。誰がこんな猿のような人間が詰まった不幸の箱庭に入らなくてはならないのだ。我の言葉に初めて表情を驚きに動かした店主が、物珍しそうに我を見る。同時に店主の言葉に驚いていたリサとエリーズが、もう一度我に対して驚いた。


「え? この頭のおかしいのが冒険者……あ、断ったから違う……いや、断るの?」


「えーっと?」


 少しだけ騒がしくなった店内で、店主が訝しむように口を開く。


「お前、一文無しなんじゃないのか?」


「ふむ……そうであるし、そうでないとも言える」


 我の装備品を全て売れば、町くらいは買えるであろうが……流石にそれだけの金を一括で持った豪商というのはこの国に居ないだろう。つまり、これらを買い取れない。そういう輩は東の国で荒稼ぎをして裏の組織を築き上げていたからな。

 勿論、過去形なのは我が解体したからである。


「では、家を覚えているのか?」


「知らんな。ここがどこかも分からぬのだ」


「……金は無くて、家も仕事もない。その上で断るのか?」


 店主が最大限の疑問を我に向けた。……ふむ、よく考えれば、確かに一文無しな上に住む場所が無い。そこらの浮浪者と同じ程度であるな。そこまで考えて、我は静かにリサとエリーズ、クルーガー達を見つめた。


 見つめると同時に、全員が何かを察して目を反らした。おい、そこは快く我の身の上を受け持つべきであろう。何故目を逸らすのだ。

 今までに経験したことがないほど絶望的な冷対応に、我はゆっくりと店主の方に向き直った。


「……」


「……」


「……」


「……?」


「……察せないのかお前」


 そこまで言って、ようやく店主は合点が行ったようで……何故だがそれと同時に小さく笑い始めた。枯れた低い声で、笑い慣れていないのか頬がひきつっている。

 酒場の全員が、何事かと驚きに硬直していた。


「ははは、これは愉快だな」


「は?」


 爺の大笑いなど見ていて何も楽しくない。むしろこの状況では馬鹿にされているのと変わらぬ。疑問と羞恥と怒りに揉まれる我に、店主は息を整えながら声を発する。


「初めてだ。私の方からもう一度、『冒険者になるか』と言うのは」


「……」


「その上相手が家無し職無し一文無しだと言う。ああ、面白い」


「知らぬ。それと、ぶちのめすぞ爺。我に恥をかかせるな」


「ああ、すまない」


 謝罪を口にするものの、店主の顔は似合わない笑顔だ。悲しいことだが、今の我の拳はダメージになり得ぬだろうし、一発位顔に入れてやろうかと思った矢先、店主が笑いを収めながら我に向けて何かを投げた。

 慌てて拾うと、それは先程見た木片……リサたちが店主に見せていたものだ。


「なんだこれは」


「353番。ここでのお前の名前で、冒険者名簿に刻まれるありがたい番号だ」


 すっと元の無表情に冷めた声になって店主は言った。お前、今さら顔と雰囲気で体裁を保とうとしたところで、先ほどの笑いは消えぬぞ。ともかくこのちびた木片が我の認識票だという。黒っぽい木には掠れた文体で『353』とだけ書かれていた。


「随分と適当な入社式であるな」


「冒険者はそんなものだ。契約書も印鑑も要らない。その代わり、お前の明日の保証もしない」


 後の説明は先輩に聞け、とだけ言って、店主はカウンターに置かれたグラスを布で拭き始めた。話すことは話したという態度だ。勝手に会話の主導権を握られた挙げ句、会話を切られて若干嫌な気分だが、今さら何を言ってもこの翁は黙ったままであろう。

 憮然とした雰囲気からそれが察せられる。


 取り敢えず、一旦後ろに振り返ると、文字通り十人十色な表情をした冒険者どもが居た。リサやセラはなんだか不満そうな顔であるし、デグやデニズはよくわからないが笑顔だ。クルーガーははにかむような曖昧な表情で、エリーズも同様に複雑な表情をしていた。


「なんだ貴様ら。どうしてそんな顔をするのだ」


「あんたの番号があたしの次だったから」


「……面倒な後輩が増えたから」


「めでてえからなぁ」


「はは……俺はこれからが不安だからだな」


「祝福して良いのか分からないから……かしらね?」


「えーっと……シェディエライトさんと同じかなぁ」


 生意気な女二人に全力の睨みを投げつけたが、さらりと目を逸らされた。とにかくそれは置いておき、高貴な我はやむにやまれぬ事情で、冒険者とやらになってしまったようだ。

 我に散々罵倒を吐き散らした酔っぱらいと同じ職業だと思うと、どうにもやっていられないし、そもそもこの場所自体がストレスの源泉となっているのだが、他に選べる選択は無い。


 我の力を集めるまでに、多少なりとも回り道をする必要がありそうだ。それを想像するだけで、重い憂鬱が内心に込み上げてくる。それらをため息に混ぜて、淀んだ空気と押し混ぜた。 

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