第4話 砂の都ミルドラーゼ

「……彼、急に立ち止まったと思ったら笑いだしたわね」


「……怖い」


「えーっと……」


「あの魔王さん乗せるラクダぁ、どうするんだ?」


「俺は勘弁してくれ……後ろに乗せるのは将来の花嫁だけって決めてんだ」


「私も勘弁したいんだけど……」


 喜びに身を震わせながら王にふさわしい高貴な笑いをする我を、冒険者どもは散々な言葉と瞳で見つめていた。会話の内容は不愉快極まりないが、今の我は気分が良い。王の余裕でさらりと受け流すとしよう。


 力が戻ると知った今、些細なことでは心を動かされぬ。それよりも腹が減って喉が渇いているのが大きな問題である。


「おい、冒険者ども。とにかく人里へ我を連れて行け。我は疲れた」


 我の言葉に冒険者達は顔を見合せ、黙りこくった。なんだ、その目線は。視線の交差点をくぐり抜け、最終的に砂上の寂寞じゃくまくを破ったのは、不安そうに微笑するエリーズだった。


「えーっと……それじゃあ、私のラクダの後ろに乗ってくれる?」


「ふむ。良いだろう」


「どれだけ上から目線なのよ……」


「さっき助けてもらったし……お礼だよ」


 早くも恩に報いるということか。悪くない心掛けだ。困り顔のエリーズが乗ったラクダに近寄り、砂まみれの体毛に手を掛ける。思ったよりふわふわとしていて面白いが、肝心のラクダの顔が妙に不細工だ。覇気も何もあったものではない。


 若干の緊張を胸中に込めてその背中に飛び乗った。竜種であればこの時点で火を吹いて暴れるのだが、ラクダは間抜けな顔のままだ。


「おお……」


「えーっと……よろしくね」


 エリーズの言葉を首の上下でさらりと流して、初めての感覚に目を見開く。目線が高い。股関節からラクダの呼吸を感じる。何より若干揺れているのがまた恐怖を煽った。


「それじゃあ、ミルドに帰りましょうか」


 前に乗るエリーズ共々全員が頷いて、ラクダ達が動き出す。ラクダの背中に両手を添え、足の小指に至るまで全身を集中させて移動の衝撃に備える。


「ぬぅ……思った以上に揺れぬな」


「えーっと……馬で走ってるなら分かるけど、ラクダでゆっくり歩いてるから……」


 我が思っていた以上に揺れは少なく、同時に衝撃も無かった。むしろ想像より快適なくらいで、思わず拍子抜けである。クルーガーやデニズ達が物珍しそうに我を見つめていた。


「砂漠に居るのにラクダに乗るのが初めてなのか?あんたは」


「初めても何も……我にとってこのラクダが初めて乗る生き物だ」


「じゃあ、いままでどうやって……というか、どうやってこんな砂漠の隅っこに来れたのかしら?」


 デグやエリーズ……言葉には出さないがセラやリサも興味を持っているようだった。確かに、よくよく考えれば不思議なことだ。下々の目に触れることなど滅多にないこの我が、どうして砂漠に居るのか……。

 説明自体はさらりとできるが、低能なこやつらでは理解が追い付かぬだろう。さて、なんと言ったらいいものか。


「……嘘偽り無く、有り体に物事を述べるならば……余りにも力を付けすぎた我を、神々が世界から追放した、というのが正しい説明だな」


「……少しでも興味を持ったのが、間違い」


「神とか魔王とか……そういうのが好きな年頃はもう過ぎてると思うんだけど」


 至極正直に話をしたのだが、やはり信じては貰えないようだ。別にこやつらに信じてもらったところでなんの利益もないのだが、微妙に不快である。

 不快感に唇を尖らせていると、リサやクルーガー達が仲良く話し始めた。こうなると部外者たる我では話に割り込めぬ。


 無言のままエリーズの操るラクダに揺られていると、段々と恐怖感というか、変な高揚感が無くなってきた。詰まるところ慣れてきたのだ。


「ははは、我はラクダを早くも乗りこなしたぞ」


「うん、良かったね」


 エリーズの祝福を軽く受け入れ、高笑いをする。それと合わせて水はないのか、と聞くとエリーズは何らかの革で出来た水嚢をラクダの鞄から取り出した。


「よくやった……うむ、喉が潤うな」


「えーっと……え? もしかして全部飲んじゃった?」


 水嚢の中身を全て飲み干し、全身の細胞の歓喜を噛み締めていると、驚いた顔のエリーズが聞いてきた。全部も何も、我が飲みたいから飲み干したのである。それに何の問題があるというのだ。


「無論、飲み干した」


「あぁ……うん。何でもないよ」


 なんとも居心地の悪い沈黙が我らの間に広がる。しばらく砂漠を進んだ後、エリーズが控えめに沈黙を破った。


「えーっと、コルベルトさんの出身を聞いてもいい?」


「……ほほう、我の高貴なる血脈についての質問か」


「……そうだね」


 妙に萎びた声でエリーズが相槌を打った。さてさて、何処から説明してやろうか。ありのままに述べれば恐らく腰を抜かしてラクダの扱いすら出来なくなってしまうであろう。その後の我が切り開いた偉大なる旅路についての話など、幸福指数が膨大な増加を引き起こすはずだ。



 ───きっと、そうに違いない。



「……えーっと? どうしたの?」


「いや、何でもない。……さて、我の出身を語る上で、まず欠かせないのが我が両親の話だ。我が母親はかつての竜王、父親は半神半魔の大英雄! まさに血脈の段階で我は選ばれし者であったということだな!」


「あはは……うん」


 こそこそとリサやセラが何かを囁くような気配を感じるが、どうでもいい。何故かこちらに背中を向けたままのエリーズに対し、我は語り続けた。

 天界から忌み子として追放された我が世界最強に成り上がるまでの、壮大な物語を。


 先代と先先代の竜王をまとめて殴り飛ばし、地図から幾つかの山と都市を消し飛ばして、神々を冥府へと蹴り落とす。まさに神話の如き物語は、語り部である我ですら恍惚とさせてくる。


 それからも我は揚々と我自身の英雄譚とも言うべきものを冒険者どもに語り聞かせた。我の語り口に引き込まれた者は、口を閉ざして傾聴している。

 その後小一時間ほど話を続けていると、砂漠の地平線に何かが浮き上がってきた。


 蜃気楼や陽炎は既に眠りについており、やけに鮮明な視線の先に映るのは……街か?


「おお、ようやく見えてきたなぁ」


「あぁ、やっと帰れるのか。……ふぅ」


 妙に疲れた様子のデニズに、あれは街か? と聞くとあたぼうよ、と軽い調子の答えが返ってきた。


「ミルド……正式に言うとミルドラーゼってんだ。アホみたいに広いこの砂漠じゃあ首都みたいな扱いだな」


「……首都にしては地味だな。城壁はどうした。町を囲む壁も無いぞ」


「あー……さあな」


 明らかに説明を放り投げたデニズに非難の視線を送ったが、下手くそな口笛を吹いて誤魔化された。視線の先の町は首都にしてはこじんまりとしており、繁栄の二文字を想像するのが難しい。

 我が元居た世界では砂漠といえば魔物の住み処のようなもので、あちらこちらで砂塵竜が息吹を吐き散らしており、人外魔境の四文字が生温いと感じるほどの異境であった。


 それに比べれば、一応マシという奴なのだろうか。いや、比較対象が繁栄に繁栄を重ねた我が国なのが悪いのか?いまいち納得できない様子の我をおいて、全員が警戒心を欠いたリラックスモードになっている。

 すぐに油断するところが人間の弱い点だ。


 この世は弱肉強食。今に甘んじた者から屍になるのだ。安心と共に足並みを早めたラクダに揺られ、我は達観しながら砂漠の首都ミルドラーゼに近づいていった。



 ―――――――――



 人間というのは、つくづく甘い。ミルドラーゼへ至る道に一つ関所のような場所があったが、魔に属する我を易々と通してしまった。クルーガーが我をゴブリンに襲われた冒険者と説明しただけで、それは災難だったな、と笑顔で見送ったのだ。


 随分とザルだな、とエリーズに聞いてみると、どうやらおおらかなのがこの土地の人々の気性というか特徴なのだという。確かにデグやクルーガー、デニズを見ると納得できる。

 リサとセラは全くもって謎だが。……特にセラなど予備のナイフの予備を用意するほど警戒心が高い。もしかしたらこの土地の人間ではないのかもしれないな。


 そんな考察を経て、我は遂に人里に到着した。ミルドラーゼは町の真ん中を大きな幹線道路が通っており、そこから左右に分岐するような形を取っているようだ。上からこの町を見たのなら中央道路を正中に楕円形の町並みが広がっているだろう。エリーズによるとここから海が近いようだが、あまり港から船が出ないらしい。


「ふむ……遠くから見ていた時は分からなかったが、意外に考えた作りをしているのだな」


 近くで見た町の様子は存外面白く、我の中での印象ががらりと色を変えていた。


 目の前に広がる母屋は全て砂岩や煉瓦で作られており、全体的に角張っている。三角の屋根など殆ど見かけず、積み木のように素朴な家々が組合わさっていた。恐らく日中に日陰を作るためなのだろうが、家の上に更に家を積み重ね、隣の家との隙間に鉄の板を通して……と本当に積み木のように見える。

 大小様々な四角の立方体がぞろりと並んでいると、案外馬鹿に出来ないくらいに壮観だ。


 一つの家に注目してみても、恐らく風通しを重視して窓が多いだとか、煙突が無いことから、暖炉等で明かりを灯すのではなく、何か別のもので代用しているのだろうというのが見てとれる。


「随分と初々しい反応だなぁ?」


「誇ることでも無いが、戦闘以外で人里に下りたのは初めてなのだ。初々しいというより、未知への好奇心が心にある」


 デグの言葉に率直な意見を返すと、またもや藪の蛇をつついてしまったような反応をされた。仕方がないだろう。本当に人間の町に来たのは初めてだ。基本的に都市部を破壊する場合であっても、遠距離から魔法をありったけ放り込んだ後に突っ込むので、基本的に町は火の海である。


 真夜中のミルドラーゼは湿度が高く、暗くねばついた空気をかき分けながら我らは大通りを進んだ。本当に夜が深いこともあり、あまり人の影を見ない。代わりに立体的な家の内側からは暖色の明かりが漏れていて、時折何処からか笑い声がする。


 キョロキョロと首を振って色んな物を見つめ、感嘆の声を漏らしていると、生暖かい視線を感じた。


「……なんだ、貴様ら。そんなに我が面白いか」


「……別に」


「面白いっていうよりも……そうね、かわいいって感じかしら?」


「そこまで新鮮な反応されるとよぉ、つい見ちまうよなぁ」


「完全に田舎者って感じで笑える」


「おい、その口を閉じろ馬鹿者が」


 相変わらずリサとセラ……いや、こやつらは我の高貴さが理解できていないようだ。あれだけ懇切丁寧に我の身の上を語ったというのにまるで理解が及んでいない。

 リサなど口元に手を当てて味の悪い笑顔を堪えているようだ。全く、呆れた連中め。


 ため息と共にまた町に視線を戻す。こやつらに構っているよりも、町の様子を眺めていたほうが精神衛生上の利点になる。


 三次元的に広がりを見せる町は我が国には全く見られない構造で、見ているだけで面白い。時折まだ起きている人間が洗濯物を干していたり、窓から夜風に涼んでいたり……大通りを犬や猫が横切っているのは特に新鮮だった。


 我の国では勿論弱肉強食が法律。犬猫などそこらの浮浪者の餌にしかならぬ。よくものうのうと生きていられるものだな、ととにかく驚いた。


「おい、お前。あの緑のやつは何だ」


「えーっと……あれはアロエかな? 食べれるし、見た目が可愛いから窓際で育ててるんだね」


「じゃあ、あの男が咥えてるのは何だ」


「あー……あれは多分煙草だと思い……思うよ。煙が出てるし」


「絨毯の上に物を敷き詰めているやつは何だ。物乞いか?」


「えっ……あ、違うよ。あれは露店……あわわ、すみません……」


 純粋な興味で汚い絨毯の上に柄布だの水瓶だのを乗せた男について聞くと、エリーズは大慌てで露店とやらの男に頭を下げた。どうやら我の言葉が耳に入ったらしき男は、不快そうに眉を吊り上げている。


 クルーガーやリサも苦笑いで頭を下げているが、我は勿論下げぬ。当たり前の事である。そもそもあの男が物乞いに間違われるような見た目なのが原因であるし、何より先ほどから汚い足の裏が組んだ足の隙間を通してこちらに向いている。むしろあの男に我が謝ってほしいほど不快だ。


「本当に……馬鹿……」


「間違いないな」


 珍しく我の心中と合致したセラの言葉に頷くと、何故かため息をつかれた。隣のデニズが笑いを堪えている。……全く不思議な奴らだ。

 その後も月や星座、町並みを眺めて進んでいくと、我らが進む大通りの向かい側……随分遠くに何やら目立つ建物がある。この砂漠では高価であろう木材をふんだんに使って作られた三角屋根の建物。そこだけ妙に人通りが多く、明るい。


「くくく、読めたぞ。お前らが目指しているのはあの建物だな?冒険者組合とかいうやつの――」


「残念だけど、違うわ」


 我の名推理を縦割りに口を挟んだのはクルーガーだ。振り返った瞳に薄く色気を泡立てながら、苦笑いで否定を口にする。


「あれはね、この首都を守る衛兵とか警備兵の詰所なのよ」


「ふむ……随分と優遇されているようだな」


「そりゃあ、国に属してるからな。北とかで言う騎士様みてえなもんだよ」


「こっちじゃあ、暑くて鉄の鎧なんて着れねぇけどなぁ」


 デグの言葉にデニズがそうだなと相槌を打った。確かに国に雇われている立場であるならば、優遇されるのも頷ける。詰所からは防具を白や茶色に染色した軽装の兵士が出たり入ったりしており、案外この国の治安は悪くなさそうだと思った。

 兵士どもの主な武器は長槍と反りの無い鉄剣のようで、建物から伸びる暖色の光が小さく反射してくる。


 それをじっと観察していると、なにやらクルーガー達がラクダから降り始めた。


「む? 着いたのか? めぼしい建物などこの辺りには見当たらんが……」


「ええ、着いたわ。組合なら、もう見えていると思うのだけれど……」


 ほら、詰所の二つ隣の建物よ、とクルーガーが指差した。どれどれ、と視線を向けると……そこは寂れた汚い酒場のようだった。見るからに人通りが少なく柄が悪い。いかにも俗物の巣窟という感じの構えをしている場所だ。

 無意識に、右の頬が引きつるのを感じる。


「……面白い、冗談だな……褒めてやろう」


「……冗談じゃない」


「……」


 やっと絞り出した言葉は、感情の無い声に否定された。信じられない。あんな……建物と建物に挟まれて潰れそうなみすぼらしい酒場が、こいつらの本部だというのか? 想像を遥か斜め右下に下回った光景に思わず表情筋が死滅する。


 嘘であって欲しいと心底願う我の目の前で、リサがすらりと伸びた手の先を酒場に向けながら呆れたように笑い、こう言った。


「ようこそ、冒険者組合へ。気に入っていただけると幸いです――」


 なんとかの魔王様。意地の悪い台詞に、我は思わずため息が溢れた。

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