第1話:忘れもしない
彼女——
実ちゃんはいわゆるお嬢様だった。親が有名な化粧品会社の社長で、でっかい屋敷に住んでいて、家にはお手伝いさんが何人も居て—そして、彼女には天才的なヴァイオリンの才能があると言われていた。ヴァイオリンを習っている人なら知らない人は居ないくらい有名な天才中学生だったらしい。私はその件については後から知った。
彼女には双子の兄が居たが、彼女とは対照的に評判は最悪。中学生でありながら愛人が何人もいるだの、女であれば見境なく手を出すだの…とにかく、性にだらしない人という噂が絶えなかったが、実際に話してみると普通の少年だった。普通と言っても恋愛の価値観以外はだが。
彼の噂は半分本当らしく、愛人というか、遊び相手が何人も居るらしい。本命は一人もいない。彼にとってセックスはコミュニケーションの一種でしかないのだという。誰でも良いのは確かだけど、自分に恋をする人間には絶対に手を出さない。独占したいと望まれても困ってしまうから。
その独特な価値観は、今も変わらないらしく、実ちゃんと同じバンドのメンバーとして活動しているが、バンドのメンバー内で圧倒的にアンチが多いことは彼のテッパンの自虐ネタだ。ファンにもアンチにも手を出さないのが彼のポリシーらしいが、今や世界的に有名になってしまったため、気軽に遊べなくて困ると先日ラジオで語っていた。
その一般的にはクズ扱いされがちな彼の話は置いておいて、彼の妹の話に戻そう。
彼女は同じ中学で、部活の後輩だった。といっても、ヴァイオリンの稽古が優先で、部活にはたまにしか顔を出さなかった。そのことをよく思わない生徒も多く孤立していた彼女に同情した私は、積極的に声をかけるようにしていた。
双子の兄の柚樹くんとはそれがきっかけで仲良くなったのだと思う。彼は妹を溺愛していた。妹は彼に対して冷たかったが、憎んでいるようには見えず、なんだかんだで想いあっている仲の良い兄妹に見えた。
最初は心を閉ざしていた彼女だったが、いつしか彼女の方から声をかけてくれるようになり、少しずつ私に懐いてくれるようになっていった。
私は、彼女を知るたびに少しずつ彼女に惹かれていった。自分では全く気づかなかった恋心に気づかせてくれたのは柚樹くんだった。
「あきら先輩、実のこと好きでしょ」
最初は性別を理由に否定した。笑美さんに初めてプロポーズをしたときに『女の子同士は結婚出来ないんだよ』と誰かに言われたことをぼんやりと覚えていたからかもしれない。
すると彼は鼻で笑ってこう言った。
「同性同士だから恋じゃないなんて価値観、古いですよ。そんな時代もう終わりかけてますよ」
私は柚樹くんからかけられたその言葉に勇気をもらい、彼女に告白をした。そして、柚樹から貰った言葉をそのまま実ちゃんに渡した。
「……なんて、柚樹くんの受け売りなんだけどね」
「柚樹の……」
「うん。……柚樹くんがそう言ってくれたから私は君に告白しようと思えたんだ。私と付き合ってほしい。実ちゃん」
彼女はその言葉を聞いて、恐る恐るではあるが私の手をとってくれた。そして「私も先輩が好きです」と、泣きながら、震える声で返してくれた。
そうして彼女と私は付き合い始めた。彼女の要望で、周りには打ち明けず、ひっそりと。
私と彼女——そして柚樹くんしか知らない秘密の恋。周りに言えないことが心苦しくもあったが、楽しかった。秘密の恋という甘美な響きに酔っていたのもあったかもしれない。
しかし、ある日私達の関係は噂になった。最初、柚樹くんを疑ってしまった。私達の関係は彼しか知らなかったから。だけど実ちゃんが庇った。『柚樹はクズだけど、私達の秘密を暴露するような人ではないです』と。
噂を流した犯人は私がフった男子だった。フラれた腹いせに適当な噂を流したらしい。私達が本当に付き合っているとは思っておらず、冗談のつもりだったと謝ってきた。私と実ちゃんの代わりに柚樹くんが彼を殴り、土下座させた。
けれど噂はみるみるうちに広まり、彼女の家族の耳にも届いた。
私は彼女の母親に、全ての責任は貴女にあると責められた。彼女は私を庇ってくれたが、彼女の母親は聞き入れてくれなかった。私も必死に訴えたが『私は貴女の父親をクビにすることだって出来る』と脅され、彼女を誑かした罪を認めてしまった。私の父は、彼女の親の会社に勤めていたのだ。
後から知ったことだが、ただの社長婦人でしかない彼女の母親にはそんな権利はないらしく、社長である夫に頼めるほど夫婦仲がいいわけでもないらしい。
そんなこと知らなかった私は彼女を置いて逃げてしまった。それが最善だと、思ってしまったのだ。
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