第28話 暗殺


「ギルマスがあのFランクのアトラスと決闘して負けたらしいぞ」

「それも瞬殺だって。瞬殺」

「まじかよ? あんなに偉そうなギルマスが、Fランクに瞬殺なんて笑うな」

「SSランクダンジョン攻略の受注もなかったことになるらしいぞ」

「こりゃ引責辞任だな」

 クラッブがアトラスとの決闘に破れたという話は、あっという間に≪ブラック・バインド≫の隊員たちの間に広まっていった。

 今日は世間では休日。≪ブラック・バインド≫の求人広告には土日は休みと記載されているが、実際のところほとんどの隊員が休日出勤していた。もちろん、残業代など出るはずもなく、サービス残業である。そんな中で彼らがクラッブに対して忠誠心を抱いているはずもなく、ギルド内がクラッブの無能さの話で持ちきりになったのも当然だった。

 隊員たちの陰口はどんどん大きくなり、もはやギルマスの耳にさえ届くようになっていた。けれど、クラッブにはそれを怒る余裕さえなかった。

「くそッ!! あのビッチ王女め!!」

 執務室に帰ってきたクラッブは、置いてあった椅子をあらん限りの力で蹴飛ばす。

「ぎ、ギルマス……お、お声が大きいです!! 流石に王女様をそのよう言っては……」

 コナンが珍しく正論を言う。長いものに巻かれるコナンにとって、ギルマスより王室の権威の方が怖いのであった。しかし、クラッブは勢いのままにコナンを殴りつけた。

「ぎ、ぎ、ギルマス!! な、何をするんですか!!」

 完全な八つ当たりだった。

「あのクソ女が全部仕組んだに違いない。最初から俺を貶めるために、何か細工をしていたのだ。でなければ俺がアトラスに負けるはずがない!」

 クラッブは自分がアトラスに――Fランクの無能と貶めてきた相手に負けた事実が受け入れられなかった。だから「自分は王室の権力によって貶められた」と考えることで、理性を保っていたのだ。

「しかしギルマス……王女様相手ではどうにもなりません」

 コナンが指摘する。流石にそのことはクラッブも理解していた。王室に楯突けば命が危ない。

「ならば、方法は一つしかなかろう」

「……と言うと?」

「――アトラスを殺すのだ」

 クラッブの口からでてきた言葉にコナンはと息を飲む。だがクラッブは本気だった。

「お前の隊にはアトラスを慕っていた若い隊員がいたな」

「あ、アニスのことでございますか」

「あいつを人質にして、アトラスを≪奈落の底≫に呼び出す」

 ≪奈落の底≫はとあるダンジョンの奥にある大穴だ。その穴に落ちた、あるいは自分から進んで入っていった者たちは、誰一人として戻ってきていない。一説には地獄へ通じていると言われているほどだ。

「≪奈落の底≫……ですか!?」

「これなら証拠も残らない。完璧なプランだ……」

 クラッブはそこまで考えて、笑みをこぼした。

「あの無能アトラスを殺し、我々の栄光を取り戻すのだ!!」


 †


 ――その夜。自宅の庭で訓練に汗を流していたアニスの元に、突然の来訪者があった。

「ぎ、ギルマス!?」

 アニスの元に現れたのは、他でもない≪ブラック・バインド≫のギルマス、クラッブだった。

「久しぶりだね、アニス君」

 クラッブはそう言って笑みを浮かべる。

 アニスはトニー隊長がクビになった直後に≪ブラック・バインド≫を辞めていて、クラッブと会うのはそれ以来だった。もう一生関わることはないだろうと思っていたので、突然現れた彼を見て驚く。

「今日はなんの御用でしょうか?」

 怪しむアニスに対して、クラッブは真剣な表情を浮かべて答える。

「実はアトラス君のことで、君にお願いしたいことがあってね」

「アトラスさんの?」

 この世で一番尊敬する人物の名前がでてきたことで、アニスは一気に前のめりになる。

「ちょっとご飯でも食べながら、お話できないだろうか」

「ええ、わかりました」

 他の話なら断っていたが、アトラスのこととなると話は別だった。アニスとしては聞かないわけにはいかない。

 アニスはクラッブに引き連れられ、少し歩いたところにある高級店に通される。個室に通され、クラッブと向かい合って座る。

「アトラス君にはすまないことをしたと思っている」

 クラッブは席に着くなり、謝罪の言葉を口にした。打って変わった態度にアニスは驚くが、黙って言葉の続きを待つ。

「彼がいなくなって初めて、我がギルドがどれだけ彼に助けられていたかを痛感したんだ」

 その言葉を聞いた時アニスは「ようやくか」と思った。≪ブラック・バインド≫がここまで急成長したは、全てアトラスの活躍あってのことだ。ずっとそばで彼の活躍を見てきたアニスにとっては、それはあまりにも当然のことだったが、クラッブ、トニー、コナン……誰もアトラスの功績をちゃんと評価する者はいなかった。しかし、ようやく改心したのかとアニスは心のつっかえが取れた気になった。

「もう彼に≪ブラック・バインド≫に戻ってきてくれと言うつもりはない。だが、彼に謝りたいんだ」

 クラッブの言葉に、アニスは心の中で安堵のため息をついた。彼らは人間としてどうしようもない人たちなのだと思っていたが、ようやく改心したのだ。

「どうだろうか。私たちがアトラス君に謝罪と感謝を示す機会を得るために、一つ、君の助けを借りれないだろうか」

「そこまでおっしゃるなら、もちろんです」

「よかった。では今日のご飯はそのちょっとしたお礼だ」

 アニスとしては、どんなに美味しい料理でもクラッブと一緒に食べたいとは思わなかった。しかしアトラスに謝りたいと言ってくれたことで、少しだけ印象が良くなっていた。そんな相手の申し出を断るのも気が引けたので、仕方なく付き合うことにした。

 少ししてから料理が運ばれてくる。クラッブは運ばれてくるなり、すぐに料理を食べ始めた。

「ここの料理はなかなか美味しいんだ」

 アニスもそれを見て料理に手をつける。

(確かに美味しいけど……)

 好きでもない、どころかむしろ嫌いな人との食事を心の底から楽しめるはずもない。

話題なんて何もなかったので、アニスは沈黙をごまかすために続けてもう一口料理を食べる。

 ――だが。

「……ん?」

 次の瞬間、アニスは強烈な眠気に襲われた。

 まぶたが重くなり、抗うことができない。

 意識が遠のいていく――そして意識が落ちる直前、かろうじてクラッブの方に視線をやると――彼はいつも通り邪悪な笑みを浮かべていた。


 †

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