9.バテンカイトスの輝きを見よ
ミシッ――いやな音がした。
しかしキーラは躊躇わず、フルスイングで消防斧を振るった。
それはちょうど刀を振り上げたばかりの武者に――がら空きの右脇腹に叩き込まれる。
鎧の破片が飛び散り、武者の胴体が大きく揺らいだ。
しかし左半身から触手が伸び、床を突く。
瞬時に体勢を立て直した武者は、そのまま左の小太刀をキーラめがけて鋭く突き出してきた。
キーラは、消防斧から手を離す。
そして素早く武者の左手に両手を添えると、そのまま力を込めた。
「よいっ――せっ、と――!」
常人ならまず押し潰される重量――しかしキーラはわずかに眉を寄せただけだった。
武者の体が浮き上がり、そのまま投げ飛ばされた。
ミシミシと異音が響く。胴丸の背面を突き破るようにして、濡れた触手が床へと伸びる。
そうして落下の寸前で体勢を立て直すのを見て、キーラは唇を歪めた。
「ええ……そこそこ苦労したのに」
武者はもはや動じる様子もなく、大小の刀を構えて突進してくる。
右脇にはキーラが先ほど叩き込んだ消防斧が埋もれているが、動作に鈍りはない。
キーラは後退し、嵐の如く繰り出される刃を軽やかにかわす。
そして不意に身を翻すと、武者の右脇めがけて後ろ蹴りを叩き込んだ。鈍い音ともに靴の踵が消防斧の柄を押し込み、毀れた刃を深々と押し込む。
砲弾の如き勢いの蹴りに押され、武者の体がわずかに後退した。
その隙に、キーラは素早く脇に飛んだ。
床にはさまざまな物が転がっている。椅子、死体、ごみ箱、観葉植物――。
ウォーターサーバー。それを抱え込み、キーラは振り返りざまに武者めがけて叩き込んだ。
盛大な破砕音とともに水が炸裂し、武者の腕が大きく揺れる。
キーラの狙いは、武者の刀だった。右の刀か、左の小太刀――どちらでもいい。
指先がわずかでも緩めばこちらのもの。
しかし、オートクチュールの肉体は頑強だった。武者はふらついたものの刀を取り落とすことはなく、即座に体勢を立て直してキーラに襲いかかる。
抉るように繰り出される右の突きに対し、キーラはとっさに体勢を低くした。
刀の切っ先が自販機を貫通する。ばちばちと火花を散らして、自販機の明かりが明滅した。
キーラは即座に立ち上がり、右手めがけて蹴りを繰り出――せない。
右足が動かない。見ればいつの間にか、武者の触手が足首に絡みついていた。
「なるほど」
足裏から触手を伸ばし、床に潜り込ませ、自らの隙を潰すため相手の足を縛り付ける――。
純粋に感嘆の声を漏らすキーラめがけ、武者が刀を振り下ろした。
「――キーラッ!」
背後で扉が勢いよく開け放たれた。
そして悲痛な声が響いた瞬間、キーラはカッと眼を見開いた。
自動販売機の明かりが点り、消える刹那――全神経を集中させて、【色】を視る。
【透明な青】――オーレリアの声――【水滴まみれの灰色】――濡れた床を踏む――【ゼリー質の透明】――クラゲの援護――【骨の白】【肉の赤】――肉体が軋む――恐らくは全身を使って何かを投げる音――。
鮮烈な色彩が視界に滲む。薄闇をキャンバスにして、奇怪な絵画が描かれていく。
神経が片端から焼け焦げていくような気がした。
過負荷によって白熱する感覚器官は、それでも【色】が描き出す像を捉えている。
右目から血の涙を零しつつ、キーラは唇を吊り上げた。
「――よろしい」
実に満足げな囁きと同時に、素早く背後に手を伸ばす。
瞬間、慣れた感触と重みが掌の中に収まる――部屋に置いてきたジュラルミンケースだ。
そのまま動きを止めず、キーラはケースを思い切りブン回す。
青い火花をぱっと閃かせて、ジュラルミンケースが武者の刀を弾きあげた。
武者の反撃が、一瞬遅れた。その隙を逃さず、さらにジュラルミンケースを振り下ろす。
「よいしょっ――と!」
面頬が砕け散った。小太刀を握った手で顔面を押さえ、武者がよろめくように後ずさる。
紺碧の瞳を細め、キーラはジュラルミンケースに掌を滑らせた。
それだけで、棺桶めいた黒の匣は音も無く開いた。
匣の中身にキーラが手を伸ばすのと、武者が体勢を立て直すのはほぼ同時だった。
刀を地面と水平に構え、武者が身を沈める。
曝け出された顔面には口も鼻も無く、ただ細かな眼球のみがみっしりと詰まっている。そうして人間で言えば喉に当たる部分に、いびつな口が合った。
「Na……m……Ha……Ch……!」
奇怪な吐息とともに、超速の切っ先が放たれる。
幾百もの視線の先――片足を拘束されたままの女めがけ、銀の閃光が迸った。
そして、砕けた。
どこか玲瓏とした音色とともに、薄闇に銀の破片が散る。
そんな奇妙な現象を理解できなかったのか、武者は突きを放った姿勢のまま硬直する。
ほんの数瞬のことだった。――しかし、それで十分だった。
ぶちぶちと肉を裂く音が響く。
緩んだ拘束をたやすく引きちぎり、キーラが動き出す。
威風堂々と踏み出す彼女の両手には、一振りの凶器があった。
それは、鉈に近い形をしていた。
闇から鋳造したような凶器だった。牛革とゴムを巻いた柄、角張った刃――全てが黒い。そのうえ入念に反射光を消す加工が施されている。
振るえば光すらも屠りそうな刃の根元には、【
十三代
くじら座ゼータ星の名を取り、バテンカイトスをその通称とする。
己の武器で全人類を殺すことを夢見た日本の凶器職人が、愛執の果てに生み出した傑作だ。
それが振り上げられるのを見た瞬間、オーレリアが口を覆った。
「ま、待って、まだエンチャントが――!」
あの武器には、まだ使い魔のクラゲを入れていない。
つまり傷の再生は阻害できず、憑依したヴィジターを殺すには至らない。
しかしオーレリアの言葉が終わるよりも早く、バテンカイトスは振り下ろされる。
小太刀が砕けた。兜があっけなく叩き割られた。
そうして武者の頭から腹部に掛けて、一直線に蛍光色の飛沫が上がった。
さらに一撃、二撃、三撃――漆黒の刃が武者を削ぎ落としていく。
斬られるたびに肉が盛り上がり、傷を埋める。しかし、明らかに再生の速度が遅い。
そんな光景にオーレリアは一瞬首を傾げ――そして、青ざめた。
「あ、あの武器……たくさんの人の魂がこびりついてる……」
数多の人間を殺した武器には、犠牲者の魂の残滓が染みついている。
いわゆる魔剣や妖刀とされる武器が強大な力を秘めるのも、それが原因だ。
しかし、それは持っているだけで災いをもたらし、数多の所有者を破滅へと導いた。
そのためこれらの武器はほとんど現存せず、作る者もいないとされた。
「ど、どれほどの命を奪えば……」
――あの域に達するのか。
絶句するオーレリアをよそに、キーラは意気揚々と呪いの刃を乱舞させる。
「オーレリア」
呼びながら、キーラは追い詰めた武者の切り飛ばす。
表情はない。しかし、その瞳は赤黒い闇の中でもなおぎらぎらと光っていた。
不気味な昂揚を瞳に煌めかせながら、キーラは泣き喚く武者の顔面めがけ鉄拳を叩き込む。
そうして、高々とバテンカイトスを振り上げる。
「頼むよ」
ごく短い要求だった。
しかしその囁きが求めるものを、オーレリアは瞬時に理解する。
「は、はい……!」
震えるオーレリアの声とともに、一匹のクラゲがバテンカイトスめがけ飛んでいく。
青い光芒が流星を描き――闇よりも冥い刃へと飲み込まれた。
キーラは一瞬だけ笑って、凶器を振り下ろした。
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