4.嘘つきと泣き虫
黒髪の女は軽く膝を曲げ、一礼してみせた。優雅な礼だった。しかし女の紫色の唇がずっとにやけているせいか、どうにも道化た所作にみえて仕方がない。
「ナオミ。ナオミ・ヴァレンティナ・モーア。――よくジグザグな名前だと言われるね」
「……あー、イニシャルが『N・V・M』だからか」
掌に指で文字を書きつつ、シドニーが合点がいったようにうなずく。
「そうだね。だからサインする時に適当に波線書いてもバレない。――冗談はさておき」
黒い爪の手をひらりと振り、ナオミは申し訳なさそうに笑った。
「突然割り込んで申し訳ないね。なにぶん、私は人間についていろいろと書いているものでね。君達の話にちょっとした好奇心をそそられて、つい、ねェ……」
「……それで、貴女は何者?」
「……おや、【色】を視ているのかね? ちょうどいいね」
淡々とたずねるキーラに対して、ナオミはどこか挑発的に微笑んだ。
そして彼女は、芝居がかった仕草で自分の胸に手を当てる。
「――二十九才。DC生まれ。誕生日は六月五日。外科医、ソムリエ、建築技師、臨床心理士ほか、いろいろとできるね。……ま、本業はしょうもない字書きだがね。趣味は執筆に、ヴァイオリンの演奏に、コーヒーの焙煎――まっ、こんなところかねェ」
流れるように滑らかな口調で自らの経歴を語り終えると、ナオミは首を傾げた。
黒い瞳が、探るような光を湛えてキーラを映す。
「――さて、今の言葉に嘘はあったかね?」
がちっ。奥歯を軽く鳴らすと、キーラは目を細めた。
「……本業は詐欺師だったりする?」
「ヒヒヒッ、よく言われるねェ」――顔に似合わず下卑た声でナオミは笑った。
「それで? 今の言葉に、嘘はあったのかね?」
「……どうだか」
キーラは肩をすくめると、すっかりぬるくなったコーヒーに口を付ける。
「貴女の【色】は、日常的に嘘を吐いている人間の【色】だ」
ナオミの声から感じた【色】は、【黒】だった。
彼女の髪と同じ、濡れたような【漆黒】――それには、嘘吐き特有の揺らぎがあった。
揺らぎによって【色】は流動し、本質を捉えることを困難にしている。
「こんな【色】をしているのは詐欺師か、あるいは……」
「嘘と本当の区別が付かなくなった人間――といったところかね?」
「わかっているじゃないか、ジグザグ先生」
淡々とキーラが首肯すると、ナオミはまたヒヒッと笑った。
その時、か細いソプラノの声が聞こえた。
「あ、の……」
「ン? ああ……すまなかったね、オーレリア。すっかり置き去りにしてしまって」
ナオミが振り返り、申し訳なさそうに眉を下げる。
その視線の先――柱の陰に隠れるように立つ女の姿に、キーラは目を見開いた。
かなり若い。二十歳になっているか、いないか。
柔らかそうなダークブラウンの髪を編み、まとめ髪にしている。
美しい顔立ちだった。月長石のブローチと、レースをたっぷりと使った黒のワンピースも相まって、まるで人形のような印象を見る者に与えた。
しかし、どういうわけかまるで葬式の直後のような表情をしている。
目元には薄く隈が浮かび、アイスブルーの瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいた。
「君、さっきの……」
間違いなく、三階の窓からキーラ達を見つめていた女だった。
キーラの言葉にオーレリアは一瞬だけ彼女を見たものの、すぐに視線を下ろしてしまった。
「……お連れさん、ですかな?」
「ン? ああ、そうだね」
控えめにたずねるロバートの言葉に、ナオミは曖昧にうなずいた。
「オーレリア・ティアフォードだ。親戚の子でね。私の助手をしてもらっているんだよね」
【赤】――キーラは、表情を動かさなかった。
ナオミの【色】は、すでに元のゆらゆらと揺れる【黒】に戻っている。
しかし今――一瞬にも満たないほどの刹那、彼女の【黒】い環に【赤】が差した。
今の言葉のどこかで、ナオミが嘘を吐いたのだ。
「……顔色が良くないよ。具合が悪いの?」
しかしそのことには触れず、キーラは涼しい顔でオーレリアにたずねる。
オーレリアはまた一瞬だけキーラを見たが、すぐ逃げるように地面へと視線を落とした。
「ナオミ先生……人、増えたから……わ、わたし、部屋に戻ります……」
消え入りそうな声で言うオーレリアの肩に、ナオミはそっと手を載せた。
「そうかね。まぁ、仕方がないことだね。じゃあ、一緒に部屋に――」
「あ、だ、大丈夫……です……わたし、一人で戻ります……」
「一人で? いや、しかし、君は――」
「せ、先生……お話中、ですから……だから、あの、邪魔して、ごめんなさい……」
オーレリアはじりじりと後退し――ばっと背中を向けた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! お話の邪魔をして、本当にごめんなさい――ッ!」
「あっ、オーレリア! 待ちたまえ!」
泣き声とともに何故か玄関から飛びだしていったオーレリアを、慌ててナオミが追いかける。
ばたばたと去って行く二人を眺め、シドニーがドーナツをかじった。
「――なんだったんだろうね、あれ」
「さぁ。少なくとも、ナオミとビジネスをするのはやめた方がいいことは確かね」
ページをめくりながら、レティシアが唇を歪める。
「ふーん。そっか。――そういやロバートさん、さっきハンティングが趣味と聞きましたが」
「あ……ああ! そうです、特に鳥撃ちが好きでね――!」
さらりとシドニーが話を向けると、ロバートは一気に笑顔になってうなずいた。
玄関を見つめたまま、キーラはコーヒーに口を付ける。
脳裏にちらつくのは、今にも泣き出しそうだったオーレリアの顔だった。
「……あの子、描きたいな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます