東の果ての旅

 絨毯に魔力を通して、はるか遠く東の国へ。


 山を越えて、海を越えて、川を越えて、それを10か20か繰り返して、およそ丸一日。


 途中、翡翠の魔女の抜け道を通ったから、本来の行程よりは大分、早く着くことができたけど。


 あいつ、私が抜け道を使おうもんなら、世界樹の苗木が欲しいみたいなぼったくりな要求してくるくせに、アリアが頼み込んだら顔パスで通しやがった。他の魔女もそうだけど、みんな、アリアに甘くないかなあ。いや私も人のこと言えないけどさ。


 なんて愚痴も程々に、やってきたのは地球の裏側も近い、海に浮かぶ小さな島国。


 海の潮騒と、山から響く虫の音が特徴的な、そんな国だ。えらく暑いのはここの季節が夏だからか。


 名前は、なんていう国だったかな、わ、だったか、ひのもとだったか、すっかり忘れてしまったけれど。


 それからは、アリアに言われるまま小さな村に降り立って、翻訳の薬を飲んで聞き込みを始める。


 村人たちは最初は、異様な風体の私達に怯えていたけれど、アリアが笑うとやがて心を許して話をしてくれるようになった。相変わらず人たらしだこと。


 私はそんな彼女の後ろで、スリとかがいないかと、ちょっとだけ警戒しながらぼんやりと話を聞いていた。


 話を終えたアリアは再び私と一緒に絨毯に乗って、次の地へ。


 「で、今回は何を探してるの?」


 私がそう問うとアリアはちょっといたずら気ににやりと笑った。どうやら、いつのまにか機嫌は治っていたみたいだ。


 「この国のシスターさんです。なんでも人魚の肉をお食べになったそうで、それで


 「……そっか」


 今回のお目当ては、そのシスターさんなわけだ。


 「見つけたら、どうするの?」


 「それはもちろん、人魚の在処をお聞きするんです。それで


 アリアはそう言って、いつも通りの答えを返した。


 そう、それがこの子の願い。


 アリアは不老不死になりたがってる。


 老いないまま、死なないまま、100年も200年も時を過ごす。そんな生き物に。


 一度、ろくなことがないから止めとけって言ったら、一か月も続く大喧嘩になってしまったっけ。


 結局、私が根負けして彼女の不老不死探索を手伝うことになったのだけど。



 まあ、心配せずとも、



 不老不死の生き物は数いれど、それを他人に分け与えるような術はありはしない。


 私を含めた西方の6人の魔女も、東方の三賢者も、万年生きる南の精霊達も、北方の吸血鬼も、そんな術、知りもしなかった。


 ……知っていれば、彼女たちも同族ばかりで固まってはいないだろう。もっと、大所帯で村でも作って暮らしているはずだ。


 だから、そんなもの、きっとこの世のどこにもありはしないのだ。


 だというのに。


 「魔女様、行きましょ! もっと東に行ったみたいです! 『やおびくに』さんって言うらしいですよ!」


 アリアは酷く楽しそうに私に催促をする、そんな彼女に絆されて、魔力を通した絨毯がふわっと浮き上がり小さな島国の空へと舞い上がる。



 そうして旅路は続いてく。


 「魔女様、川ですよ! すっごい水が綺麗、ちょっと水筒に詰めていきましょう!」


 「魔女様、お魚が取れました! 美味しそうですよ、火を出して食べましょう!」


 「魔女様、虫です! ぷんぷんうるさいうえに、嚙んできます! ぎゃー!! 吸血鬼かお前ら!?」


 「……うう、でも、かゆみ止めの軟膏、持ってきてよかった。魔女様も要ります? え? 全部燃やしたから要らない? 私も守ってくださいよ…」


 「というか、この国、蒸し暑くないですかぁ……? 温度が高くないのに息苦しいと言うか……湿気ですかね」


 「あ、魔女様、村で貰ったご飯、要ります? この地域の主食はお米みたいですね、ところで、一緒にもらったこのねばっとした豆はなんなんでしょう……?」


 「魔女様、すごい鼻の長い羽根の生えた人間いましたよ! この国の精霊ですかね?」


 「てんぐ……というんですか、ところで『やおびくに』さんってかたご存じです? あと、ついでに不老不死……あ、知らない。そうですか」


 「てんぐさんと魔女様、どっちの魔法が凄いんですかね……あ、やっぱ今のなしで。やめて、腕まくりしないで魔女様、てんぐさんもやる気出さないで」


 「はー……酷い目に遭いました。あの後、近所の村に寄ったら噂になってましたよ。空で火の龍と天狗様が争ってたって、あれ、あのままあそこの伝説になったんじゃないですか……?」


 「てんぐさんがくれたお団子、美味しいですよ? 魔女様、食べないんですか? え、頭痛い? あ、昨日のてんぐさんとの酒盛りが効いてます? 飲酒飛行はまずいですよ魔女様、水蓮の魔女さんに見つかったらめっちゃ怒られますよ」


 「朝日が綺麗ですよ、魔女様。そういえば、日が昇る国っていうらしいですよ、ここ。世界で一番、東にあるからですって。えへへ、世界の果てですね、つまり、なんかかんどーですね!」


 「魔女様、水浴びしてたら襲ってきた熊を捕まえました。あとなんか、おかっぱのがきんちょも一緒なんですけど、なんでしょこの子。斧なんて持って危ないぞー……なんで魔女様の方が怒ってるんですか? え、私の裸を見たから? がきんちょ相手ですよ……」


 「がきんちょ、『やおびくに』って知ってる? え、時々、会いに来る? この前来た? どこ?! どこ行ったの?! 魔女様、急ぎましょ!!」


 「あ、あの人じゃないですか? 『やおびくに』さん、やったー!! 見つけた! 会いたかったんです!! 実はですねーーーー」





 「え……?」





 とある小さな山道でその女は歩いていた。


 乾燥した草を織り込んだ帽子をつけて、麻でできた質素な服を着た、見栄えの整った黒髪の女だった。


 肌に傷一つない不自然なほどの美しさは、誰に説明されずとも彼女が超常の存在だと雄弁に物語っている。


 「人魚を食べたら不老不死になれるんじゃないんですか?」


 そうアリアが問うても、彼女はゆっくりと首を横に振るだけだった。


 「人魚の肉はね、食べても不老不死になんてなれないの。ただ、触れた他人の命を吸い取るようになる。そして、その分、生き延びれるだけ。不老不死なんて都合のいい物じゃないの。そもそも、その人魚すらもう残っているかもわからないけど」


 「そう……ですか」


 そう返事をすると、アリアは項垂れた。やおびくにの流れるような黒髪の前で、彼女の茶色が撫でる様に下に落ちる。


 案の定と言ってしまえば、アリアに悪いけど。


 数日かけた旅の末に探し当てた不老不死のヒントは、今回もあっけなく空振りに終わった。


 「もちろん、誰かを犠牲にし続ければ、生きていくことができるわ。


 私みたいに。


 別に誰でもいいの、襲ってきた山賊でも。村が焼けて死にかけの子どもでも、愛した人でも、誰でも」


 「……吸われた人はどうなるんですか?」


 「……死んでしまうわ、だから私は生まれた村にはいられなかった」


 在り方としては吸血鬼のそれに近い。もちろん、何かを犠牲にするという点では、別に普通に生きている分にも違いは別にないのだけど、ただそれが、人か、そうでないかの違いだけ。


 「私の肉を食べれば、もしかしたら、同じ力が宿るかもしれないけれど……食べる?」


 女は懐から小刀を出すと、躊躇いもなく自分の腕に食い込ませた。


 ただ、アリアは迷わず首を横に振った。


 「魔女様の命を吸っちゃったら意味ない…です」


 そう言った後、手のひらはきつく結ばれて、口は何かを告げようと何度か蠢いた後、やがて何も言えないまま閉じられた。


 女は黙ってうなずくと、頑張ってねとアリアに告げた後、後ろで見ていた私にどこか慈しむように軽く笑いかけてきた。


 去り際に、私は『やおびくに』をちらっと見た。


 実は純粋に興味で、問うてみたいことがあった。


 きっと、アリアも問おうとしたこと。もちろん、そこに想う気持ちは違ったのだろうけど。


 一体、彼女はこれまで何人の命を犠牲にしてきたのか。


 そして、何のために生きているのか。


 それを、問うてみたかった。


 でも。


 泣きかけのうちの娘を放っておくことはできない。


 それに、あの子が問わなかった問いを、私が問う意味もないだろう。正直、そこまで興味はないのだし。


 だから問わないままに、私は踵を返した。


 『やおびくに』と呼ばれた女は、優しくもどことなく悲しそうな顔で、絨毯で空を飛ぶ私達に手を振っていた。




 「……人魚、探してみる?」


 「……いえ、いいです」


 一度、近くの川に降り立ってそう聞いてみたけど、そう言ったアリアは首を振って、しばらく膝を抱えていた。


 私はその隣で、そっと肩だけ寄せて目を閉じた。


 岩と木々に囲まれた清流の傍で、何も言わず水の音だけを聞いてすごしてた。


 ちゃぽちゃぽと優しく撫でる様に、ごぼごぼと荒々しく沸き立つみたいに、川の水は流れてく。


 小さな島国の川は綺麗で、激しく、でもどことなく心を落ち着かせるものがあった。


 アリアは時々、震えながらじっと感情の波が通り過ぎるのを待っていた。


 30分くらい、そうしてぼーっとした後、アリアはふっと立ち上がると、川に顔を浸して涙の跡を洗い去った。


 「よし、復活です!! 買い食いでもして帰りましょ! 魔女様!」


 そう言って、彼女は吹っ切れたように笑ってた。相変わらず、元気な子なのだ。私の養女なんかにしとくには、もったいないくらいには。


 それから私たちは絨毯をつかってひとっ飛び、旅芸人に扮して小銭を稼いだら、近くのお茶屋で名前も知らぬご飯を食べる。


 にがーいお茶に、いい匂いの汁に浸った麺のようなもの。お米に、漬物。


 出会う人たちは私やアリアの髪に驚いたけど、こっちが笑って芸をしてたら、みんな最後は笑ってくれた。


 食べて、歩いて、また芸をして。


 漁師と一緒に魚を釣って、また知らぬ川で緑の妖精と会って、変な建物だと思ったら神殿で、かんかんの衛兵に追い回されたりした。


 最後の夜に、その国で一番高い山に登ったんだ。


 夏だけど頂上少し雪が積もってて、国中が遠くまで見渡せそうな山だ。


 暗闇の中、視界の下にまばらにみえる雲があって、どことなく異界のような感覚さえ思わせる。


 しかもどうやら活火山みたいで、辺りにはどことなく噴火の跡が残ってた。この調子だと、あと千年くらいは落ち着きなく噴火しそうだ。まあ、気の長い話だけれどもさ。


 その頃には、私も石か何かに姿を変えているのだろうか。


 そんなことを考えていたら、アリアにぽんぽんと肩を叩かれた。


 「魔女様、見てください!!」


 私は声に促されるままに、視線をそちらに向けた。


 それは丁度、夜明けの頃だった。


 山の向こう。


 雲の向こう。


 海の向こう。


 その先からぼんやりと。


 昏い蒼めいた空の向こうから、暁けの光が昇ってくる。


 吐く息が少し冷たくて、頬を撫でる風が流れるままに体温を奪っていく。


 隣を見ると、彼女は魅入るようにその朝焼けを眺めていた。


 本当に、本当に楽しそうに。


 まだ暗い中、少しずつ光が彼女の頬を照らしてく。


 山から吹く風に誘われて後ろを見ると、ゆっくりと私たちの影が伸びていた。


 それからアリアは夜明けの中、口ずさむように歌を歌った。


 この子がいつも唄う、歌。


 いつか私が唄った、歌。


 子どもに聞かせる、子守歌。


 どこかの誰かの想い出の、歌。


 高い音色が、彼女の声に誘われて響いてる。


 私は彼女の肩にぽんと頭を預けると、それを黙って聴いていた。


 風の音がする、声の音がする。


 遠く、遠く、旅の先。


 はるか、どこか、東の果て。


 その頂にそっと昇って、アリアの歌を、一人、私は聴いていた。

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