第六話 放課後の占い師

 それから数日。

 八津坂みどりは学校に出てこなかった。


 いつも彼女と仲のいい二人、赤那谷あかなや夢美ゆみ瀧川たつかわ思凜ことりも理由は知らないらしい。

 周囲から何かにつけ「ミドリどしたの?」と聞かれるたびに困り顔で「聞いてないんだよねえ」と返事している。

 もちろん、何を気にする風でもなく相変わらず窓の外をぼうっと見ているあおい自身も、特に連絡は受けていない。


 ナベさん曰く港で捕まった父親は開き直って債務整理を言い出したらしい——そんな気があるならさっさと切り出せばいいものの、馬鹿馬鹿しくも最後の手段に取っておいたらしいのだ——が、高々100万で何言ってやがる、法定金利で治めてやるからきっちり払えと逆に金貸しの親父に諭されて、結局借金はそのままだそうだ。

 碧が追えた情報はそこまでで、家族間でどんな話に落ち着いたかまでは知らないし、興味もない。

 なくはないのだが、興味を持ってはいけない。

 占い師の鉄則だ。

 どこまでで〝一件〟と自ら示して終わらせないと延々と巻き込まれてしまうのは、どんな鑑定でも一緒なのだ。


 八津坂の件は、終わったのだ。窓の外に碧が目をやる。

 今日もいい天気で、今日も彼女はこない。



 結局彼女が顔を出したのは週明けの月曜だ。

「えっ?」「うおっ?」「きゃあ」

 クラスメイトが一斉に注目して、あちこちから驚きの声があがる。


 八津坂みどりはトレードマークのポニテをばっさりと切っていた。首元まで垂らしたミディアムのストレートに髪型を変えた彼女が照れ顔であちこちに「おっはよお」と挨拶する。

 子犬のようにぱたぱた近づいてきたのは例の二人で、早速。

「どしたのっ。かわいいっ。ミドリかわいいーーー」

「既読にもなんねーしっ。大丈夫だった?」

 ひたすら両手を小さく握ってふんふん鼻息を荒くする夢美ゆみとは対照に思凜ことりは心配顔だ。明るく笑って八津坂が返事をする。

「ちょっと家のことでねー。連絡は入れてあるんだ」

「そなの? だったらいいけどさ」

 ぐいぐいくる夢美を手で押さえながら、ちらと。

 後ろの席に目をやる。

 彼は相変わらず頬杖をついて外を見ていた。

 でも一瞬だけ。目が合ったような気がするのだ。



 ひとしきり級友たちからの洗礼を受けて賑やかにしていた八津坂の周りが落ち着いたのは三時限目の休み時間で。

 やっと、いつもの格好で。彼女が椅子に立て膝で。

 またスマホを弄り出した。

 碧が息をつく。特に心配はなさそうで——

 その時。

 唐突に八津坂がすっと席を立って。一つ下がって。椅子に座る。

 同じ格好だ。窓のサッシにもたれたまま立て膝で横顔を向けたまま。

 突然の行動に目を丸くするのは碧と、そしてまた、近くで数人と駄弁っていた海江田だ。

 そこは彼の席なのだ。

「あ、あの? 八津坂?」

「ちょっと席、貸してねっ」「う、うん」

 また周囲の男子が耳打ちする。

(なんだよお前ミドリちゃんに何したんだよ)

(いやオレ関係なくね?)


 何も言い出さない目の前の八津坂を、碧はただ横目で見ている。

 やっと。

「——今ね」「うん」

「調停中。今回はお母さん殴られてるから百パー通るんだって」

「ああ。一緒には住まないんだ」

「もう無理だって」「そうか」

 お互いに目も合わさない、顔も向けないまま。

「……髪、切ったんだね」

「うん。似合う?」

「似合うよ」「うわキショっ」

 は? と初めて睨む碧に。

 スマホで口を隠した八津坂が嬉しそうに笑っている。

 こいつばかやろう。ずるいほど可愛い。

 またすぐ窓に目を向け不貞腐れる碧にかまわず、八津坂が続ける。

「バイトしよおかなーって。スマホ代くらい自分で稼がなきゃ」

「いいことだね」「でしょ?」

「変なビデオとか出ないようにね」

「キショい」「語彙が少ない」


 こっこっ。と。碧が机の上でかすかに指を鳴らす。

「あ。そういえば見料けんりょうまだだった」

「え? けんりょうって?」

「鑑定料金もらってないって」

「ええ? お金とるの?」

「ちゃんとカードを見ただろ? あたりまえじゃん。働くってそういうことだよ?」


 窓を見るあおいと、スマホを見るみどりが。

 それでもときおりすれ違った視線を互い違いに向けながら小声で話す。

 窓のカーテンが揺れる。

 今は彼女がじっと見て。そして言うのだ。

「じゃあ。あたしもけんりょう。取ろうかな」

「は? なんの?」

「だってあおいくん、いっつもあたし見てるじゃん」


 頬杖が固まって。じわあっと首をまともに向けた碧の顔が真っ赤だ。

「……はあ?」

 スマホの向こうから上目でこっちを伺う、彼女の頰も赤い。

「いっつも私のこと、チラ見してるじゃん」

「いやちょっと」

「見てるしっ。知ってるしっ。耳とか」

「みッ!……」


——ばれっばれじゃんね。相手の子、じーっと見ちゃってるんじゃないのお?——


 そうだ。こいつのカード女教皇だっ。


「首とか。耳とか。熱い視線を感じるし」

「いやちょっとまって詳しく言わないでおねがい」

 頬杖が崩れて碧が顔を両腕で包めて縮んで。

「じゃあ認める?」

「……まあ、うん」

 また口を隠した八津坂が笑う。

「認めたー。キッショ。変態。きもいー」

 どんだけ語彙が少ないんだこいつ。でも。


 あれ?

 あの頃。あの中学の時。

 あれだけ周りから言われて耳を塞いだ言葉が。

 こいつに言われると、そんな辛くない。


 Mなのか俺? とか。

 どうでもいいことを考える碧を余所に。

 八津坂がまた男子に声をかける。

「海江田くんっ」「あ、あ。なにっ?」

「あたし最近目が悪いんだ」「そなの?」

「席かわってよ」

「後ろなんですけどッ!?」

「いいじゃん。ここが見やすいのっ。いいよねっ」


 離れた場所で見ていた女子二人も。

 そして。当の碧も。

 もうぽかんと口を半開きにして。


 なんでそんな髪揺らしてくすくす笑ってるんだちくしょお。

 立て膝で窓に寄りかかったままのミドリに呆れて。

 言葉も出ない。こいつの気持ちがわからない。


 放課後は占い師をしてるくせに。




         ——鑑定1 逃亡者は星を仰ぐ 了——


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