第35話 休養期間

 体が重い。それはまるで、おくるみに包まれている赤ちゃんのような感覚だった。見知らぬ天井と、天蓋てんがい付きのベッド。もしかして死んじゃったのかな、と私は思った。


 確か、お茶を飲んでいて、気分が悪くなったんだっけ?


 のっそり体を起こして、レティセラはあたりを見回した。ぼやっとしていた視界がはっきりして、ここが天国じゃないことを確認する。


 お屋敷は、限られたところしか入ったことがないけど、扉のつくりは、本館と、使用人たちが住む別館とは違う。

 あの扉は、本館のだ。


「私……また」


 何か、しでかしてしまったんだろうな。


 はぁ、とため息をついた。


 とにかく誰かを呼ぼう、とベッドから出て立ち上がる。


「きゃぁっ!」


 ベタンッ!


 数歩進んだところで、足に力が入らず、床に倒れこんだ。


「……い、たぁ」


 その音で気づいたのか、早足で向かってくる音が近づいてくる。それは、扉の前で立ち止まることもせず、勢いよく部屋の中に入ってきた。


「レティセラ!! よかった。目が覚めたのね!」

「ロザリーさん……」


 助け起こしてもらいながら、ホッとして涙ぐむ。すると、ロザリーさんは抱きしめて、背中をトントンと、優しく叩いてくれる。


「ここは安全だから大丈夫よ」


 お母さんみたい。あ、でも。そんなこと言ったら怒られちゃうから、お姉さんかな。


「私、お茶を飲んでたところまでしか覚えてなくて」

「あなたの飲んだアレは、猛毒だったのよ」

「毒!?」


 どうりでおかしくなる訳だ。


「あの花、可愛かったのに」

「可愛いって……死ぬところだったのよ?」


 と言ってロザリーさんは、私の命が狙われた事を説明してくれた。カップの模様……銀は毒に触れると黒くなる、だなんて誰でも知っているものなのに。

 少しおかしいな、だけで済ませてしまったのは、わたしの落ち度だ。


「あの、レンヴラント様は……怒ってますか?」

「怒ってるわよぉ」


 と、私の鼻をロザリーは突いてにんまりした。


 ……デスヨネ。

 顔を見るのが怖い。どうしていつもこうなっちゃうんだろう。これは、仕事で挽回しないと。


 レティセラはロザリーに縋るよう、両腕を掴んだ。


「あの、私。動けるようになったらもっと頑張ります」

「それなんだけど。あなたはしばらく仕事をさせられないの」


 ロザリーさんが首を振った。


「そんな! どうしてですか?」


 私にはそれしかできないのに。


「それについては、レンヴラント様が、直接お話になるらしいわ」

「レンヴラント様は、いつ頃いらっしゃるのですか?」


「それもちょっと……あなたが意識を失っていた間に、国で大きな事件が起こったのよ。ここへもしばらく戻ってらっしゃらないから、お会いできるか分からないの。今は、ここで、大人しく待つしかないわ」


 これは、いよいよ雲行きが怪しそう。


 私には突破とっぴした能力もなければ、ここに置いておきたくなるほど、美人なわけでもない。

 しかも使用人としては不慣れで。そんな私が、今までやってこれたのは、レンヴラント様や、他のみんなが親切にしてくれたからだ。


 毒を盛った人は思ったんだろう。なんで私みたいなのがって。頑張っていたその裏腹には、そういう思いがあって、ずっと消えなかった。


 だから、頑張りたい、という気持ちもあったけど、今は気力や、体がついていかない。クビを言い渡されるのか、他のことか、それは分からないけど。


 どちらにせよ、今は、いざという時の為に動けるよう休んでいるしかなかった。




 寝て食べての繰り返しで、1日2日が経ってもレンヴラント様は帰ってこなかった。3日目になると、怠さも取れて、ずいぶん動けるようになっていた。


 その間に、アルバート様も、見舞いに来てくれて、家からの手紙を渡してくれる。


「まだ、顔色は良くないですが、経過は悪くなさそうですね」

「皆さんのおかげです。ですが、何もしないでいるのがとても落ち着かなくて」

「確かに。この部屋には何もありませんから、飽きますよね」


 彼は部屋を見まわす。


 そうなんだよね。見るものでもあればよかったんだけど。

 そういえば、と私は天井を見あげ、執務室の本棚を思い出した。


「このフロアには結界が貼られているってロザリーさんから聞きましたが、そうなのですか?」


「えぇ、その通りですよ。ここのフロアには、今、限られた人間しか入れないようになっています」


「それなら、執務室に行って、本を見てきてはダメでしょうか?」


「まぁ、それならよろしいかと」

「ありがとうございます!」


 レティセラは勢いよく頭を下げた。


 働かない、というのが、役に立ってないようで辛い。執務室に行くことができれば、自分にやれることがあるかもしれない、と少し気が楽になった。


 だけど、結局その日は執務室にはいかなかった。それは、もらった手紙を見て、とても本を読んでいる場合じゃなくなったからだった。

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