第18話 恋と不審と会社員 2
「おはようございます。また、お会いしましたね」
いつもの交差点。
「先ほどは、どうも、ありがとうございました」
おすそ分け頂いた肉ジャガの お礼を云いつつ、お鍋をどうすれば良いか尋ねる小鳥遊クン。
それに対して会社員は、とても幸せそうな笑顔で、「今度、取りに行きますから、どうぞ そのままで」と返す。
二人の間に漂う、ほんわかとした雰囲気。
その側で、一人しょっぱい顔をするエンリ。
そんなエンリにはトンと気付かず、二人は「これを機会に」と、
「おっと、もうこんな時間だ」
気が付くと、出勤時間が迫っていた。
幾ら職場が近いとは云え、これ以上の遅延はマズイ。
イケメン会社員の巧みな話術に乗せられて、ついつい井戸端会議に花を咲かせてしまった小鳥遊クンは、足元で暇そうに落書きをしていたエンリを小脇に抱えると、慌ててその場を後にする。
「それじゃ、お仕事頑張って下さいね」
そう云って、その場から走り去る小鳥遊クン。
小脇に抱えられたエンリからは、何やら「のぉお! 制御式が まだなのじゃ~」と云う不穏な台詞が零れていた。
イケメン会社員も、小鳥遊クンを姿が見えなくなるまで見送った後、自ら通勤の途に就く。
「よーし! よし! よーし!」
会社員は、とても軽やかな足取りで歩を進める。
先程から、ニヤニヤが止まらない。
それだけ、今朝の収穫は大きいモノだったのだ。
彼は、大きくガッツポーズをとり、指折り今日の成果を確認する。
まず、かの人の自宅を完全に特定できた。
そして、玄関先と靴箱に、女物の靴が一切おいていなかった事を確認できた。
さらには、自分の手料理を食べて貰えた。
極めつけに、世間話をする仲にまで進展できた。
パーフェクトである。マーベラスである。
これらの成果は、彼が今回犯した
それこそ、彼が支払った多額の依頼料が、微々たるモノに思えるほどに……
◇◆◇
「お……遅くなり……ました」
小鳥遊クンは その日、出勤予定時刻を大幅に超過して、職場へと辿り着いた。
煤けた背中から漂う、そこはかとない哀愁。朝の元気な姿は、今や微塵も感じられなくなっていた。
「小鳥遊クン。ちょっと」
疲れた顔をして出勤した小鳥遊クンを待ち構えていたのは、渋い顔をした部長だった。
「どうした? 随分と疲弊している様だが……」
「すいません、部長。実は、先程まで巨大な蜘蛛と格闘してまして……」
呼び止めた小鳥遊クンから、開口一番に飛び出したトンデモ話に、部長は「はぁぁ!?」と、目を引ん剝かんばかりに驚く。
良く見れば、比喩表現でない、本当の意味で煤けた小鳥遊クンの体のあちこちには、蜘蛛の糸と思われる透明な繊維が絡まっていた。
『これは例の養女が絡んでいる案件で間違いなさそうだ』と直感するゴリマッチョ部長。
しかし、予測がつかん。何があった!?
「う……うむ、まぁ良い。必要なら後でレポートを上げてくれ」
正直、「気にならないか?」と云えば嘘になる。
だが、不用意に藪を突くのも、出来れば今は遠慮したい心境だった。
まだ、昨夜の暴走族の一件が片付いていないのだ。
これ以上、精神的な負担を強いられたくない。
「ところで、つかぬ事を尋ねるが、ここ最近、小鳥遊クンの周辺で、不審な人物を見かけなかったか?」
ゴリマッチョ部長は、
「不審人物ですか?」
深刻そうな顔つきの部長の問い掛けに、小鳥遊クンは慎重に記憶を掘り起こす。
しかし、『ここ最近』と『不審な』に該当するような人物には、トンと心当たりが無い。
すまなそうに首を横に振る小鳥遊クンに対し、「そうか……」と残念そうな顔をする部長。
念の為に、部長権限で閲覧できる監視班からの報告書にも、一通り目は通してはいるのだが、不審人物に関する記述は見当たらなかった。
だが……
ペラリと、今朝届いた供述調書を
『おっさんの住所を突き止めれば、金をくれるって云われたんっすよ』
『……いや、火を付けろとは云われてないっす。あれはコッチで勝手に盛り上がっちまって……』
『頼んできた相手は、鼻の頭にド派手な緑の絆創膏を貼った男っす。顔は……あれ? 良く思い出せないなぁ……とにかく、緑の絆創膏の男っすよ』
昨日の昼過ぎ。
スーパーの駐車場から二人が去った後。
リーダー格の青年が逃亡し、白けムード漂う暴走族の一団に接触して、小鳥遊クンとエンリを<<尾行するよう依頼した男>>がいる。
それだけじゃない。
拘束された青年らの証言には、看過できないモノが混じっていた。
それは<<緑の絆創膏の男>>と云うフレーズ。
この、<<顔の目立つ位置に派手な絆創膏を貼って、第三者と接触する手法>>は、アジア系諜報組織が良く使う捜査攪乱手法なのだ。
どう云う事か?
人間と云う
大きな
あまりに目立つ特徴が顔の中心にあれば、そこにばかり意識が集中して、それ以外の記憶は曖昧になる。
アジア系の諜報組織は、この心理的性質を巧みに利用して、工作活動を行う際に、ど派手な絆創膏を顔の真ん中に貼って行動する。
そして、事を成した後には、彼らは絆創膏を剥がして、人込みに紛れて姿をくらますのだ。
これをやられると、後で目撃証言を得ようにも、「派手な絆創膏を貼った人」以上の証言が得られない。
公安や内調、情報保全隊の人間で、この手法に煮え湯を飲まされた輩は多い。
ゴリマッチョ部長も、防衛庁時代に潜入した、とあるカルト教団で、同様の手法で教祖を取り逃した苦い経験があった。
もっとも、その時に使われたのは、緑の絆創膏ではなく、額に大きく貼られたタトゥーシールだったが……
「嫌な記憶を思い出しちまったぜ!」
ゴリマッチョ部長は、そう呟くと手に持っていた供述調書を乱雑に机の上に放り投げた。
部長の脳裏に浮かぶのは、今でも憎たらしい あの教祖の顔。
教団のシンボルでもあった、目立つ額の刺青が、よもやタトゥーシールだったなんて、いったい誰が想像するだろうか。
追い詰られた教祖が、額の
さらには、同じタトゥーシールを貼った偽教祖を、周辺に大量にバラ撒かれ、投入した部隊が右往左往している隙に、本物の教祖には、まんまと逃走を赦してしまう。
思えば、あの
「警戒は強めておくべきか……」
部長は そう呟くと、受話器を片手に、
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