第16話 後顧の憂いを断とう 4

ジリリリリリ

目覚まし時計の音に起こされて、エンリは目を覚ます。

台所からは朝食を支度する小気味良い音とこうばしい香りが漂って来ていた。


「おはよーなのじゃ」

「おはよう。エンリ」

朝の挨拶を交わしつつ、食卓に着くエンリ。

テレビでは、朝の定番となった国営放送のニュース番組を映していた。


『今日の深夜頃、バイク同士の多重衝突事故があり……』

『事故当時、バイクは時速60キロ程度で走行していたものと見られ……』


『放火未遂の現行犯で、男が二人ふたりが逮捕されました。住所不定、無職の……』

『調べによると、男は錯乱した様子で……、警察では精神鑑定の……』


最近は物騒な事件ばかりが起こる。

もっと明るい話題は無いモノかと、小鳥遊クンは眉を顰めた。


「お待たせ。朝食にしよう」

「待ってたのじゃ」

エンリがフォークとナイフを手に「飯じゃー」と喜びの声を上げる。


今日の献立はフレンチトースト。

小鳥遊クン特製のフレンチトーストは手間暇かけている分、極上の味を醸し出す。


なにせ、昨日の夜から溶き卵と牛乳に、ヒタヒタになるまで漬け込んだ厚切りパンは、その厚みが倍近くまで膨れ上がり、芯の芯までトロットロの触感となっている。


甘さは控えめで、食べる者の好みによって調整できる様にしており、エンリは これにメイプルシロップをたっぷりと掛けて食べるのを至上としていた。


表面にナイフを入れると、サックと云う音が響く。

この、フレンチトーストの表面をサックリと仕上げる技術を、小鳥遊クンは秘伝と云って教えてくれない。


切り分けたフレンチトーストを、エンリは溢れ出る唾を飲み込みながら、フォークで刺して口へと運ぶ。


「ん~~~~!!」

手足をバタつかせて、フレンチトーストの美味しさ表現する。

この、舌が感じる至福の瞬間を、言葉だけで表現できようはずもない。


口に入れた瞬間のサックリ感。噛みしめた時のトロトロ感は、暴力的なまでの旨味となって脳内へ伝わる。


夢中で頬張るエンリの顔を幸せそうに眺めつつ、小鳥遊クンは微笑んだ。


「時に小鳥遊クン!」

そんな微笑ましい朝食中、エンリは唐突に声を上げた。


「交通事故とは、どれくらいの衝撃なのじゃ?」

ニュースを見て疑問に思ったのだろう。

エンリの好奇心は、今日もすこぶる旺盛だ。


「そうだね。時速60キロなら……アパートの5階から墜落するくらいの衝撃かな?」

「ふむ。運動エネルギーと云うヤツを、位置エネルギーと云うモノに置き換えて、高さを求めたのじゃな! 例えとしても解り易い。なるほどのぅ」


年齢に不相応な言葉をエンリは良く知っている。

どこでそんな知識を得るのかと、小鳥遊クンはしきりに感心する。


しかし、そんな小鳥遊クンは未だに気づいていない。

エンリの疑問に子細かつ瞬時に答えられる<<自己の異常性>>については。


だが、それは仕方の無い事なのかも知れない。

この異常なまでの博識ぶりは、エンリの疑問に答える時に対してのみ、適用されているのだから……


『続いてのニュースは、6年ぶりに制裁が一部緩和され、我が国に入港する事となった貨客船……』

ピンポーン


テレビの音を遮る様に、不意に玄関のチャイムが鳴る。

昨日の出来事が記憶に新しい小鳥遊クンは、ビクッと体を強張らせた。


「すいませーん。近所の者ですが……」

玄関先から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あれ? 貴方は……」

急いで外に出ると、そこには最近よく合う ご近所さん(男)がいた。


「すいません、朝早くから。実は先程そこで、こちらに回覧板を渡すように頼まれまして。あと……お恥ずかしながら、おかずを作り過ぎてしまって、良ければ貰って頂けないかと……」

そう云って、すまなそうに男性は鍋を差し出した。

鍋の中には美味しそうな肉ジャガが、良い香りを漂わせている。


「良いんですか?」

「ええ、是非に!」


男性は嬉しそうに微笑むと、小鳥遊クンに回覧板と肉ジャガを渡し、そそくさと その場を立ち去った。


「あっ!」

男の姿が見えなくなってから、小鳥遊クンは自分が男性の住まいを知らない事に気が付いた。


「しまった。これじゃあ、鍋を返しにいけないじゃないか!」

「どうしよう……」と、悩む小鳥遊クンを尻目に、エンリは小鳥遊クンに問うた。


「小鳥遊クンは、あの男に家の場所を教えておったのか?」

「あれ? どうだったけ?」


記憶が ちょっと曖昧だ。

まぁ、あっちが知っていたと云う事は、何かの拍子に教えたのだろうと、小鳥遊クンは結論付ける。

そんな小鳥遊クンをジト目で睨むエンリ。


「まぁ、良いのじゃ。それはそうと、その回覧板とは何じゃ?」


そう云ってエンリは、小鳥遊クンが手に持った回覧板を興味深そうに眺める。


「これには町内会の お知らせが書かれているんだよ。読んだら次の人に手渡して、お知らせを読んでもらう。そうやって地域内の情報共有と顔見せ……つまり人的な交流を促進させ、いざと云う時に、地域住民が団結して事に対処できるよう……ちょっ!」


「おーっ! 町内会有志による自警団結成じゃとな」


小鳥遊クンの薀蓄の隙を付いて回覧板を奪ったエンリは、そこに書かれた『自警団結成』の文言に過敏に反応する。


「小鳥遊クン。これに入団したいのじゃ! 」

「エンリ。云っとくけど、自警団には武器使用の許可もなければ、逮捕権、裁判権もないんだよ」


おそらく自警団に入団して、合法的に経験値稼ぎを目論んでいるであろうエンリの希望を、速攻で潰しにかかる小鳥遊クン。


小鳥遊クンだって馬鹿じゃない。

エンリの喧嘩っぱやさと『経験値』には、密接な関係があることぐらいは、理解している。


それに「経験値を溜めさせてはダメだ」と本能が警鐘を鳴らす。


「なんじゃ! それでは経験値が稼げないのじゃ。ガッカリなのじゃ」


案の定、自警団に何の旨味もない事を知ったエンリは、興味を失くし、無造作に回覧板を放り捨てた。


「もう! 駄目だよ、エンリ。物を投げ捨てちゃ!」


こうして、穏やかな朝の日常は、かしましく更けて行くのだった。

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