#28 斉藤さんの想い①
初めてのお泊りから二日が過ぎた今日。ありさから久々に誘われ、『MIRA』にお邪魔している。
裕樹くんとの同棲生活は、思ったよりも順調すぎるから逆に怖い。とのこと。今回の撮影を終えたら、二人で富士登山に挑もうとしていることなど。私は終始、ありさからの近況報告に耳を傾けていた。
「まだ、前の彼女とのことで無理してるなーって、思うことはあるんだけど、愛されてるなって、素直に思えるっていうか」
いつものカウンター席。ありさは、こちらをちらりと見ながら悪戯っぽく微笑んだ。
「裕樹くん、ありさからのお弁当を嬉しそうに食べてたよ。なんか、子供みたいにはしゃいでた」
これまでの、撮影時のことを話して聞かせると、ありさはまた嬉しそうに続けた。
「あたしには、いつもまあまあだった。としか言わないんだけど」
「あー、それは完全に照れ隠しだなぁ。裕樹くんって、そういう愛情表現とか苦手そうだしね」
「確かに」
苦笑し合う。と、そこへ注文していたフィッシュアンドチップスがやってきて、ありさがレモンを軽めに絞り、二人して手を伸ばした。カクテルとの相性の良さと、安定の美味しさで、思わず笑顔になってしまう。
「そういえばさ、この間、中村さん
「うん」
「で、どうだった?」
ニンマリとした変顔で見つめてくるありさに、私は苦笑しながら首を横に振った。
「ありさが期待しているようなことは無かったよ」
「えぇー、なんで? なんかやらかしちゃったの?」
今度は、心配してくれているかのような視線を受け止めて、私は更に苦笑を返す。
「そういうわけじゃなくてね。私が、妙に構え過ぎてしまったというか……」
中村さんと、どんなふうに付き合えばいいのかを、意識し過ぎてしまっていた。この歳で、まだ未経験だという変なプレッシャーみたいなものが邪魔をしたことで、相手に余計な配慮をさせてしまったということ。
「私と同じ気持ちでいてくれたことは、すごく嬉しかったんだけど、期待に応えられなかったらどうしようって、考え過ぎちゃって……」
「分かる。やっぱりさ、身体の相性も気になるよね」
「ありさは、裕樹くんとどうなの?」
「すっごく良いってことだけは言える。これガチで」
「そこまでハッキリ言えちゃうなんて、なんか羨ましいかも……」
ガッカリと項垂れてしまう私を見て、ありさは、困ったように微笑みながら肩を寄せてくる。
「中村さんはさ、遥香のそういう少し頼りない部分を程よく補ってくれる人だと思うんだよね。『俺がいなきゃダメだな』的な。だから、あれこれ勝手に考え込まずに、ありのままの遥香でもっと甘えたり、わがままになっていいんだと思うよ」
昔からそうだった。
ありさからの励ましやアドバイスは、私の不安を少しずつだけれど解消していってくれた。迷った時は、的確に促してくれたこともあった。長所は素直に褒めてくれて、短所はしっかりと指摘してくれる人だ。
私は、優しい眼差しで話を聞いてくれているありさに、一つ頷き返す。それと同時に、中村さんの言葉を思い出して、思わず笑みが零れた。
自分たちが納得していれば良い。周りがなんて思おうが、お互いを想う気持ちを大切にすれば良いのだ。と、いうこと。
「それにしてもさ、あの中村さんが遥香に甘々なんて、まったく想像出来ないんだけど」
「それは、私が一番驚いてる」
また、二人して苦笑し合った。その時、スタッフルームだと聞いていた部屋から、斉藤さんと見知らぬ二十代後半くらいの、長めの黒髪をお団子ヘアにした可愛らしい女性が出てくるのが見えた。
何やら、二人してあれこれ話しながらこちらへと歩いてくる。私たちに気付いた斉藤さんは、なんだかいつもよりも緊張している様子で、笑顔がこわばっているような気がした。
「あれ、久しぶりだね! 来てくれてたんだ」
「今日の撮影は夕方までだったので、ありさと一緒に来ちゃいました!」
笑顔で返答する。と、すぐに斉藤さんからその女性を紹介された。
私と同世代だろうか。彼女は、
ベストシャツに、スキニーデニムという組み合わせが大人カジュアルで、とても似合っている。沢木さんは、腰かけたままの私たちに笑顔で挨拶をしてくれた。だから、私たちも軽めの自己紹介と、斉藤さんにはいつもお世話になっていることなどを伝える。
183cmあると聞いている斉藤さんと並んで丁度良いくらい。モデルさん並みの高身長で、花で例えるなら、紫色のコスモスのような朗らかで優しい印象を受けた。
一通り、話し終えたであろうお二人を気にしつつ、私は丁度インした末松さんにカクテルのお代わりを頼んだ。
「あたしにも、遥香と同じものをお願いしまーす」
「りょーかーい」
末松さんは、私たちに満面の笑顔を返してくれる。
まるでハーフのような彫り深い顔立ち、サイドをツーブロックで仕上げたスパイラルウエーブヘアで、かなり大人カッコ良い。見た目も、喋り方もチャラめな感じなのだけれど、じつは英語がペラペラで、高校卒業後、この道を究めたくて本場アメリカへと飛び、ほとんど独学で資格を取ってしまったというスゴイ人だったりする。
『学校で習うより、現場で慣れろ』が、末松さんのモットーらしい。
末松さんにカクテルのお代わりを注文してすぐ、沢木さんを見送った斉藤さんが、改めて、私たちのところへ戻って来る。と、大きな溜息をついて苦笑を零した。
珍しく悩み事でもあるのだろうか。そう思った私は、さりげなく問いかけてみた。
「なんか疲れてます? いつもより元気がないように見えますけど」
「あ、いや。ちょっとね……」
「その、ちょっとねってのがすっごく気になるなぁー。ウチらで良かったら何でも聞くんで、遠慮なく言って下さい」
ありさからも、心配の声があがる。と、斉藤さんは何かを考えるように眉間に皺を寄せ、ふっとまた小さく息を零した。
「じつは、さっきの子……雰囲気が似てるんだよね。
その時、私たちは一瞬で思い出すことが出来た。斉藤さんの元恋人だった鈴木真優さんのことを。
「ま、マジですかぁぁ!?」
ありさが、驚愕の表情で斎藤さんを見つめている。斉藤さんは、そんな私たちに対して、苦笑しながらここまでの経緯を丁寧に話してくれた。
四日前の夕方頃。沢木さんから連絡を貰い、先ほど初対面となったらしいのだけれど、初めて沢木さんを見た瞬間、ほんの少し動揺したという。
「真優より背が高くて、少し大人っぽい感じなんだけど……」
その柔らかな優しい表情から、どんなに真優さんのことを愛していたのかが、改めて伝わってくる。「一瞬、真優が戻って来てくれたような気がした」と、切なげに瞳を細めた。
嬉しいような、これからのことを考えると不安なような。そんな複雑な気持ちは分からないでもない。
最愛の人との思い出はそのままに。一歩でも前へ踏み出そうとしていたところへ、その人に似た女性が現れたのだから。
かなり運命的なものを感じるけれど、沢木さんは真優さんではない。それでも、どうしたって意識せずにはいられないだろう。
そこへ、末松さんから注文しておいたカクテルを受け取り、ありさと軽くグラスを重ねる。
「なんて、俺のことより二人はその後どうなの?」
私の隣に腰かけ、満面の笑みを浮かべる斉藤さんに、今度は私たちが近況報告をする番となった。
その間、斉藤さんは大笑いしてみたり、呆気に取られたように目を見開いて驚いたりして終始、私たちの話を聞いてくれている。
こんなふうに、ありさと会って話すのも久しぶりだったし、何より、こうして斉藤さんの前で良い報告が出来たことが嬉しかった。
「なんか、二人の話を聞いていたら、恋愛っていいなーって思えるようになってきたよ」
「斉藤さんなら、モテまくりでしょう?」
にやりとしたありさに対して、斉藤さんは、「全然だよ」と、言って微笑んだ。
斉藤さんが、これまでに何度も告白されて来たという話は、末松さんとか、裕樹くんから聞いている。こんなに素敵な斉藤さんがモテない訳がない。容姿端麗で、気遣いが出来て、中身も良すぎるほどの男性なんて、そうそう見つけられるものではないと思うから。
「それよりも、優さんから聞いてるかな? 今年の遥香ちゃんのバースデー・パーティのこと」
「あ、はい。なんか、いつも気を使わせてしまってすみません」
「俺が好きでやってることだから、気にしないで。そうでもしないと、優さんとも会えなさそうだし」
また可愛い笑顔をくれる斉藤さんに微笑み返した。その時、開閉を知らせるいつもの音とほぼ同時に、「あー、いたいた! 良かったー!」と、いうOLさんらしき女性たちの、嬉しそうな声がして振り返る。どうやら、常連客が来店したようだ。
斉藤さんは、「また後でね」と、私たちに一声かけて、そのお客さんたちのほうへ歩み寄っていく。
きっと、斉藤さん目当てのお客さんなのだろう。「久しぶりだね。元気だった?」とか、時々、話し声が聞こえてくる。
「斉藤さんの彼女になれる人って、マジで幸せだよね」
ありさが、グラスを手に囁くように言った。私は、斉藤さんのことを気にかけながらもすぐに頷き返す。
「私もずっとそう思ってたよ。真優さんとの話を聞いてからは特にね」
斉藤さんと出会ってから、男性に対するイメージが変わった気がする。
ほとんどの男性は浮気性。小説やドラマに登場するような二次元的な都合の良い人などいない。などという、世間一般的な考えが定着していた私にとって、一途な男性もいるんだな。と、素直に思えるようになったことが新鮮だった。
もうじき、真優さんの命日であるということを思い出した時、この沢木さんとの出会いも、斉藤さんにとって素敵なものになりますように。などと、考えていた。
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