Unnatural you <不自然な君>
#27 初めてのお泊まり
「美味そうだな」
バスルームから戻った中村さんが、バスタオルで後ろ髪を拭きながら、私の背後にある冷蔵庫から缶ビールを取ってすぐ、プルタブを開き、美味しそうに飲み始める。
「今夜は、肉じゃがと鶏の炊き込みご飯にしてみました」
前髪を下ろし、ラフなルームウェア姿の中村さんは、いつもよりも幼く見える。ほのかに香るシャンプーの匂いも、まだ濡れたままの髪も。何もかもが新鮮で、思っていた以上に色っぽくて、ダイニングテーブルの奥に設置された白い7人掛け長ソファーへと腰かける中村さんを目で追ってしまう。
さっき座ってみたのだけれど、このソファーというのがかなり座り心地が良くて、秒でウトウト出来そうなほどリラックス出来るものだった。
なかなか、家でゆっくりすることは出来ないとのことだけれど、だからこそ、きっと家具などにこだわりを持っているのかもしれない。
付き合い初めて二週間ほどが過ぎた今日。ようやく、まとまった時間が取れるようになり、初めて中村さんの家にお泊りすることとなったのです。
あれから、回復して戻って来た乙葉さんと、成瀬くんとのシーンも無事撮影する事が出来た。
撮影が終わるまで、乙葉さんのフォローをしていた成瀬くん。
昔から責任感が強くて、常にリーダー的存在で、誰からも頼りにされている。あなたがいれば、きっと大丈夫。そんなふうに思わせてくれる人だ。
役者としても、天性のものだけではなく、周りの人やファンの人達を気遣い、誰よりも努力してきたからこその人気と功績なのだということ。
これで何度目だろう。炊き込みご飯を混ぜ合わせながら、ふと、あの頃に戻れたら。という、成瀬くんの呟きを思い出し、物思いにふけってしまう。
私は成瀬くんに何を返せるだろう。
7日後に迫った私たちの誕生日会で、成瀬くんの納得のいく時間を作ってあげることが出来るだろうか。
それとは別に、成瀬くんに似合いそうな腕時計を用意したものの。当日のことを考えると、その日が待ち遠しく感じながらも、複雑な気持ちを抱かずにはいられなくなっていた。
「どうした?」
「え……」
「また何か考え事か?」
気付けば、ソファーで寛いでいた中村さんがこちらへやって来ていて、冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、プルタブを開けて私に手渡してくれた。次いで、再度缶ビールを取り出しプルタブを開くと、乾杯をするように私の手にしている缶チューハイに軽くぶつけて来る。
「そんな顔してました?」
「してた」
お互いに一口飲んで、中村さんが缶ビールをシンク上に置くのとほぼ同時に、私も並べるようにして置きながら、こちらを見つめてくる中村さんにぎこちなく微笑み返した。
「成瀬のことか」
「……です」
あの日以来、成瀬くんのことを考えないようにしていたことが裏目に出てしまい、中村さんにはこんなふうに気を遣わせてしまう時がある。
「俺としては───」
背後からそっと抱き寄せられ、少し焦りながらも胸元に添えられているその大きな両手に、ぎこちなく自分の手のひらを重ねてみる。
「正直、あまりいい気はしない。が、成瀬の気持ちも分からないでもない」
耳元に優しいキスを落とされて、くすぐったさから思わず肩を竦める。と、同時にまた柔和に囁かれた。
「俺が
「……っ……」
ゆっくり頬へとたどり上がってきた中村さんの、端整な唇から微熱を感じ、一瞬の躊躇う間もなく、今度は目元に優しいキスを受け止める。きっと、中村さんにとっては普通の流れだったのかもしれない。
「微妙だな。
「す、すみません。あの、来ると思わなかったので……」
固まってしまっている私に、中村さんは笑いを堪えるようにして指先で口元を覆った。
「わ、笑わないで下さいよぉ……」
「すまん。つーことは、あっちもまだってことか」
「え、あ……」
あっちの意味を理解して、私はただ開き直るしかない。
「そ、そうですよ! 悪いですか?」
「いや、悪くない」
ふっと鼻で笑う中村さんの、いたずらっぽい笑みを前に不貞腐れてみせる。と、中村さんは私をそっと抱き寄せ、広い胸へと誘ってくれた。
二度目のハグ。その腕の中で、これでもかってくらいの優しい温もりを感じる。一度目は、『MIRA』で、私が酔ってしまった時だった。
あの時とは違う緊張を伴いながら、私も素直に両手で中村さんの広い背中を抱きしめてみる。
「あの時のこと、覚えてますか? 『MIRA』で、ハグしてくれた時の」
「あれだけのことされて、覚えていないわけがない」
「うっ、そっちのことは早く忘れて下さいよ」
たぶん、最初で最後の大失態。あの時、中村さんの前で、見事なリバースをしてしまったことは、私にとって一生忘れられない想い出になってしまっている。
何となく恥ずかしくなって、余計に中村さんの胸に顔をうずめてしまう。
酔ってしまった私を可愛いと思ってくれたこと。極めつけに、「本当は返したくないと思ってた」と、言ってくれたことで、私は嬉しく思いながらも、ますます真っ赤になっているだろう顔を上げづらくなっていた。
そうなってしまうもう一つの理由としては、カレカノの関係になってからというもの、常に塩対応だった中村さんが、二人きりの時は何となく優しくなった気がしていたからだった。
そんな中村さんのストレートな言葉が嬉しくて、中村さんを抱きしめる腕に力を込めた。次の瞬間、初めて中村さんのお腹の音を聞いて、今度は私が吹き出してしまった。
照れたように視線を外しながら、早く食おうぜ。と、言ってすぐ近くの4人掛けダイニングテーブルへと向かう中村さんを横目に、私は笑いを堪えながらも、用意しておいたお皿におかずを盛り付けていった。
・
・
・
夕食後。私もお風呂を済ませ、ラフなルームウェアに着替えて間もなく。借りてきたDVDを観ながらも、日頃の疲れが残っていたせいか、ずっと前から観たかった作品だったにも関わらず、私たちはソファーの背に頽れるようにしてうとうとしてしまっている。
「……やべぇ。くそ眠い」
「私もです。さっきから、何度も寝落ちしそうになっちゃってて」
「もう、明日にして寝るか」
「そうですね。もっと観ていたかったですけど」
テーブルの上を片付け、二人してこれまたオシャレな
「お前はここで寝ろ」
「え、中村さんは?」
「俺はソファーで寝る」
「え、でも……」
「遠慮しなくていいからな」
てっきり、一緒に眠るものだと思っていた私は、少し拍子抜けしてしまった。クローゼットから薄手の羽毛布団を手に、「おやすみ」と、言ってさっさとリビングへ戻ろうとしている中村さんを呼び止めることが出来ずに、仕方なくベッド端に力なく腰かける。
2LDKのこのマンションは、ドラマなどでよく見かけるようなシンプルなデザインが魅力的で、もう一つの部屋は書斎になっているらしい。リビング同様、寝室もシックな雰囲気で統一されている。
よく見ると、かなり大き目のダブルベッドで、倒れ込むように横になった。途端、微かに中村さんの匂いがして思わずプチ幸せを感じた。
きっと、睡眠にはこだわりがあるのだろう。ホテル並みの寝心地の良さに、すーっと全身の力が抜けていく。
「でも、やっぱり────」
中村さんなりの気遣いなのだということは分かるのだけれど、この広すぎるベッドに独りというのは、何となく寂しい感じがして、私は少し躊躇いながらも、照明を消して寝室を後にした。
スタンドランプの仄かな
あれから、まだほんの数分しか経っていないはずなのに、もう寝息を立てて眠っている。
きっと、私に合わせてくれていたに違いない。あまり、彼氏らしいことはしてやれないと、言っていたけれど、たまにでも、こうして一緒の空間にいられるだけで幸せだったりする。
起こさないようにそっと寄り添い、ソファーの前に腰を下ろす。
意外と長い睫毛も、ほんの少し厚めの下唇も。薄暗い室内で初めて見る中村さんの寝顔は、スマホのロック画面にしたいくらい大人かっこいい。
本音を言うと、キスの先も期待してしまっていた。もっと触れたいし、触れて貰いたい。好きだからこその、当たり前の想い。
そう思いつつも、何もかもが初めてだらけの私にとって、さっきみたいな大人の、自然な流れに上手く合わせる自信は無いに等しいわけで────
思わず、小さな溜息がこぼれてしまう。
(いい大人が。こんなことじゃ、愛想つかせられそうだなぁ。いつか……)
一難去ってまた一難というのはこういうことをいうんだろうな。それでも、きっと中村さんなら、「お前のペースでいい」って言ってくれそうな気がする。
もっと、この可愛い寝顔を見ていたいと思いながらも、静かに寝室へ戻ろうとして、すぐに左腕を捉まれる。
「お、起きてたんですか?」
「寝てた。が、気配で目え覚めた」
「すみません、起こしちゃって」
「眠れないのか?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
そのまま腕を少し強引に引き寄せられ、ちょうどソファーの空いていたスペースにストンと座らされた。
ふと、見ると中村さんは目蓋を閉じたまま。私の腕を掴む力も弱まってきて、するりと離される。
「俺はここでいい。マジで遠慮すんな」
今度は、微睡んだ色っぽい瞳で見つめられ、咄嗟に逸らしてしまう。それでも、私はいまさっき思ったことを伝えてみようと、躊躇いながらも中村さんの方へ向き直った。
「……どうして、別々なんですか?」
「は?」
「いや、だからその、あの広いベッドに独りは……ちょっと寂しいなって」
「ああ、それな」
中村さんは、微かに息をつきながらおもむろに上体を起こし、ソファーの上に片膝を立てて腰掛けると、ここに座れとばかりにすぐ横のクッション部分を軽く叩いた。だから、私は促されるままに中村さんの隣へと密着してみる。それにより、すぐに腰元へ腕を回され引き寄せられた。
「一緒に寝たら、お前を抱きたいっつう欲求を抑えられなくなるから。と、でもいっておく」
(それって……)
「さっきの反応を見た限りでは、もう少し時間をかける必要があると思ったから。今夜は別々にしてみただけのこと」
そう言われて、安堵する反面、がっかりしている自分がいる。
「私は、その……さっきも言ったように、何もかも未経験だから上手く出来ないだろうなって」
「そんなこと気にしてたのか?」
少し呆れたように笑う中村さんの、大きな手の平で右肩を優しく包み込まれる。
「そりゃあ、気にしますよ。む、胸とかも大きくないし……」
「まぁ、そうだな」
「ほらね、やっぱり。男の人は胸大きいほうがいいんでしょう?」
「デカいのが好きな奴もいるだろうが、個人的には、手にすっぽり収まるくらいがいい」
「そう、なんですねぇ……」
両手でそんな動きをして見せる中村さんに、私はただ苦笑した。
彼女として、私なりにだけれど今抱いている恋愛感情を素直に表したい。けれど、どういうふうにするのが正解なのか分からないということ。
それらを、たどたどしくも伝える。と、更に抱き竦められ、私は中村さんに縋り付くようにして広い胸元に頬をうずめた。
「お前が巨乳とか、想像出来ねえし」
「嬉しいような……でも、なんか複雑な気分」
「つーか、
中村さんも私と同じ気持ちでいてくれた。そんな嬉しい思いが伝わったのか、後ろ髪を優しく撫でられる。それが、とても心地良い。
「私は、もっと中村さんとこうしていたいっていうか……」
何となく、ゆっくりと視線を上げてみる。と、今まで見たこともないほどの優しい眼差しと目が合った。不意に、右頬を大きな手のひらで包まれ、受け入れた初めてのキスは少し強引で、ソファーの背もたれに押しつけられるようにしていくうちに、より深くなっていく。
「ん……っ……」
自分の、微かに漏れ出た甘い声に、羞恥心と期待感とが綯い交ぜになり、ほぼ無意識のうちに中村さんの胸元のシャツを握りしめていた。
私の声を奪っていたその唇が、首筋へと落ちてきて、やっぱり緊張して肩を竦めてしまう。
(うぅ、やっぱなんか……まだ……)
温もりが離れていくのを感じて、ぎゅっと思いっきり瞑っていた目蓋を開いていく。と、同時に全身に力が入ってしまっていたことに気づいた。
「ごめんなさい……」
「まぁ、なんつーか。これに関しては、少しずつ慣れていけばいい」
苦笑いされてしまったけれど、中村さんも私と同じ気持ちでいてくれた。そんな想いが伝わったのか、中村さんはまた私の後ろ髪を優しく撫でてくれる。
「つーわけで、今夜は素直にベッドで寝てくれ」
「……はぁい」
まだ何となく寂しくて俯いてしまう私に、中村さんは、「慣れて来たら覚悟しとけよ」と、言ってニヤリと不敵に微笑んだ。
その後。わがままついでに寝顔の写真を撮らせて欲しいとお願いして、秒で断られたことは言うまでもないのでありました。
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