わくわく☆選択肢!

灰島シキ

わくわく☆選択肢!


 哀れな夫婦がいた。

 小学生の時に知り合い、中学時代はお互い想いあってはいたがあと一歩が踏み出せず、同じ高校に進学してようやく恋人になり、順風満帆な大学生活を経て卒業後すぐに籍を入れる。

 年若い夫婦を多くの友人たちが祝い、互いの家族もすぐに意気投合して頻繁に集まっては酒を飲み交わしていた。

 学生時代から仲睦まじかった夫婦の将来は絶対に明るいものになると誰もが思っていた。

 

 しかし、そんな夫婦に悲劇が訪れる。

 

 海外での新婚旅行を終えた帰りの飛行機が突然大きく揺れ始める。

 明らかに只事では無いと分かる揺れに機内は混乱し、乗客は悲鳴をあげて恐慌状態に陥ってしまう。

 キャビンアテンダントが声を張り上げて救命胴衣や酸素マスクの装着を指示する。

 夫婦は恐怖を押し殺しながらそれに従って、装着を終えた後はお互いの手をしっかりと握り身を寄せ合った。

 異音と共により大きくなっていく揺れに、墜落という最悪の事態だけは起こらないよう夫婦は神に祈る。

 そんな祈りを嘲笑うかのように飛行機は徐々に高度を落としていき、夫婦の祈りも虚しく飛行機は山へと墜落してしまった。

 

 

 水滴が頬をうつ感覚で夫は薄っすらと目を覚ます。

 目線を動かすと力無く横たわる自身の身体が見える。服は至るところが裂かれ、大小様々な傷を負った身体から流れる血を雨が洗い流していた。

 夫には身体の感覚はほとんど無かったが、それによって痛みも感じていないので好都合なのかもしれない。

 痛みを感じない分、夫は少しだけ心に余裕が出来た。助かるかもしれないという希望が湧いてきたのだ。

 

 「……え…………て」

 

 ふと、聞き慣れた声が微かに届く。間違えるはずもない、愛する妻の声である。

 夫は妻と手を繋いでいた事を思い出し視線を動かすと、そこには確かに妻の左手と繋がれている自身の右手があった。

 しかし、夫婦の間には機体の残骸が落ちており互いの顔は見えない。

 だがそれでも墜落の衝撃にも負けず繋がれたままの手を見て、夫は涙が溢れ出すのを堪えきれなかった。

 

 「……ねえ」

 

 再び妻の声が聞こえた。

 

 「起きて」

 

 その声と共に妻の左手が少し動く。妻は夫よりも先に意識を取り戻しており、弱々しくも必死な声で懸命に夫の生存を願って呼びかけ続けていたのだ。

 

 「──ッ!」

 

 妻の呼びかけに応えようと夫も声を出そうとするが、上手く発声出来ない。

 どうにか自身の生存を伝えようと右手を動かそうとするも、身体の感覚が無く動かすことが出来ない。

 

 「起きて……おねがい……」

 

 その間にも妻は呼びかけを続ける。声を発するにも体力が必要な筈なので、夫婦揃って生還する為にも早く無事を伝えて体力を温存させてやりたい。

 

 「──ッ! ──ッ!」

 

 上手く声が出ないことに苛立つ。だがふと思った。

 こちらは声が全く出せないのに妻の方は声も出せるし手も微かに動いているということは、妻は自分よりも軽傷で命の危険も少ないのではないかと。

 そう思うと夫は安堵の気持ちが湧いてきて、夫婦揃って生きていることを神に感謝した。

 

 その時だった。

 

 「君、甘いんじゃないかい?」

 

 場違いなくらい明るい声が夫の耳に届く。声のした方を見ると大きな黒い靄が足元で蠢いていた。

 靄はどんどんと形を変えていき、黒のボロ布を纏い右手に鎌を持った骸骨の姿になった。

 骸骨はカタカタと顎を揺らして嗤う。

 

 「人がたーくさん死んでいく。今この瞬間にも近くで誰かの命が消えた。そして残念ながら君達も例外じゃないんだよ」

 「──ッ!」

 「ああ、上手く声が出せないんだよね。まあそうだろうとも……だって君、自分が思っているよりもずっと死にかけだよ。だから私が見えるのさ」

 

 骸骨の言葉に夫は再び声を上げようとするが当然声は出ず、 

 

 「──ッ! ──!?」

 

 その口から変わりに出たのは血の塊だった。

 

 「そんなに興奮しないでよ。まあでも、声が出せないのは可哀想だし私が特別に治してあげよう」

 

 骸骨は右手に持った鎌の切っ先を夫の腹へと突き立てると、再びカタカタと顎を揺らす。

 鎌を戻すと同時に、夫が目を見開いて身体は陸へと打ち上げられた魚の如く跳ねた。

 

 「あッ、アあアアぁああア! 痛い、いたいイタイ痛イ痛い!」

 

 全身を襲う痛みに気が狂いそうになる。気を失ってもおかしくないほどの激痛に苦しむ夫を見て骸骨は嗤う。

 

 「ほら、甘いんじゃないかいって言ったでしょ。君は痛覚が麻痺していただけで、本当はそんな痛みが襲ってくるほどの重傷なんだよ。言っておくけど私は君に痛みを思い出させてあげただけで、君を傷つけた訳じゃないからね……って聞いてないか」

 「あああああッ!」

 「そんなに叫んじゃったら君の奥さんが不安になってしまうよ。懸命に君を呼んでるのが聞こえないかい? いじらしい、微笑ましい、美しい……いやあ、愛ってやつかな」

 

 骸骨は軽い足取りで夫の頭の方へ移動すると、顔の真横にしゃがみ込んだ。

 苦しむ夫の顔をまじまじと見つめると、まるで友達を遊びに誘うかのような気安さで語りかける。

 

 「ねえ、ちょっとした提案があるんだけど。ほらほら苦しんでばかりいないでさ、私が只者じゃないってのは分かるだろう? 私は所謂死神ってやつさ、私の姿形を見ている君なら信じてくれるかな。ああついでに、君の生死を、その運命を握ってるってのも信じてよね。信じてくれないと話が進まないんだ」

 

 夫は懸命に首を縦に振った。痛みと共に身体の感覚はすっかり戻っている。

 

 「よしよし、君の命が尽きる前にさくさくと話を進めないとね。ほら、私って話が長いとかすぐに脱線するからさ、ちゃんと意識して話をしないと取引を始める前に相手がうっかり死んでしまうことがあるんだよ。この前もうっかり殺っちゃってさ……ああ、殺っちゃったと言っても私が殺したわけじゃなくて勝手に死んだだけなんだけど。まあ見殺しにしたと言われるとそうなんだけど、死にそうな人を前にするとついつい口が動いちゃうんだ。そういえば君の──」

 「──ううッ! ぐっ、は、はやく」

 「おっとごめんごめん」

 「は、やく!」

 「ふふふ、そんなに焦らないでよ。提案ってのはね、凄くシンプルなやつなんだ……ここに人一人分の魂がある」

 

 死神が右手を一度握りしめて開くと、そこには蒼い炎が妖しく揺らめいていた。

 夫はその輝きに魅入ってしまう。この世のものとは思えないような美しさで、これが魂と言われても違和感なく受け入れることができてしまい、そんな自分に戸惑うが身体の痛みに負けその戸惑いも霧散した。

 

 「この魂を君に埋め込めば、君の身体はたちまち癒えるだろう。ああもちろん、この魂を受け入れたからといって人格が変わるなんてこともないから安心してくれ」

 「たすかる、のか?」

 「助かるとも。でも私は死神、ただ単純に助けてあげるような善良さなんて持ち合わせていないんだよね」

 「どう、すれば、いい?」

 「簡単さ、選ぶんだよ」

 「えらぶ?」

 「そう、君が助かるか、一番大切なモノを助けるか、もろとも死ぬか……選ぼうね」

 「たいせつな……」

 「うん、そうだよ。詳しく話す必要無いよね。この状況で一番大切なモノを助けるなんて選択肢があるんだ。つまりはそういう事さ」

 

 こんな選択肢など、夫にとっては考えるまでもないことだった。

 全身が痛くとも、自身の命が尽きようとも、愛する妻が助かるならばそれでいい。

 

 「たいせつな……モノじゃない。たい、せつな人だ、あいしてる」

 「おや失礼、つい死神感覚で言っちゃったんだ。それで、君の大切なヒトを助けるって選択肢で良いのかい?」

 「ああ」

 「なるほど……」

 

 そう言って死神はもう一度右手を握りしめ、再び開く。するとそこには蒼い炎──魂がもう一つ浮かんでいた。

 死神は顎をカタカタと揺らして嗤う。

 

 「私が持ってる魂って一つじゃないんだよ。それで、実は全く同じ質問を君の大切なヒトにもしたんだよねえ。彼女、即答だったよ……なんて答えたと思う?」

 「…………」

 「あれ、そこは自信を持てないかな? まあ、そうだよねえ。声も出てたし手も動かせてた……同じ事故に合いほぼ同じ場所に落ちたにもかかわらず、君に比べて随分と元気そうだったよね」

 「…………」

 「で、本当に君の大切なヒトを助けるって選択肢で良いのかい?」

 

 夫は即答出来なかった。

 元々、妻は確かに自分よりも軽傷なのかもしれないと思っていたところに齎された死神からの情報は、夫の心に疑いの種を植え付けるのに十二分な効果を発揮した。

 妻はなんと答えたのだろうか。自分自身を選んだのか、はたまた一番大切なヒトを選んだのか。

 しかし、考えているうちにふと思う。

 妻が何を選んでいてもいい。妻が自分自身を選べば妻は助かり、夫が一番大切なヒトを選んでも妻は助かる。

 それで良いではないか。

 墜落した時は死んだと思った。命は尽きようとしているがそれでも今こうして運良く生きていて、尽きかけの命と引き換えに愛する妻を助けることができるのだ。覚悟は決まった。

 

 「きめ、た」

 「うん、じゃあ答えをどうぞ」

 「答えは──」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 奇跡の生還。

 その墜落事故では一人を除く乗員乗客全員が亡くなった。墜落現場に駆けつけた自衛隊はその惨状に絶句し、生存者はいないのではないかと思ったらしい。

 しかし奇跡的に軽傷で済んだ乗客がいる。懸命に声を張り上げる救助隊の声に応えるように、その人物は瓦礫の中から手をあげた。

 あげられた手はもう一人何者かの手を握っていた。生存者と手を繋いでいた人物は残念ながら亡くなってしまっていたが、それでも全滅だと思っていた救助隊は大いに沸いた。

 マスコミは奇跡の生還を果たした人物を追いかけ、運び込まれた病院には連日カメラが何十台も向けられる。

 退院した時には車に乗り込むまでにあっという間に取り囲まれ容赦ないフラッシュを浴びることになった。

 生還者は一切の取材に応じることはなく、逃げるように去っていったという。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 「なんで……なんでなんでなんで!」

 

 薄暗い部屋で狂ったように頭を掻きむしる。

 あの時、確かに答えたはずだったのだ。

 大切なヒトを助けると答えたはずだったのだ。

 

 「なんでどうして!」

 

 薄暗い部屋に、カタカタという音が響き渡った。

 床から黒い靄が発生し、死神の姿へと変わっていく。

 

 「どうしてって、分かってるよね? 私はちゃーんと魂を渡したじゃないか」

 「違う! 俺は言ったはずだ! 大切なヒトを……妻を助けると言ったはずだ!」

 「確かに大切なヒトを助けると言っていたよ。でも、妻を助けるなんて言ってない。記憶の改竄はやめてくれよ」

 「同じことだ!」

 「はあ、いい加減認めたらどうだい? 逆恨みはやめてくれよ。あの時、あの瞬間、あの状況で一番大切なヒトは──君自身だったんだよ」

 「違う、俺は、俺は妻が……」

 「違わないからこうなってる。うんうん仕方ないよ、浮かんだ疑念は中々晴れないもんさ。君は奥さんが奥さんを選んだと思ったんだ。そう思ったらそりゃあ自分も助かりたいって考えちゃうよねえ……いくら覚悟したフリしててもさ」

 「悪魔め……!」

 「悪魔じゃなくて死神だよ。まあ、今は元がつくけどね」

 「元死神だと?」

 「そうさ、だって死神って死にかけの生き物にしか見えないんだよ。君は今、死にかけなのかい? 違うでしょ。死神は適任のヒトに引き継いで、私は君の人生を見物することにしたのさ。今の私はちょっと強めの幽霊とでも思っておくれよ」

 「俺の人生を見物だと? ふざけるな! お前の遊びに付き合ってたまるものか! どうせ妻はもうこの世にいないんだ、こんな命捨ててやる!」

 「……やめたほうが良いと思うけどなあ」

 

 元死神の言葉は無視して、夫は台所から包丁を取り出して元死神の目の前で心臓に突き立てた。

 血が噴き出し、床に座り込む。血溜まりを見て夫は不敵に笑い、

 

 「ざまあみろ、お前の遊びには──」

 

 元死神を見たところで、信じられないモノが目に映ってしまった。

 

 「あーあ、だからやめたほうが良いって言ったのに」

 「な、んで」

 

 元死神の隣に黒いボロ布を纏った人物が立っている。それは夫にはとても見覚えのある人物だった。

 

 「なんでって、貴方が死にかけてから見えるようになったんでしょう? つまりはそういう事よ」

 「どう……して……」

 「私は死神。ある程度の生死を、その運命を握ってる。貴方はまだ死なせない、私が選んだ分の魂と、貴方が自分で選んだ分の魂、二人分の人生を貴方は生きる」

 「あ……ああ」

 「あの時、貴方を助ける選択肢を選んだことに後悔は無いわ。でも、ほんのちょっとくらい思っても良いじゃない。どうしてって思っても良いじゃない。何がとは言わないわ、自分勝手だな私って自覚してるし」

 

 胸の傷がどんどん回復していき、夫はすっかり健康な身体を取り戻した。

 同時に元死神の隣に立っていた人物は消えていく。

 

 「あの時、彼女は死の寸前だった。目も耳も殆ど機能してなかったんだ。そんな中、君の無事を願って必死に『起きて』『お願い』って繰り返し言ってたよ。自分も死にそうなのに、ヤセ我慢ってやつかなあ……人間の女って強いよねえ」

 「…………」

 「君の中には彼女が言ったように、彼女が選んだ分の魂と、君が、君自身が、君自身の為に選んだ分の魂がある。良かったね、寿命も二人分さ。大丈夫、なにか不測の事態が起きたとしても、きっと彼女が助けてくれる」

 「寿命も……?」

 「楽しみだよ。私と彼女に見つめられながら、これから君がどう生きていくのか」

 

 カタカタと顎を揺らして、元死神は嗤った。

  

 

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