第15話

永犬丸詩游を追い掛ける為に廊下を走るが、どうも全速力には達せない。

学生服の革ベルトが無い為にズボンがズレるからだろう、片手でボタンとチャックを抑える様に片手で掴んで走っているから、バランスが悪く足が遅くなってしまう。


「え、永犬丸ぅ!」


声をあげて永犬丸詩游を追うが、既に永犬丸詩游の姿は消え失せており、彼が追っているのは彼の幻影に過ぎなかった。


「はぁ……はぁ……」


階段前で長峡仁衛は息を荒げる。最早、永犬丸詩游を追う事は諦めた。

一応は彼とは親友だ、何処か語れる場所でも設けて話し合えば誤解も解けるだろう。

それよりも優先すべき事は、この学生服のズレだ。


何か縛るものでも見つけて腰に回してしまいたかった。

階段を歩きながら工具室や、予備の衣服を補充させる保健室が無いか探索する。


(いや、一度寮に戻ってベルトを取って来るか?)


複数の案を思い浮かべて、どれを選択すべきか思考に耽る長峡仁衛を前に接近してくる小さな体があった。


「ん?」


狩衣を着込んだ小学生の様な少女だ。真っ白な神は雪が積もる銀世界の様に美しく、二つ結びにして歩く度に左右に揺れていた。

口を開き喜びの表情を浮かべる少女、子犬の様な八重歯がうすらと見える。

紅潮した頬と恍惚とした瞳を長峡仁衛に向けて、少女は長峡仁衛の前に立つ。


「あにさま、あにさま、お怪我はもうよろしいのですか?」


あにさま、その口ぶりからして、長峡仁衛とは兄妹の仲であるのだろうか。

長峡仁衛は記憶を巡らすが、しかし、彼の虫食いとなった頭では彼女を思い出す事は出来ない。


「……悪い、俺、事件の影響で記憶が無いんだ。キミは俺の家族、なのかい?」


え……と、喜びに満ちた表情が薄れていく。

代わりに蒼く染まる蒼白と悲哀に塗れた表情が浮かび上がった。


「じんさん、こんな所に居ましたか」


背後から弁当を持つ銀鏡小綿がやって来る。

長峡仁衛は後ろを振り向いて、丁度良くやって来た彼女に説明を求める。


「なあ、小綿、彼女は……」


銀鏡小綿は長峡仁衛の体で隠れていた少女を見つけて軽く頭を下げた。


「こんにちは、霊山さん……じんさん、このお方は、霊山りょうぜんひつぎと申すお方です」


長峡仁衛は「はて」と首を傾げる。

あにさまと慕ってくれる彼女ではあるが、しかし、苗字が違うと言うのは一体どういう事だろうか。

離婚し兄妹と離別、苗字が変わった。

あるいは幼少の頃に一緒に過ごした赤の他人か。

様々な可能性を考慮して、銀鏡小綿に正解を求める目を向ける。


「じんさんは御三家の一角である霊山家の分家筋です。霊山家の娘をじんさんのお父様が娶ったので、じんさんには霊山家の血が流れています。霊山家の娘と霊山さんの御母さんが兄妹なので、彼女とじんさんは所謂従兄妹いとこの関係です」


「は……はい……柩は一人っ子なので……あにさまが居ると知って……兄妹の様に接して貰ってました……あにさま、あにさまは、柩の事を、お忘れになったのですか?」


ぐすぐすと涙目になりながら霊山柩は長峡仁衛が己を覚えていると言う一縷の望みに賭けていた。

しかし、逆さにひっくり返っても長峡仁衛の記憶は蘇る事は無い。

居心地が悪く感じながらも、長峡仁衛は自らの心に問いかける。

どの様な行動をすれば、彼女の涙を止める事が出来るのかを、そして自然と長峡仁衛の手は伸びて、霊山柩の頬に優しく触れる。


「ごめんな……覚えて無いんだ……けど、なるべく思い出す様に心掛けるから、泣き止んでくれ……」


頬に触れられて、子犬が顎下を撫でられる様な心地良さを浮かべる霊山柩。


「あにさま……いえ、あにさま。柩は大丈夫です。思い出が失えども、再びあにさまとの思い出を作れば良いのですから……それよりも、柩は悪い子です、あにさまにその様な顔をさせてしまうなんて……もうしわけありません、あにさま……」


何とも健気な子であった。

頬に触れる長峡仁衛の掌と手首を掴み、頬ずりを行う霊山柩。

一人っ子であるから甘えているのだろうな、と長峡仁衛は解釈して、指の腹で彼女の耳たぶの下を擦る。


「………」


ただ一人、その二人の兄妹愛の育みにケチを付けそうな表情を浮かべる輩が居た。

銀鏡小綿は霊山柩を軽く冷めた目で見ていた。それは我が子に毒牙を向ける蛇を注視している。

対して蛇と称された少女の蕩けた瞳で銀鏡小綿を一瞥する。


(あにさまは柩の大切な人です……母と称するならば、出る幕は無いですよ?)


(じんさんは母の大切な人です……血の繋がりでしか関係を築けない人が、真の家族である母とじんさんの間に割って入らないで下さい)


殺伐と、あるいは干ばつとした雰囲気を漂わせる二人。

それに気が付いていない長峡仁衛は「あぁ、そうだ」と妙案を思い浮かべる様に頷き銀鏡小綿に顔を向ける。


「そろそろお昼の時間帯だし、お昼ご飯、一緒に食べないか?」


「はい、是非っ!」


食い気味に霊山柩はそう答える。銀鏡小綿はぶっきらぼうな表情で弁当を包みこむ風呂敷を強く握り締めた。


「では、適当な教室で食事でもしましょうか」


銀鏡小綿はさっぱりとした口調で告げて前を歩く。

長峡仁衛と霊山柩はくっつく様に銀鏡小綿の後ろを歩くのだった。





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