第510話◆目標のために

 遠くの町まで商売に行きたいというキルシェの気持ちはわかる、しかし町の外は魔物以外の危険も多い。正直、そんな危険な仕事は心配で仕方ない。

 俺ですら心配なのだから、父親のパッセロさんはなおのこと心配で反対もしたいだろう。

 そして同じ人間と命のやりとりが起こる可能性。旅の商人なら避けては通れないこと、乗り越えないといけないこと、だがそれに慣れてはほしくないこと。


「野……盗ですか……」

 何度も他の町まで仕入れに行っていたキルシェなら、その可能性は漠然としていてもわかってはいるはずだ。

 ピエモン周辺の街道は明るいうちは治安が良く、キルシェはこれまで一人で仕入れに行った時にそういう者に出くわしたことはないと思われる。唯一俺といる時に破落戸に襲撃されたが、それは俺ができるだけ穏便に片付けた。

 キルシェの目が戸惑いで揺れている。


 俺も冒険者になってから、初めて人と対峙をした。初めて人間に攻撃した時、初めて人の命を奪った時、それまで冒険者の仕事ではそういうこともあるということは頭ではわかっていたが、実際その時になってみると自分が思っていた以上に動揺し、その後暫く人を斬ったという嫌な感覚と記憶に悩まされ続けた。

 大事にならなかったとはいえ、俺と一緒にいる時、そして町の中で一人の時にも賊の襲撃に遭っているので、人と対峙することをなんとなく想像できすぐには返事ができないのだろう。

 だが、それでいいと思う。

 あっさりと返事ができるほど、簡単な問題ではない。逆に今のキルシェがあっさりと返事ができてしまえば、それは人と対峙することへの危機感がないということで、そちらの方が問題がある。


「そうだなぁ、どちらにせよ遠くの町まで行きたいなら、冒険者として経験を積むか、どこかのキャラバンで経験を積んで、長い道のりの移動についてもっとよく知らないといけないな。いきなり一人で遠くの町まで行くのではなく、今まで行ってた場所から徐々に距離を伸ばして、遠い場所は熟練者やキャラバンに同行しながら経験を積みながら考えてもいいんじゃないかな? 中ランクの冒険者ギルドの仕事に、護衛ではなくキャラバンの手伝いの仕事だってある。そういうのを利用するのもありじゃないかな」

 キルシェは冒険者としてはEランク。基本的に町の中か周辺の安全な場所の仕事ばかりのランクで、まだまだ遠出をするには不安があるランク。

 ランクだけでは実力は測れないが、こなした依頼の数がランクアップ試験の条件を満たしていないということは、経験が足りないということだ。

 遠くまで行きたいというのなら、それだけの実力と経験がなければ無駄に命を縮めることになる。いくら幸運のギフトがあっても、力が伴わなければその幸運も無駄になってしまう。

 キルシェが遠くに商売に行っても無事に帰って来ることができるように、決して甘いことは言えない。


「そうだね、いずれ独り立ちをして遠くに商売に行くことが目標なら、それまでの小さな目標を一つずつこなしていかないとね。何事も段取りなしにいきなり結果だけ狙うのは難しいでしょ? 階段を上るみたいに一歩ずつ確実に目標に向かって進めばいいんじゃないかな?」

「経験を積んで、目標を一つずつですか……。そうですよね、いきなりは無理ですよね。僕は魔物と戦った経験も少ないですし、人と戦う覚悟はすぐにはできそうにありません」

 俺とアベルの言葉にキルシェが納得したように頷いた。だが、それは諦めではなく、目標のための段取りを考え始めたように見えた。


 人と戦う覚悟なんてすぐにできるものではない。覚悟はできたつもりでもいざ、その場面になってみると迷いが生まれることだってある。軽く考えているほど現実を目の当たりにした時に戸惑うことになる。

 夢はあろうと、人と対峙することにすぐに覚悟を決められないのは正しい。いいや、キルシェがそこで戸惑いを覚えないような人間であってほしくないという俺の我が儘かもしれない。

 キルシェがすぐに覚悟を決められなかったことに少しホッとしている俺がいる。

 無謀な挑戦なら止めに入るが、キルシェが強い意志を持って自分の目標に向かって進むというのなら、俺やアベルに止める権利はない。

 できるのは、キルシェのために俺達の経験と知識に基づいたアドバイスをするくらいだ。


「グラン君とアベル君の言う通りだな。いきなり何の経験もコネもなしに遠方に商売に行っても、危険があるだけで上手くいく可能性も低い。どうしても遠方に商売に行きたいというのなら、まずはできることからやりなさい」

「できること?」

「父ちゃんは最近年のせいか長時間馬車に乗っていると腰が辛くてなぁ……、これまでも近い場所はキルシェに行ってもらうことも多かったが、これからは少しずつ遠い町も頼むとするか。次の仕入れ時からはキルシェも一緒に行って、慣れたら仕入れはキルシェに任せるとしよう」

「腰が痛いのなら馬車に衝撃吸収の効果のあるクッションを……イタッ!!」

 思ったことを何も考えず口にしようとしたら、アベルにつま先を蹴られるのと、カメ君に髪の毛を引っ張られるのがほぼ同時だった。

「グラン、空気読んで」

「カ~……」

 アベルが小声で囁き、カメ君が小さくため息をついた。

 え? 空気? あっ! ああ!?


「行く! 父ちゃんと一緒に仕入れに行くよ!」

 キルシェの顔がパッと明るくなった。

「これからはキルシェは店内の仕事ではなく仕入れの方をやって、仕入れがない日は店は手伝っても手伝わなくていい。冒険者ギルドの仕事があるならそちらをしても構わない」

 なるほど、パッセロさんと一緒に遠くの町まで行くのなら、そのノウハウを学ぶことができるもんな。

「やった! それならもうすぐDランクまではいけるかも!」

「ただし、冒険者ではなく商人としての道を進むのなら、商人としてのスキルを磨くことを忘れては意味がない。遠出をする時は行った先で交渉もキルシェに任せることにするからな。そうして、いずれ独り立ちする日のために自分の繋がりを自分で作っていきなさい」

 うっわ、パッセロさん意外と厳しい。

「やる! やりたい!!」

 うへー、それでもキルシェはやる気満々だな。きっと根っからの商人気質なのだろうなぁ。


「じゃあ、キルシェちゃん、その鱗どうする?」

 アベルに言われて思い出した。

「そうですねぇ、僕には身に余る素材ですし売っちゃおうかなー……あ、でもグランさんとアベルさんが欲しいなら買い取って頂いても」

 む? シュペルノーヴァの鱗か……、何かに使うかもしれないし少し欲しい気もするけれどやっぱ高級素材過ぎて使うのが――って、ちょっとカメ君? 髪の毛を引っ張らないで?

「そうだねぇ、そこまで欲しいってわけじゃないから、買うとしたら金貨二五枚くらいかなぁ? 冒険者ギルド経由でオークションに出した方がたぶん高く売れると思うよ」

 古代竜の鱗としては安いのだろうが、ぽんと出すにはやっぱ躊躇する値段だな。

「俺も絶対欲しいってわけでもないし、アベルと同じくらいかな。金額を考えるとオークションの方がいいかもしれないな」

 少し欲しい気はするけれど、やっぱ高い。そしてカメ君がちょいちょいと髪の毛を引っ張っているのが気になる。

 確かにシュペルノーヴァの鱗なら炎と氷には高い耐性があるだろう。あの熱量なら水にも高い耐性が……アッ、カメ君、髪の毛をブチブチするのはだめぇ!!

 俺もアベルも出して金貨二五枚くらいだから、だったらオークションの方が高く売れそうだし、キルシェの今後のことを考えるとオークションを薦める方がいい。


「そうですか、じゃあオークションに出すことにします。ギルド長に直接交渉した方がいいんですよね?」

「うん、俺が紹介状を書こうか? っていうかキルシェがいいなら今から行ってみるか?」

 どうせ今日はこの後冒険者ギルドに顔を出すつもりだったし、ギルドに行けばだいたいギルド長室に連れ込まれるし。

「え? いきなり行って会ってもらえますか?」

「手が空いてたら、たぶん?」

「あのギルド長ならグランがダンジョンから戻ってきたのも知ってそうだし、待ち構えてるかも」

 食材ダンジョンに籠もっていたせいで、暫くピエモンのギルドには行っていなかったしな。色々と待ち構えられているかもしれない。

「じゃあ、行きます行きます。父ちゃん、ちょっと行ってくるね」

「はいはい、気を付けてな。グラン君とアベル君の言うことをよく聞くんだよ。相手が冒険者ギルドの長でも遠慮しないで強気で交渉してきなさい」

 と苦笑いするパッセロさんに挨拶をして、キルシェと一緒に冒険者ギルドへと向かった。






 のだが――。






「でででででっか!! 人多いっ!! うわぁ……っ!」

「カッ!? カフォアアアアアア!?」

 アベルの転移魔法で王都の検問所を通って城下町に入った直後、キルシェが目を丸くして周囲をキョロキョロと見ながら声を上げた。俺の肩の上ではカメ君も面白い声を出している。

 ジュストもキルシェと似たような反応していたな。そういう俺も田舎から王都に出てきた時は、同じようにキョロキョロとしたなぁ……ってあれ? 王都!?!?


 そう王都!!

 俺達は今、ユーラティア王国の王都ロンブスブルクにいる。



 昨日、キルシェが手に入れたシュペルノーヴァの鱗を持ってピエモンのギルド長に会いに行ったはずなのだが、何故か今日の朝一で王都に来ていた。



 あっれええええええええ!? 



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