38万kmの跳躍
好翁
38万kmの跳躍
麻という植物を知ってるかね?
あれは成長が早くてな、60日もあれば身の丈をこえるほどに育つ。
それを植えてな、芽が出た頃から毎日上を飛ぶのよ。毎日少しずつ高くなる麻の上を飛んでいると足が鍛えられてな、やがては塀を飛び越せるほどの脚力がつくのさ。
俺はそれが得意でなぁ。誰よりも高く飛ぶことができた。
塀を越え、屋根を越え、やがて空を飛ぶ鳶を捕まえることができるようになった頃には俺ほど高く飛べる者はいなくなっていた。
里の者には飛び加藤などと呼ばれたものよ。
それでも足りなかった。捕まえたかったのさ。何かわかるかね?
お月様をよ。
高く高く飛んでねぇ、頭の上で鏡みたいに光ってる月を取ってきてやりたかったのさ。
毎日毎日、飽くことなく飛んで、飛んで、雲の上から富士の山の天辺を眺めるのが日課になった。
あまり高く飛ぶと息が薄くなるのには辟易したが、それもやがては慣れた。
慣れてまた数か月経った頃。何のきっかけが有ったわけではないが、月を取るのは今だと思った。
二度、三度、鳥居を飛び越えて足を慣らした後、冷えて湿った空気を思いっきり吸いこんで飛んだ。
里が小さくなり、山を越え、地の果てが曲がって見え始めた頃には月を取れると確信して高揚したよ。
だが、地面がすっかり丸く見えるようになった頃におかしいと思った。
月がどんどん大きくなるじゃあないか。
遠くにあるものが小さく見える。それは道理だ。だがこんなに大きなものとは思わなかった。
それだけじゃあない。月にどんどん引っ張られていく。
俺は月に飛んだはずだったんだ。それがいつの間にか月に落ちていっている。
こんなはずではなかった。俺は月を取りに来たのだ!月に飛んだのだ!月に落ち、月に捕まるのではあべこべではないか!
裏切られた気分だった。
月に落ちてからはずいぶん長くぼんやりしていたなぁ。
ここではずいぶんと身が軽いから再び飛んで里に戻ることも容易いのだろうが、とてもそんな気にはなれなかったのだ。
息苦しいのは慣れていたし、長く飢えに耐える修練もしてきたからな。ただひたすらこれからの事を考えていた。
そんな時にお前さんたちが来たのだ。
あれは船か?こんな所まで来られる船ができるとはなぁ。
そんなものがあるのなら直にここにも人が沢山やってくるのだろうな。
ここが自分の住処というわけではないが、長く一人で居たせいか人が増えるとなれば落ち着かん。
そこでな、ここの所考えていたことを行動に移そうと思う。
月は取れんかったが、その代わりに月が大きな土地だとわかった。
となるとだな、行ってみたくなったのだよ。あれに。
ほれ、ここでも見えるあれだ。お天道様よ。
お天道様もきっと月のように大きな土地なのだろうなぁ。
ことによると極楽というのはお天道様の事なのかもしれん。
となればな、行ってみたいではないか、自分の足で。
いや、スマンな。久しぶりに人に会ったのでついつい話し込んでしまった。
名残惜しいがここでお別れだ。貴殿らも良い旅をしてくれ。
アポロ11号船長 ニール・アームストロングは、生前に親しい者にだけ月で出会った謎の物体の話をしていた。
月面探査中に一抱えほどのサイズの、生物とも、植物とも、鉱物ともつかない何かを発見したのだという。
不思議な事にその物体が自分たちに何かを伝えようとしている気がして遠巻きに観察していたが、時間にして40秒程たった頃、唐突に姿を消したのだという。
突然の事で記録にも残っておらず、皆の記憶も定かではない。
あれはきっと日本のニンジャだったのだろうとジョーク混じりに語っていた事が伝えられている。
38万kmの跳躍 好翁 @yosiow
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