第7話 ヤナーギクの死

 ヤナーギクはすぐ様医務室へ運ばれた。マムルがヘルメットを取ると、そこには焼けただれた顔があった。慎重に宇宙服を脱がせ、冷却スプレーを全身にかける。衣服を脱がそうとしたが、火傷を負った皮膚と癒着しており、マムルは諦めた。哀れなヤナーギクは誰がどう見ても瀕死の状態だった。

「博士……」

微かな声でヤナーギクがうめいた。

「喋ってはいかん。体力を消耗する。大丈夫だ、きっと治るから」

マムルは死にゆくヤナーギクを前にして、そう嘘をつくしか無かった。

「い、良いんです……僕は死ぬ。そうでしょう?」

マムルは言葉が無かった。正直、ヤナーギクの言う通りだったからだ。地球の施設なら人工皮膚を移植するなり方法があるが、ここでは手の施しようが無かった。マムルは焦りと諦めの入り交じった気持ちでヤナーギクを見つめた。医者として、患者を目の前にしながら何も出来ないなど、これ程悔しいことは無い。

「ハルカを……彼女を呼んで下さい」

「……分かった」

 

 マムルはインターホンでハルカを呼んだ。医務室に入るなりハルカは叫んだ。

「ヤナーギク!」

「ハルカ……頼みがあるんだ。花を……アネモネを博士に……」

これだけ言うとヤナーギクは事切れた。

「ドクター!」

マムルはヤナーギクの脈を診て、瞳孔を確認した。

「亡くなったよ」

「ヤナーギク……。分かったわ。花はきっと博士に渡してあげる」

ハルカの頬を涙が一筋伝った。

 

 ハルカは植物プラントへ戻った。壁際にうずくまると、声を上げて泣いた。船内にヤナーギクの死を伝えるマムルの声が響く。ひとしきり泣いた後、発泡パネルを見ると、先刻まで蕾だったアネモネが鮮やかなピンクの花を咲かせていた。まるでヤナーギクの恋が実ったかの様に……。

 

 ハルカはアネモネを切り取ると、研究室のドアを開けた。

「ハルカ。ヤナーギクは死んだのね」

サライが確認する様に訊く。余りに急な出来事で、改めて確認しない事には納得がいかなかった。

「ええ。博士……ヤナーギクに頼まれたんです。これを受け取ってください」

ハルカは数本のアネモネをサライに差し出した。

「これは?」

「アネモネを植えてくれないかって、花が咲いたら博士にあげるんだって、ヤナーギクが」

「そう……ヤナーギクが……有り難う」

サライはアネモネをじっと見つめたまま沈黙していた。あの時……ヤナーギクが花について訊ねたのはこういう訳だったのね。私ったらそういう方面には疎いから……。サライは可哀想なヤナーギクの恥じらう顔を思い出した。後悔の念がわき上がる。

「じゃあ、私、失礼します」

ハルカは部屋を後にした。ヤナーギクの思いは伝わったのかハルカには分からなかった。仮に伝わったのだとしても、ヤナーギクは死んでしまった。博士との幸せな未来はもう無い。あんまりだ。そう思うとハルカはやりきれなかった。

 

 操舵室には重苦しい空気が横たわっていた。誰一人、口を開くものは居なかった。

「俺のミスだ」

堪えかねてミゲルが小さく呟いた。

「恒星の近くで船外活動など、危険は分かっていたのに!」

ミゲルは激昂して拳を振り上げたが、下ろし処なく引っ込めた。

「船長……ヤナーギクは任務を果たしたんです。それだけです」

タイガが慰めるように声をかけた。ミゲルはしばらく黙っていたが、インターホンのボタンを押した。

「……明日、ヤナーギクの宇宙葬をする。各自そのつもりで」

「タイガ、俺はちょっと席を外す。すぐ戻る」

 

 ミゲルは脇目も振らず速足で通路を歩くと、医務室のドアを開けた。診察台に横たわるヤナーギクの遺体を見て、無言だった。

「船長……手の施しようが無くて」

「分かっている。ドクターを責めるつもりは無い。鎮静剤を貰えないか?」

「分かりました」

マムルは鎮静剤を渡す。ミゲルは大きく溜め息をついた。

「まだ道半ばだというのに死者を出してしまうとはな」

そう言って、自責の念に駈られて肩を落とす。船で起きた事はそれが何であれ、船長である自分に責任がある。うつむくミゲルの気持ちを察して、マムルが

「自分を責めないで。仕方の無いことです。私達は皆、地球を出る時にこういう事もあると覚悟して来たのですから」

と肩に手をやった。

「有り難う。ドクターこそ自分の責任だなんて思わないでくれ」

「はい。鎮静剤は飲み過ぎないで下さいよ」

マムルは念を押した。責任感の強い船長が、その反動で具合が悪くなってしまっては皆が困る。その日は皆まんじりともせずに過ごした。鎮静剤を飲んだというのに、ミゲルはとうとう眠れなかった。

 

 翌日、ヤナーギクの葬儀が執り行われた。カプセル型の棺にはヤナーギクの遺体が納められている。ハルカがアネモネを一輪差し入れた。サライの胸にもレジンコーティングされたアネモネが指してあった。それを見て、ハルカはヤナーギクの思いは伝わったのだと確信する。きっとサライはヤナーギクの思いを受け止めた証しに、そしてその思いを忘れない為に、アネモネをコーティングして保存したのだ。

 

 整列した一同の前でミゲルが口を開いた。

「ヤナーギクは勇敢にも危険な宇宙で任務を果たした。ここに彼への敬意と哀悼の意を表し、皆で黙祷を捧げる。一同、黙祷!」

ミゲルの口上に従って、皆は黙祷を捧げる。

「黙祷、終わり。カプセル射出!」

ヤナーギクを納めたカプセルが宇宙空間へ放出された。ミゲルはカプセルが見えなくなるまでモニターで追った。死んでしまったヤナーギクの為に出来ることと言えばそれしか無かった。墓標も無く、果てしなく宇宙をさ迷うかと思うと寂しさを感じるが、宇宙探査とはこういう物である。万が一死んだ時に宇宙葬にされる事は皆了解済みだ。そもそも、人口の爆発を抱え宇宙へ進出した人類にとって、母なる大地に埋葬される事はとてつもない贅沢になっていた。地球ですら、埋葬という形で遺体を処理するのは稀である。遺体を燃やした灰を散骨し、墓は電子データのみという方が主流だった。

 

「よし、航路を設定し直そう。ニライ、頼む」

厳粛な空気を遮って、ミゲルが指示を出す。宇宙では何時までも感傷に浸っている訳にはいかないのだ。ニライは航路を測定し直した。

「ここからですと、短時間でヒール空域まで行けます。結果論ですが、近道になりましたね」

「そうか、よし、ワープ開始!」

ポラリス号は再びワープフィールドへ入った。

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