第5話
「んむぅ……」
今日も柔らかい日差しを感じて、心地良く目を開く。
この場所に張られている結界は、直射日光さえもうっすら白い膜のようなものが防いでくれていて、ギラギラしているはずの太陽光だって、優しさに満ちている。
仰向けに寝転んでいた俺は、穏やかな気持ちで、青空と頭上に広がる木々を眺めながら、暖かな木洩れ日が頭上の冬芽ちゃんに差し込むのを、ひとしきり楽しむと朝の第一声をあげた。
「かなちゃん、おはよう」
【おはようございます】
かなちゃんといつもの挨拶を交わし終えると、俺はむくりと起き上がった。
陽光を浴びてキラキラ光る目の前の湖にチャプリと足を浸し、一歩進むと足元から波紋が広がり小さな光がフワフワと飛び散る。それらはまだ下位にも届かない小さな小さな精霊達だ。
「ンンンー、ラー、ラー、ゴホンッ、さぁ手をとってー、かの舟にぃー、熱く染まる頬をー、君の頬にー、ここには誰も来ないものぉー」
どこかで聞いたような聞いてないような、適当な歌を歌いながら、俺は心地良い水に浸り、のんびり精霊達と戯れながら優雅な時間を過ごす。
精霊は踊るのも歌うのも、それを見るのも聴くのも大好きだから、俺が歌い始めると精霊達はギュンギュンと高速で周りを飛び回り始める。非常に賑やかだ。
歌い終えるとおやつの時間で、俺は好きな木の実を適当にもぎっては食べまくる。
この場所には、様々な種類の木の実が食べ放題に生っていて、探しに行かずとも、いくらでも手に入る。まさに楽園だ。
虫にも鳥にも怯えなくていい穏やかで怠惰な生活に、俺はすっかり浸りきっていた。
長い時間を過ごした川辺は、寄生虫に汚染されてしまったし、すごく良い場所を知っているので、そこで少し休憩しましょう、と悪いお姉さんのようなセリフで誘うかなちゃんに誘導されるままやってきたここは、木々に囲まれた小さな湖で、透き通った水は素晴らしく美しい、昔観たミュージカルに出てくるいたずら妖精の隠れ家のような場所だ。
そこは地脈から得た自然の力で、精霊以外が入ってこられない結界が張られている為、精霊以外の生き物は滅多に訪れることがない。つまりは
湖で過ごしている精霊はたくさんいるけれど、実体のある俺みたいな精霊は珍しいらしく、みんな半透明でキラキラしたりフワフワしたりしていて、とても綺麗で見ているだけで楽しい。
そんな最高な場所の唯一の欠点は、レベルの上がりが遅いことだけど、俺はそこでチャプチャプスーハーして、ほんの僅かでも上がるレベルにとても満足してしまっている。
短い休憩の予定だったはずが、気づけば結構長い時間そこで過ごしている。そもそも精霊ってそんなにガツガツレベルアップを頑張るような存在じゃないと当たり前すぎることに気づいてしまった俺。少し前まで何故あんなに街に行きたかったのか、今ひとつわからなくなってきた。
たまに汚声を漏らしてしまうのが、玉に瑕なかなちゃんは、毎日役に立つ知識を教えてくれる。
【オスはメスを岩場の奥に押し込めます。他のオスにメスを奪われないようにです。メスは岩場の奥で産卵を行います。しかしその岩場の奥に他のオスが入り込んで来ます。そのオスは邪魔者です。敵です。しっかりと排除しなければなりません】
「そうだね。二人きりの安全な場所はちゃんと守らないとっ!」
【あなたは私が守ります。ぐふっ】
今日、かなちゃんが聞かせてくれたのはイカの産卵の話で、男としてかなちゃんを守らなければ、と改めて決意させられる興味深い話だった。
これからも俺は、かなちゃんと二人きりの大事な空間であるここを守っていこうと思うけど、時折ここに長くいてはいけないというような焦燥感に駆られたりする。
「この場所に来てから随分たったよね。レベルあげないと……」
【あのお花がかわいいです。私の代わりに匂いを嗅いでみてください】
「ん? あの花? お花が好きだなんてかなちゃんも女子らしいところがあるんだねぇ」
【そう、そのお花です。顔を近づけて思い切り息を吸い込んでください】
「う、うん? スゥゥーっ、ん、ん? あれ、俺、何してたっけ?」
【私と一緒にお花を眺めていました】
「そうだったっけ? うふふ、かなちゃんはかわいいなぁ」
湖の片隅に咲くかなちゃんのお気に入りの花は、精霊にとって後遺症のない麻薬のようなもので、匂いを嗅げばたいていのことはスコンと忘れ、少し気持ち良くフワフワウフウフしてしまうなんてこと、この時の俺には知る由もなかった。
「ええと、なんだったっけ、何か忘れているような気がするんだよなぁ……」
そういえば、かなちゃんはお花が大好きなかわいい女子だ。かわいいかなちゃんには何かかわいい物をプレゼントしてあげないといけないと思う。
「かなちゃんと街にいけたら一緒にお店とかみて回りたいね」
【私たち以外の人間がいる場所なんて焼き尽くせばいいのです】
「えっと、か、かなちゃんっ、俺、この湖が大好きだなぁっ」
【私も大好きですよ】
かなちゃんはとても怖い発言をすることがある。女子には月に一回くらい不安定な時期があると聞いた事があるので、大変だなと思う。
「この世の中に俺とかなちゃん二人きりみたいだね」
【いつまでもここで二人きりで過ごしたいですね。あなたは私が守りますから】
「うーん、かなちゃんったら、守るのは男の俺の仕事だよー。ふへへへっ」
【はい、もちろん頼りにしていますよ】
かなちゃんと俺の仲は大分深まったように思う。もうお互いになくてはならない存在と言えるだろう。
俺とかなちゃんの毎日は平和に過ぎていく。
【あなたには私さえいればいいのですから】
かなちゃんで始まり、かなちゃんで終わる。そんな平和で穏やかな日々。
時折何か大事なことを思い出そうとしては挫折していた俺の目の前にガサガサッと 生い茂った草木を揺らして白い獣が現れた。
「うぉっ、と、……えっと? う、うさぎ?」
「モヒッ」
そいつは、全身真っ白なモフモフで、クリンと大きな丸い赤目が綺麗な、モヒッと可愛らしく鳴く一メートル程もある巨大兎だった。
「うひょぁぁあっ、なんだこのかわいいやつぅ!
ふぉぉぉっ、フアフアだあぁぁっ!」
「モッ、モヒヒ」
俺は目の前の真っ白な塊りに速攻抱きつき、そのフワフワな毛皮を堪能する。
「あったかいっ、やわらかいっ、かわいいっ、うひょぉぉぉっ!」
ふぁぁぁっ、俺っ、この兎と相思相愛っ!
夢中でその感触を堪能する俺を嫌がることなく、巨大兎は嬉しげにスリスリと体を摺り寄せてくれている。
【兎ではなくラパニーです】
「そっかぁ、ラパニーかぁ。こいつすっごい可愛いなぁぁっ」
言われて見ればフワフワな長耳と赤目、白い毛以外に兎っぽい要素は少ない。フクフクとした胴体に短い手足がちんまりとしていて、猫のような長い尻尾がクネクネと存在を主張している。
短い手足ではバランスが取れないラパニーは、尻尾で器用に物を掴んだり移動したりするらしい。
こんな森の中にいたのに、獣臭さが全くなくて、ふんわり甘い体臭で艶々と綺麗な毛並みのこいつは野生の獣にはとても見えない。人に飼われていたのが迷子になったのだろうか。
よくよく見れば耳に赤いピアスがついていた。
「飼い主とはぐれたなら、俺と一緒にくるか?」
「モヒィッ」
かわいく尻尾を振って同意の気持ちを伝えてくれるラパニーの様子に、俺の表情筋はトロトロに蕩ける。
「はふぅっ、ようやく俺にも触れ合える仲間が……」
【やはり生物がいいんですか……】
え、えっと、かなちゃんは全てに置いて特別だしっ、かわいいしっ。
特別だしっ! かわいいしっ!
【そうですね。私はあなただけの特別なかなちゃんです】
う、うん、もちろんだよっ。
かなちゃんがいてからこその俺なんだからっ!
【もっと褒めていいんですよ】
よっ、かなちゃんっ!
大統領っ!
【ちょっと、何言っているのかわかりません】
あ、うん……。
心の休養が欲しくなった俺は、ラパニーの腹の匂いを胸いっぱい吸い込み、その落ち着く香りに癒された。
「あ、そうそう、ラパニーの名前なににしよう……。しろいしぃー、やわらかいしぃー、あったかいしぃー、えへっ、えへへへっ……」
温かいその腹をモニュモニュと楽しみながら俺は、幸福感でポワポワする。
【ラパニーは高級肉です】
「た、食べないよ! えっと、名前はシラタマにするからっ。食べないよっ!」
かなちゃんの殺気溢れる発言にあわてて、とっさに見たまんまな名前をつけ防衛線をはる俺。
【甘辛いタレで照り焼きや肉の旨味たっぷりなシチューなどもおすすめです】
「食べないよぉぉっ!」
その後もラパニーがぶつ切りになったり、丸焼きになったり、香草をすり込まれたりする残酷な料理の話を呟き続けるかなちゃんは、俺の精神を削りまくった。
「へぇぇ、ラパニーって新鮮だと内臓生でいけるんだ…………絶対に食べないからね?」
それはともかくとしてシラタマのおかげで、俺は久しぶりに正気に戻れた。
俺どうかしてたわ。レベル上げちゃんとしよう……。
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