クリアーブルー

ヘイ

チャプター1

『ようこそ! このフェリーの行き先は日本に属する常夏の島。サマーアイランド!』

 

 巨大な客船に揺られ、制服を着た少年少女たちは艦内放送を聞き流し、各々の過ごし方をする。

 

「おぇぇえええ……!」

 

 船の甲板に出て吐瀉物を垂れ流す黒髪の少年と、心配そうに背中を揺する赤髪の少女が一人。

 

「……おい、大丈夫か?」

「何で……フェリー、おぇえっ」

 

 やれやれと彼女はため息を吐きながら、苦言を漏らす。

 

「バカだな、お前。何で酔い止め忘れてんだよ」

「悪……うぷっ……!」

「ちょ! 大丈夫か、喜多きた?」

 

 喜多賢三けんぞう

 訳あってサマーアイランドに向かう事となった高校二年生。趣味はゲーム。好きな食べ物はチョコレート。

 嫌いなものは乗り物。

 

「た、助けて……長谷部はせべ

「お前……本当に」

「長谷部が膝枕してくれたら……落ち着く、ような」

「はいはい……」

 

 長谷部アキラ。

 賢三とは幼馴染という名の腐れ縁。吊り目が特徴的な美少女だが、見た目とは裏腹の少女趣味と、家事能力が高い水準にまとまっている。

 

「で、喜多。船旅は後、数時間続くようだけど」

「……長谷部。あとは頼んだ」

 

 ふわりと笑って賢三はアキラの手を握り込み、意識を落とした。

 

「せめて中に戻ってから寝ろよ」

 

 文句を言いながらも対して身長の変わらない賢三を抱きかかえて、アキラは船の中に戻る。

 

「あれ、喜多くん寝てるの?」

「しゃーねーだろ、こいつ乗り物にめっぽう弱えーんだから」

 

 二人の男女がやって来て、アキラに抱きかかえられた賢三を見て一言。

 少女の方は小柄で水色の髪を短く切りそろえており、小学生と言われても納得できてしまいそうな少女。彼女を高校生としているのは身につけている制服によるところが大きいだろう。

 もう片方は赤いバンダナを巻いた金髪の少年で、如何にも不真面目というような出立ちだ。身長もこの場にいる四人の中で最も大きい。

 

「ほら、アリス。ジュース買うんだろ」

「あ、そうだった! じゃ、長谷部ちゃん」

 

 早瀬はやせりん林田はやしだ有栖ありすが通り過ぎて行く。

 

「あの……長谷部サン。まだすかね?」

「んだよ……、寝てなかったんか?」

「早瀬達の声が聞こえて、さ」

 

 ぐったりとした顔をしながらも一応は目を覚ましていたらしい。

 

「もう少しだから寝てていいぞ」

 

 アキラが背中を優しく叩く。

 

「横にならなきゃ……寝れない、うっ……」

「おい、絶対吐くなよ?」

「分かって、る」

 

 目蓋を閉じて視界を閉じれば多少はマシになる筈だ。揺れる感覚を味わいながらも、先程よりは良好になった気分に安堵したのか、賢三は浅い息を吐いた。

 

「……やれやれ、先が思いやられるな」

 

 アキラの言葉に賢三は言い返すことも出来ない。

 

「あっちだと移動で多分、車使うぞ?」

「……マジか、よ。何で……サマーアイランドで清涼祭やる、んだよ」

 

 事情。

 と言うのも彼らの通う高校の二年生の生徒と、サマーアイランドの高校と中学一校ずつ、合計三つの学校がサマーアイランドの清涼祭を手伝うことになったのだ。

 サマーアイランドは面積にして三〇〇平方キロメートル。実に小さな島である。

 だからサマーアイランド内の全校を挙げて清涼祭を地域との協力の元に行うのだが、何分、過疎化によって人数が足らず島外への協力が申し込まれたと言うわけである。

 

「そりゃ、校長がこっちの学校の理事長と知り合いだったらしいからな」

 

 フェリーの代金も相当に安くしてもらったという説明は学校の全校集会でも受けていた。

 

「清涼祭の流れってあれだよな。クラスごとじゃなくてグループごと……」

 

 更には地域交流どうの、と言った方針のようで他校との交流の活性化を重視しているようだ。

 グループとはいえ、人数はクラスと同じほどの人数になる。

 

「へぇ……そうなん?」

 

 床に座り込んだアキラは自身の腿の上に賢三の頭を乗せる。柔らかな感覚に賢三の気分の悪さも少しは収まったようだ。

 

「……なあ、長谷部」

「うん?」

「太った?」

 

 ピシリと亀裂が走ったような感じだ。

 目を瞑っている賢三には見えないがアキラはゆっくりと上げていた右腕を彼に向けて振り下ろした。

 

「ふごっ……!」

 

 情け容赦のない一撃だった。

 殴ったと言うのに、アキラの顔はまるで仏のような笑みを浮かべている。

 

『みなさーん、昼食の時間です。お弁当を受け取りに来てくださーい』

 

 感覚的には修学旅行の様なものだ。

 北海道へ行った時のことを思い出して、あの時も甲板で吐いていたなと賢三は溜息を吐いた。

 

「長谷部……弁当とって来ていいぞ」

「……お前、一人で大丈夫か?」

 

 寝転がる場所の枕はなくなり、硬い床に。

 

「だいじょーぶ……」

 

 流石に迷惑をかけ過ぎる訳にもいかない。サムズアップをしてアキラが歩いていく音を聞いていた。

 

「お、UNOやる?」

柏木かしわぎ……俺の状態見て、よくもそんなこと言えたな?」

「で? やるの、やらないの?」

「やんねーよ……バーカ!」

 

 声だけで賢三は判断したのだが、相手は柏木小太郎こたろうで間違いないだろう。

 トランプやUNOが好きなクラスメイト。こういった時は基本的に持って来ている者がいるが、この場合は彼がそれに該当する。

 

「で、アキラはどしたん? お前の女房」

「弁当取りに行ったよ……」

 

 賢三が気だるそうに答えれば、納得の表情を浮かべた。

 

「誰が女房か」

 

 否定の言葉が響いた。

 

「お、アキラ、UNOやらん?」

「やらない。喜多ほっとくと寂しがるだろ」

 

 また、拒否。

 やれやれと小太郎も肩を竦めた。

 

「柏木は弁当いらないの?」

「あー……他の奴が取りに行ってくれたんよ。すぐ戻ってくると思うけど」

 

 UNOの罰ゲームと言うことらしい。

 十分楽しんでいる様だ。

 今回の清涼祭。彼らも特例らしく、サマーアイランドの高校校舎の空き教室を使い授業も行えるらしく、普段通りの生活を送ることが出来る、らしい。

 

「にしても、清涼祭か。準備期間も長いみたいだし、夏休みから二学期の前半までって……」

「いいじゃん。滅多にできる経験じゃないんだし」

 

 小太郎は少しばかり思うところもあるらしい。彼は一人暮らし位と言うわけでもなく、家族と過ごしているから会えないのは寂しいと感じてしまうのかもしれない。

 それはアキラも同様に。

 

「……これって留学みたいな感じだよなぁ」

 

 文化圏の違う島、植生の違う島に行き、学校に通う様に授業を受ける。確かに国内留学の様に感じてしまうものだ。

 期間は二ヶ月ほど。

 

「挨拶ってあれか、アロハ〜って」

「ハワイじゃないからな?」

 

 アキラの膝の上に頭を乗せ、目を瞑っている賢三を忘れた様に二人は談笑している。

 

「あ、ごめん喜多……」

 

 楽しくしていて膝の上に寝かせていた賢三に気がつき謝罪をするが、反応はない。どうやら安心して眠りに落ちた様だ。

 

「ふふっ。寝てれば可愛いな、お前」

 

 賢三の幼さの残る顔を母性の感じる面持ちで眺めながら、白い頬をアキラが人差し指で押してやれば鬱陶しそうに振り払う。

 筈が、伸ばした手はアキラの大きすぎず、小さすぎずな綺麗な曲線を描く胸に吸い込まれて、フニュフニュと揉み込んだ。

 

「…………」

 

 笑顔のまま、アキラは固まってしまう。

 小太郎も固唾を飲んで見守っていたのだが、底冷えする様な声で「……柏木」と、アキラに名前を呼ばれて肩をブルリと震わせた。

 

「もう向こうに行ってろ」

「は、はい」

 

 アキラの右胸には変わらずに賢三の左手が吸い付いている。

 名残惜しい様な気もしたが、小太郎も渋々去っていく。

 

「おい、喜多」

「うぅ〜……ん? 何、着いた?」

「取り敢えずオレの胸から手を離せ」

「あ……ごめん。……いや、でもさ別に減るもんじゃないし」

「良いから離せっての」

 

 これで叫ばないあたりは流石に長い付き合いと言える。訴えられても文句は言えないが、アキラもこの辺りは仕方がないというか受け入れている。

 

「あ、え〜……と」

「……悪い、お楽しみの最中、邪魔した。アリス、別のとこ────」

 

 弁当を持って近くに来た燐と有栖は気不味そうに視線を逸らしながらフェードアウトしようとしている。

 

「……いや、これはそう言うんじゃなくて」

 

 賢三が相変わらず膝枕をされたまま言い訳を始めるが、どこまでも説得力がない。

 

「いや、ぶっちゃけお前らがどんな関係でも良いけどよ……ほら、場所は選ぼうな」

「だから違うからな?」

 

 今度はアキラが否定する。

 

「これは単純に枕が無かったから足を貸してやってただけで……」

「膝枕のことは……十分イチャイチャしてるけど、そこじゃねぇんだよ」

「む、むむむ、胸! 長谷部ちゃんの胸が! じゅ、純潔が!」

「……なんで林田がそこ気にするんだよ」

 

 こんなの今に始まった事ではないと、アキラは気にしている様には見えない。流石に恥ずかしさやらもあるが。賢三に胸を触られることなど珍しいわけでもない。

 長い付き合いをしていれば、それくらいは当然だ。中学一年まで一緒の風呂に入っていたことすらあると言うのに。

 

「そんなに長谷部の胸が触りたいのか、林田」

 

 青白い顔をしながらも有栖を揶揄うような言葉を吐く。

 

「べ、別に!」

「……ふっ、長谷部の胸は俺が育てた」

「黙ってろ」

 

 ほんのりと頬を赤くしたアキラの手刀が賢三の頭に直撃する。

 

「ぐへっ……」

 

 一応、手心は加えた様で痛みは薄い。

 

「ケンゾウ、いくら幼馴染だからってアキラに嫌われるぞ」

「……え? き、嫌いになったのか?」

「……大丈夫だよ。気にすんなって」

「そうだぞ! ほら見ろ。長谷部は優しいんだよ。適当なこと言ってんじゃねぇぞ」

 

 やっぱり可愛いなと思いながらアキラは賢三の額を優しく撫でる。

 

「しょうがねーな、喜多は……ホント」

「長谷部ちゃんが嬉しそうにしてる?」

 

 有栖には理解し難いことの様だ。

 撫でられた賢三はくすぐったい様な心地いい様な感覚に陥ってされるがまま。

 この光景を見ていた燐はアキラに対してこう思った。

 

 ────ダメンズ製造機だな。

 

 ただ、燐も男でありながら賢三の可愛さに関しては理解できる。中性的な顔立ち、やや少女よりなせいかどこか可憐さも感じる。身長も低いことが影響しているだろう。

 声はしっかりと男のものであるが、見た目だけであれば初対面を騙すことができるかもしれない。

 

「長谷部、もうちょい上……そう、そこそこ」

 

 ご満悦な表情と有栖を煽る様に笑みを浮かべる。

 

「ふしゃーっ! 長谷部ちゃん! そいつから離れて!」

「アリス、止めろ」

 

 燐はアリスを羽交い締めにして止める。

 それを見ても青白い顔をしながら賢三はニヤついている。

 

「なあ、アキラ。俺ってなんかやらかした?」

「少なくともオレの胸を揉んだな」

「……うん、それだけだな」

 

 それが一番の問題だとは認識していないのだろうか、しているのだろうか。

 多分、賢三には分かっている。分かっていて揶揄っているのだ。

 

「あんまり林田を揶揄うなよ」

「……悪かったよ、林田。面白かったから、さ」

 

 謝罪になっていないと有栖は憤るが、燐に止められる。全て賢三の思うツボだ。

 

「ホント悪かった、今度から気をつける」

 

 色々と言葉が隠れていそうだが、有栖も溜飲が下がったのか何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 

「おい! デッキにでろって! 見えて来たぞ!」

 

 などと一人の言葉が響けば我先にと甲板に向けて生徒が駆け出していく。

 

「……アキラは良いのか?」

「……足痺れた」

 

 長時間膝枕をしていたためか、アキラの足はプルプルとしている。少しの衝撃で変な声が出てしまいそうだ。

 

「それにこいつも寝てるしな」

 

 不服そうな表情の有栖も燐に連れられて甲板の方へと出て行く。

 

「いや、目ぇ覚めた……」

 

 不機嫌そうな顔。

 

「足痺れてんだろ? 退くよ」

「そりゃ有難いけど、良いのか?」

「どうせ、もう少しで着くし……んんっ、我慢する」

 

 賢三は伸びをしながら答える。

 彼の背中の骨がパキパキと小気味のいい音を鳴らした。

 

「あと三〇分かかるらしいぞ?」

「……マジかよ」

 

 どうやら賢三の思った以上にかかる様だ。見える範囲になったとは言え、仕方がないのかもしれない。

 

「いや、でも良いわ。耐えれると思う、うん」

 

 そう言っておきながら五分でグロッキーになった彼を見て、アキラもやれやれと溜息を吐いた。

 

「ごめん、ごめんな、長谷部ぇ……うっぷ」

 

 気にするなの一言で謝罪の言葉ばかりを垂れ流す壊れた機械のような賢三の頭を撫でていた。

 

 

 

 

 

「大丈夫、喜多くん?」

 

 調子を崩した賢三は流石に集会に出られないと判断されたのか、夕食には合流すると言うことで保健室教諭の林道りんどう姫乃ひめのと一緒に待機していた。

 

「長谷部さんは集会に向かわせたけど、良いのよね?」

「はい……」

「あなたも災難ね。これからは清涼祭の準備でバスも使うって言うのに」

 

 分かってはいたが苦痛すぎる。

 

「ほら、学校祭でも同じよね。買い出しに行ったりとか……。でも、あれよりも立派な島全体の行事らしいのね」

「あの……どうしても、バス必要なんですか?」

「……まあ、仕方ないじゃない?」

 

 自転車を持ち込むこともできなかったのだから。

 常夏の島で延々と歩く方が本来なら苦痛なのだから、この辺りには我慢してもらいたい物だ。

 

「そう言えばグループ分けって……」

「ああ、明日の朝よ。今日は歓迎会ってムードね、もう」

「……そういえば集会ってどこでやってるんですか?」

「学校よ、学校。今日はもうやめときなさい。迷子になって泣くだけね」

 

 現在位置の把握と集会の行われている高校の把握もしなければならないし、距離によっては車に乗らなければならない可能性もあるのだから。

 

「まあ、待ってればこのホテルで歓迎会でもするわよ」

「……分かりました」

 

 船から降りて一時間ほど。

 流石に回復はして来た様で、会話能力も戻って来ている。

 

「夕飯は食べれる? お弁当は残したって聞いたけど」

「……まだ分かんないです。あの、ちょっと外出て来て良いですか?」

 

 ホテルの外を見てみたいというか、外の空気を吸いたい。

 ゆらりと賢三は立ち上がる。

 

「良いけど、暑いわよ?」

「あー……大丈夫です。ていうか、よくよく考えたらホテルを二ヶ月もって……」

「まあ、これも向こう側で色々工面してくれたらしいのよ。よく分からないわよね。どれだけお金が掛かるんだって話。滅多に人も来ないらしいし」

「あ、じゃあ行ってきますね」

 

 賢三は先生に挨拶をしてホテルの外に出る。空はまだ青い。もうそろそろ夕方の五時になると言うのに。

 

「ザ・田舎って感じだな……この島」

 

 本州、関東の中では滅多にお目にかかれない澄んだ世界は建造物に邪魔されることもなく自然を見せる。

 

「だろ? 私は嫌い」

 

 突然の声に賢三が振り向けば健康的な褐色肌、涼やかさを感じさせる短い黒髪の少女が隣に立っていた。

 風がそうっ、と吹いてふわりと少女の髪を持ち上げ、うなじが覗く。

 目が奪われる。

 可愛い。

 多くの人がそう思うだろう。これは一般論だ。などと謎の言い訳を聞かせる。

 着ているセーラー服も、変に着崩している訳ではない。ただ、人の目を奪う程の魅力がある。

 

「俺は……まあ、嫌いじゃないかな。不便だろうなっては思うけど」

「長年住んでれば分かるよ」

 

 彼女の視線は海の方へと向く。

 

「ねぇ、本州から来たんだろ? どんな感じなの?」

「ごちゃごちゃしてる。空気が汚い」

「何か悪いように言おうとしてない?」

「……まあ、でも楽しいよ」

「そっか……。実はさ、憧れてんだよ。カラオケなんて居酒屋にしかないし」

 

 いつも年寄りが集まって歌ってんの。

 なんて言って笑う彼女に、何と言えば良いのかが分からなくなる。

 

「だからさ……子供の道楽なんて殆どない。子供はみーんな、この島から出て行きたいの。私も」

 

 それは確かに楽しくはないし、永住の地とするにはあまりにも酷なことだろう。

 

「でも大人にならなきゃこの島からは出られないから困ってる」

 

 ちょっとやそっとの所にあるのは酒飲み場や、魚屋、肉屋、野菜の店。服なんて格好よくも可愛くもなくて恥ずかしい。

 だから制服がマシだとこの時間になっても着込んでいる。

 

「この島に住んでて、東京に行ったら一日経てば喉がイカれるよ」

 

 けれど賢三としては彼女の憧れるほどの場所だとは思えないのだ。

 

「どうせ慣れるでしょ」

「そうだな……まあ、どうせそんくらいのこと憧れには変えられないもんなぁ」

 

 想像できるかと言われれば具体的に彼女の心情がどのようなものかを考えるには至らないが、それでもぼんやりとした理屈も見える。

 いや、理屈なんて大層なものでもないだろう。

 

「気をつけなよ……」

「うん?」

「大人は歓迎してるけど子供がみんなそうだとは限らないし」

「……そうなのか?」

「ほら」

 

 指先の指す方向はホテルの近くから右方向に少しずれて、そこには高校生と思える男子一人と中学生二人。

 

「いいか? 田舎モンだって舐められたらシメーだ! 舐められる前にぶっ飛ばせ!」

 

 丸刈りの坊主頭、ワイシャツの袖を捲った人相の悪い男子高校生だ。ズボンも膝あたりまで捲り、すね毛が見える。

 

「にーちゃん……俺は弟だから良いけどよ、しのぶは巻き込むなって」

「いや、気にしてないよかける……」

「そーだぞ! こいつは俺の舎弟だしな!」

 

 「ね?」と言いながら、彼女は賢三の方へと振り向いて尋ねた。

 

「あー……そう、ね」

 

 確かに、気に入られている様子には見えない。まるで新大陸に踏み込んだような受け入れられなさ。

 目が合って、賢三は思わずさっと視線を逸らすが遅い。

 ざりざりと先程の少年が歩み寄ってくる。

 

美海みう〜! 何だ、このヒョロい奴!」

「別に、何でも良いだろ」

 

 そっけない態度、いや面倒だと言いたいようにも見える。

 

「……おいおい、テメェよぉ! 美海にちょっかいかけてんのか? 調子のんなよ、ぉおん?」

「ちょ、顔近い。てか、臭え。磯臭え……」

「俺は磯崎いそざき健斗けんとってんだ、おら、名前。名前言えよ」

 

 態度はあまり宜しくない。

 

「喜多賢三……」

「っしゃあ! じゃあ、喧──……ごっ!」

 

 少女の手刀が頭頂部に叩き込まれ、健斗が頭を押さえていると今度は右耳が力強く引っ張られる。

 

「止めろ。……ごめんな、こんな奴もいるんだ」

「あ、ああ……うん」

 

 同情の念も湧きかねないが、最初に突っかかってきたのは彼の方なのだから自業自得、と言うものだろう。

 

「あ、けんにぃ……は、いつも通りだね」

「し、ししし忍ぅ! 俺はいっつも美海に耳引っ張られてんのか!?」

 

 二人の中学生、黒髪の短髪の少年と、どこか中性的な少年。中性的な少年は忍という名前でへらりと笑っている。

 

「いつもどーりだろ、にーちゃん」

「兄の心配をしろぉ!」

 

 置いてけぼりを食らったような感覚に、賢三も戸惑いを隠せない。

 

「あ、さーせん。ウチの愚兄が」

「あ、丁寧に、どうも?」

「おら、さっさと帰んねーとかーちゃんにゲンコツされんぞ、にーちゃん」

 

 ペシペシと耳を掴まれたままの健斗の坊主頭を数度叩いて急かす。

 

「美海、と言う訳だ……離してくれ」

「コイツに謝ったら離してあげる」

「あだだだ! ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 それでようやく彼女は彼の耳を離す。

 痛みからようやく解放され、健斗は涙目になりながら「覚えてろー」と捨て台詞を吐いて大股で歩いて行ってしまった。

 

「アレ、知り合いだったのか?」

「同じクラスなの。どう言うわけか、いつもつっかかってきて……」

「それは……うん。俺からは何も言えないな」

 

 これは青少年にとって誰かに容易く触れられたいものでもないだろう。恐らく本人以外には感づかれていると思うが。

 

「……そう言えば、名前、賢三って言うんだね」

「ん? ああ、喜多賢三。好きに呼んでくれ」

「じゃあ、賢三って呼ぶね」

 

 名前呼び。

 女子に名前で呼ばれたのは初めてかもしれない。いや、男子にも滅多に呼ばれなかったか。それもこれも、喜多と言う珍しい苗字のせいではあるのだが。

 

「私は高野たかの美海、こっちも好きに呼んでね」

「……んじゃ、美海、さん?」

「あと、高校一年生ね」

「おう、俺は高校二年生だからな」

 

 驚いたような顔をして、彼女は先程の自分の態度を見直したのか恥ずかしそうに目を逸らした。

 

「宜しくね、美海チャン」

「呼び捨てで良いですよ」

「ははは、敬語は要らないよ美海チャン」

 

 しばらくの無言。

 

「…………」

「…………はあ」


 賢三が溜息を吐いて提案する。

 

「……ここはこのまま、って事で妥協しないか?」

「そうですね」

「じゃあ、俺はもうちょっとだけホテルの周り見てみるけど……」

「案内しましょうか?」

「え、いいの? 今は……」

 

 携帯電話を取り出して見れば時刻は一七時を表示する。

 

「まあ、六時までなら大丈夫でしょ……。うん、じゃあ六時までにここに着く程度の範囲で案内してもらえる?」

 

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